小説 | ナノ

あかいろの運命


 

椛 秋芳(もみじ あきよし)
紅葉 速(くれは はやみ)





 案外と、日常にまぎれている人外は多い。人と獣の姿を行ったり来たりする者、吸血鬼、地獄の鬼や、他にもいろいろたくさんいる。排除される歴史から学んで、人間と共存する方法を取っている。最初のうちは辛さも感じたろうが、コミュニティも形成されており、国の中枢に入った人外によって法整備やその他改善が行われている国も多い。近年では大々的に人外であることを公言して生きられる国家も誕生し、変化が起きている。

 しかし、この国ではまだ差別が残っている。受け入れてくれる人も増えたけれど、知るなり軽蔑のまなざしを投げかけてくる人もたくさんいた。幸い俺の周りには、先祖から引き継いだコミュニティがあったので、そこまで酷く迫害された経験はなく、大学を出て就職まで果たした。ただ、そういうことがあると話に聞くだけで。


 平屋の一戸建て庭付き。先祖から正しく継承されてきた家。庭には絶えず花が咲き、近所からの評判も上々。ときおり切って分けたり、株を交換したり、情報をやりとりしたり。おかげで甘くておいしい、活きの良い花が手に入る。

 ふらつく足取りで庭へ出て蔓をのばす薔薇のいくつかにはさみを入れて摘み、家へ戻る。居間の年季入った長椅子へ身体を横たえ、花を口元に近付けて深く吸う。真っ赤な花弁が黒くしぼみ、からからに乾いて胸へ散る。茎はとげごと口に入れた。噛み締めて飲みこむ。花はやはり生に限る。
 四本、五本といただいたけれどまだまだ足りない。焼け石に水、空腹に水。おいしいけれど喉が潤い、飢餓に苦しむ心を慰めるだけ。
 お腹が空いた。
 野菜や魚、肉などは半分ほどしか満たしてくれない。その半分でも構わないのだけれど、今のように突然、極限の飢餓状態を引き起こす。わかる。自分の中の本能が求めていることが。目の前にちらつくのは赤い液体。

 りんごん、とチャイムが鳴った。
 重たい身体を引きずって、拙い手つきでドアを開ける。


「ちわーす、ブラッドデリバリーでーす。いつもありがとうございます。椛 秋芳さん、ご注文の血をお届けに参りました」


 青と黄色のストライプの制服を着て青い帽子を目深にかぶった元気のいい配達員のお兄さん。つばの下から俺の顔をちらりと見ると、手に持っていた冷蔵配達用の箱を玄関に置いた。


「お代は振り込みでいただいていますから、認証だけお願いします」


 震える手で、差し出された機械に人差し指を押し付ける。


「はい、ありがとうございます。受け取り手続きが完了しました。……あのう、他人事ですけど、あんまりそういう状態になるのは危ないと思います。そっちの本能に引きずられちゃいますよ」
「わかってるんですけど……つい」
「椛さんちならお家専属の方もいらっしゃるんでしょう?」
「……ええ」
「そちらの血液はいつもの冷凍と違って冷蔵パックになってます。召しあがるときにお好みの温度に湯煎してからのほうがおいしいですよ。冷たいままでもいけますが」
「はい」
「では、またのご利用をお待ちしています」


 玄関を閉め、ドアに寄りかかる。背中に、走り去るバイクの音が聞こえた。
 箱を開けてひんやりした冷蔵パウチを取り出す。点滴バックに似た見た目で、表面には注文した通りの血液成分が書かれたシール。箱に付属しているストローの一本を手に取り、差し込み口から差し入れた。さほど力を入れることなく、開通する。じゅるじゅると吸い込むと口の中に広がる味。喉を鳴らして飲みこんで、満たされる腹に幸福を感じた。
 けれど、あまりおいしくない。新鮮な血液のパックとはいえ、多少なりとも保存液が入っているし、冷やされて味が少し落ちる。こういうものがなかった時代から考えればありがたいのだろうが、直接もらう血に勝るものはない。


『椛さんちならお家専属の方もいらっしゃるんでしょう?』


 配達員の声が蘇る。

 家は、古い吸血鬼の家柄だ。このご時世にあって奇跡的に純血種が絡み合い、今まで子孫が続いている。先日、姉と兄がやはり純潔の吸血鬼の伴侶を得た。椛家は安泰だと、移住した海外から久しぶりに帰ってきて喜んでいた両親。俺は気楽な立場となり、この家で悠々自適、平日は九時五時の仕事をして、自分ひとり食わせられればいい。そして本来ならば、血を買わなくても生きていける結構な身分なのだ。
 古い時代、吸血鬼は契約をして血を貰うパートナーを所有していた。この椛家の先祖は、とある家と深い契約を交わして子孫代々に至るまでパートナーでいることを了承させたのだ。母も姉も兄も、皆その家の人間から血を貰っているので、こんなに飢えたことはないだろう。

 でも俺は、血を吸うのが怖い。


 ひとつのパックを飲み干して、ずいぶん楽になった。のこりは冷蔵庫に入れておこう。
 腹が満たされ、眠気に襲われる。さきほどまで横になっていた長椅子に横になり、目を閉じる。睡眠も立派な生命維持活動だ。


