小説 | ナノ

おおかみ、しょうねんと山の中


 

禄寿(ろくじゅ)
婪(らん)





 緑に囲まれた小さなお家。さわさわ風が吹けば木々が鳴るだけ、それ以外はとっても静かな山の中。定期的に刈り込んで確保している散歩道をとことこ歩く少年。ぴかぴかの桃色をした唇が印象的、目が大きくてくるりと丸い鼻、小柄で姿勢がぴんと伸びている。手に持ったかごに、時折周りになる木の実などを少しずつ摘んで入れて。

 さくさく

 草を踏む音。それは重なり離れて二つ分。


「婪、これ食べられるかな」


 いい子で後ろを歩いていた獣が前に出る。示された木の実をくんくん嗅いで、あうんと短く鳴いた。食べられる、と言っているのが少年にはわかる。銀のふわふわした毛並みの頭を撫でてやり、真っ赤な実をかごへいくつか。


「ちょっと休もう」


 声を掛け、小さな石に腰を下ろす。かごから瓶に詰めた水を取り出し、飲む。手に溜めて口元へ持っていってやるとぺろぺろ、長い舌で器用に飲んだ。小柄なご主人の隣にお座りすると身長が同じほどの、しなやかな狼。とがった鼻先に獲物を捕らえる切れ味鋭い眼差し。しなやかでいかにも俊敏そうな足をしていて、ふっさりと尻尾が長い。少年が好きでたまらないらしく、しきりににおいを嗅いだり膝に頭を乗せてみたり周りをぐるぐる回ったりとせわしない様子。そんな狼を撫でたり、顔を寄せたり、かわいがっているしぐさをところどころに見せる少年。
 少年の名は禄寿、狼の名は婪。
 ひとりと一頭は森の中で仲良く暮らしている。

 森で採った木の実の小さなパイを十時のおやつに焼いた。冷ましたものを皿に盛り、婪の前へ置いてやる。禄寿も椅子に腰かけ、まだ温かなほうのひときれを口に運ぶ。はぐはぐ食べ、満足そうに皿を舐め切った婪、膝に顎を置いてすりすりする。おいしかった、と伝えるような動きに、片手で頭を撫でながらパイを食べる。


「婪、昼ご飯は何にしようか」


 定期的に届く食料が、地下の貯蔵庫に保管してある。一応通っている電気のおかげで冷凍もできるし、調理も可能だ。しかし大した量はなく、一週間の食事をきちんと考えて使わなければ間に合わない。一人分として送られてきているからなおさら。禄寿と婪はそれを分け合い、寄り添う。


「鍋食べたいな、鍋。あ、川の様子を見に行かないと。魚獲れてるかも」


 朝、目が覚めると近くの川に仕掛けをする。大体昼までに大きめのものが一、二匹入っていたりして、結構食べがいがあるのだ。
 すると婪が立ち上がり、ドアのほうへ行って振り返る。どうやら行ってくれるらしい。開けてやると手の甲を一舐め、さっそうと表へ走り出る。


「気を付けてな」


 声を掛けると、あおん、と鳴いた。賢くてかわいい狼だ。
 ひとりになった禄寿はキッチンで鍋へ水を入れる。マッチを擦って薪へ火を移し、燃えてきたら鍋を掛け、こんぶを入れて蓋をする。煮え立つ前に一度取り出し、煮えたぎるともう一度投入。火から鍋を一旦外し、燃えるそれで室内を温める。都会はどうだか知らないけれど、山の中は結構冷えるのだ。

 ついでにお湯でも沸かしてお茶を飲もう。
 水で満たしたやかんを火に掛ける。向かい合うように置いた椅子に座り、火を見つめた。ぱちん、とはぜる音以外に音はない。静かで豊かな良い山。


「山はいつでも守ってくれる」


 祖父の声が耳へ蘇る。


「お前を見守っているから、困ったらいつでも助けてくれるだろう。木も、草も、川も空もみんな味方だ」


 だから何も恐れるな。
 頭を撫でてくれた皺だらけの手。それはその日の深夜に二度と動かなくなってしまった。天寿を全うしたとは言い難い最期。
 気付くと手と手を固く握り合わせていた。引き離して軽く振る。震えている。怖いのかもしれない、と、どこか他人事のように思う禄寿。柔らかな毛並みを抱きしめたくて、心の中で名前を呼んだ。婪、婪。

 声が聞こえたかのようにドアが開く。




 少し離れた川で、成果のあった網を口に銜えて走る狼。早く見せたい気持ちと、なんだか嫌な予感。後者の方がずっと強い。曖昧な、根拠のないことなのに。
 でもこの予感は初めてではない。だから信頼した。大好きなご主人に何かあった、とわかる。

 僅かに開いたドアを鼻面で押し開く。
 荒らされた室内、椅子に座っている状態で縛られている大好きなご主人。血の匂い。どこかケガをしたのかもしれない。
 目の前が赤くなる。
 ぴんと尖った耳が揺れた。音を聞きつけたのだ。室内を歩く足音。人間、四人。ただの人間だ。武器を持っている。火薬の香り。物騒だがあって二丁。敵ではない。
 寝室から出てきた男たちが、禄寿を囲む。


「神はどこだ」
「居場所を吐け」


 禄寿が黙っていると、ひとりがグリップで頭を殴りつけた。ぐる、喉が鳴ってしまう。歯が剥き出しになる。怒りが理性を飲み込み、野生の部分だけを残す。
 膨らんだ毛、尾が立ち上がる。
 もうこれ以上我慢できない。


 空気を震わせる唸り声と共に、白く輝くような大きい獣が男の腕へ飛び掛かる。


「神よ、なぜ我々を拒否するのですか」
「お戻りください。再び繁栄を我が家に……ぎゃあああ!」


 たった一噛みで肩からえぐり取れた腕が床に敷かれたカーペットの上へぼたり、落ちた。のたうちまわり、叫ぶ声をかき消すような銃声。しかしそれは壁へめり込み、身を低くして逃れた狼はそのまま伸び上がって足を噛む。怯えて逃げ腰の男の胴を噛み砕き、グリップで殴りつけた男の手を食い千切り、顔面をがぶり。
 一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した室内。
 血まみれの狼は鋭い牙で縄を噛み切り、打って変わってくーんくーんと弱々しく鼻を鳴らして主人の膝に擦り寄る。


「おれは平気だよ」


 血を流す部分を手で押さえ、痛みをこらえて笑う。ちらっと後ろを見て、それよりあれどうしよう、と呟いた。ひとりで男を運ぶなど無理だ。いろんなパーツも落ちているし。


「我が運ぶ」


 顔を戻すと、立ち上がった男。背を流れて腰に届く長い銀髪、涼しく釣り上がった目に柔らかな光を宿し、筋骨隆々とたくましい身体には毛皮を纏う。長身を折り曲げて禄寿の額にキスをした。


「ゴシュジンは座って、湯で傷を拭くといい。戻ったら手当する」
「婪」
「早く戻る。ひとりにしてすまない」


 カーペットごと男たちを丸めて軽々と担ぎ上げる。四人の体重など感じていないように。
 出て行ったのを見てから、沸かしていたお湯にタオルを浸して傷を拭いた。染みるし、なんだか頭がガンガンする。椅子に座って頭部の傷を押さえた。
 しばらくして、奴らをどうしたのかはよくわからないが狼がてってっと戻ってきた。水を浴びてきたのか雫を滴らせている。膝へ前足を掛け、頭の傷をぺろぺろ。禄寿は目を閉じて受け入れた。舐められるたび、痛みが少しずつ引いていく。やがてそれは全く無くなり、触れても痕一つなかった。


「ありがとな、婪」


 顎を撫でる。あう、と短く鳴いた婪はあちこちを舐めた。擦り傷のある手首や足首、破けた服から覗く腕。大事なご主人だから、小さな傷ひとつでも残したくない。


「……まずは換気しないと、ご飯っていう空気じゃないな」


 婪が半開きだった出入り口のドアを鼻先で押し開ける。禄寿は窓を開けて歩いた。寝室はひどく荒らされていて悲しい。せっかく居心地のいい場所だったのに。てけてけ隣へやってきた狼が、がる、と険呑に喉を鳴らした。


「大丈夫。しばらくはソファで寝るから。身体が元気になったら片づけて、一緒にまたベッドで寝ような」


 可愛らしい繊細そうな顔つき、だが、さっぱりしたご主人。からりと笑いかけ、もふもふとした頭を撫でる。あうん、答える狼。


「婪、おいで」


 ソファへ腰かけ、すでに乾いている毛並みを抱きしめる。ふかふかと毛足が長くて心地いい。首のあたりを抱きしめられて顔を埋められると婪はふんと息を吐き、長い尻尾をしたした、左右に振る。


「……婪、婪が守ってくれるから生きていける。ありがとう」


 山と同じ匂いがする婪。嗅ぐと落ち着く。大きな大きな自然に抱きしめられているみたいだ。


「婪、大好き。ずっとそばにいて」


 あお、と鳴いて首を激しく上下に振る。尻尾を振り振り、頬や首を舐めた。





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