 夢の中で、あの日の悲しみを体験した。
 歯を通すと、痛い、と顔を歪める大好きな人。その味はどんなふうだっただろうか……そう、確か、こんな風。甘い、フルーツみたいな味がする。
 喉を通り、胃があったかくなる液体。その辺の血とは異なる美味。契約をした人間独特の――味。
 それが、いやに現実を持って脳裏に思い浮かぶ。
 そして現実だと理解したのは、意識が浮上して喉が動いていたから。

 目を開けると、口の中に指が差し入れられていた。そしてその向こう、俺の顔を上から覗きこんでいる男。さらりと白い髪が流れる。目が合うとにやりと笑い、灰色の瞳をきらきらさせて、久しぶりだな、と言った。大人の男の低い声。
 さきほどまで夢に見ていた顔と寸分たがわぬ、男前。

 慌てて身を起こす。指を引いて、こちらに見せてくる男。深い切り傷があり、血が流れた。濃い赤色、特別な血。この距離にいても匂いがわかる。甘い甘い、たまらない匂いだ。さきほど血を飲んだはずなのに、奥深くから飢えを感じる。でも俺はそれを振り払うように首を振った。膝を抱えて、目を閉じる。

 長椅子が揺れる。
 匂いが濃くなる。


「秋芳、お前、わざわざ血を買ってるのか。俺の血より冷たい血の方がうまいってことか」
「……冷たくて、まずい」
「なんで俺に連絡してこないんだ。他の誰かので紛らわせてると思ったら宅配だって? ブラデリから連絡来たぞ。あいつらは世界中にネットワークを持ってる。椛家といえば紅葉家、俺たちは一対だからな」
「……いたいって」
「はぁ?」
「お前、痛いって言った」


 俺が血を飲むのを怖がるようになったのは、まだもっと小さいとき。吸血鬼だってそれなりに進化をしているから、今は吸血の対象となる人間に痛みを与えないような牙に変化している。生え換わるとまったく痛みがない、そうだ。しかし、乳歯は未発達なぶん、やはり痛みがあるようで。その頃の俺は力加減もわからなくて、いつも速が痛いと言った。
 速はこの、目の前にいる白髪の男。当時から変わらないたくましさで俺の前にいた。抱きかかえられるようにして膝へ座り、差し出された白い手首に噛みつくも、痛い痛いと言うからいつの間にか、俺はすっかり血を吸うのが嫌になっていた。
 生え変われば痛みが無くなる。
 そう親や兄弟に言われたから、生え変わって安心した、のに。


「痛い」


 と、速はやはり痛がった。一族の中でもかっこよくてきれいな速が痛そうな顔をするのを見るのが怖くて、嫌で、やがて俺は速の血を口にしないようになった。親に適当な理由をつけて血を貰い続け、それが海外に行ってしまうと、ブラッドデリバリーに宅配を頼むようになった。


「速、いつも痛いって言っただろ」
「まあ、嘘だけどな」
「……うそ?」


 顔を上げる。泣きそうになっている俺を見て笑った速は、少し距離を詰めてきた。


「お前抱っこするのが好きだったからなぁ。痛いって言えばよしよししてくれたろ? それが嬉しかったんだよな」
「それだけじゃない。お前、連絡してこなかった。血ぃ吸われるのが嫌だから、じゃないのか」
「いや? 秋芳から連絡してこないから、俺の血が口に合わないのかと思って。一応ぼっちゃんとか嬢ちゃんとは連絡取ってたんだけど、親の血貰ってるっていうから、そっちのがいいんだろうなーと。大人になればいろんな出会いがあるから、誰か見つけたんじゃねえか、と思ってた」


 すぐそこまできた、涼しげな顔。怜悧とも言える整い方で、無表情だとひたすらに怖いけれど笑うととても優しい。そして、表情が意外と豊かなのも昔から変わらないようだ。


「なんだ、俺に気ぃ遣ってたのか」
「……俺、我慢してたのに……お前が痛い痛いって言うから、あんまりおいしくない血、飲んで、花食べて」
「花? ああ、それでか」
「なんだよ」


 ずい、と、顔を近づけてくる。いや、耳元に顔を寄せ、鼻を髪に埋めるようにしてきた。むっと濃くなる血の匂いに頭がぐらぐらした。


「お前、いい匂いがする。花だったんだな。花ばっかり食ってるから」
「……そんなわけない。誰にも言われたこと無いし」
「俺は秋芳の特別だから気付くんだよ」


 頬に唇が触れる。


「……もうあんな冷たいもの飲むな。俺の血だけ、飲んでろ」


 唇にふにゃんとつく指。固まりかけた血は、軽く開いた口に差し込まれた拍子に前歯に引っ掛かったことで再び流れ始めた。舌でそれを舐めとり、吸い出す。やっぱり特別な味。子どもの頃は何とも思わなかったけど、さまざまな血を口にした今はよくわかる。


「うまい?」


 柔らかな声での問い掛けに、飲みながらこくりと頷く。
 冷えていた身体が温まるような感覚。指先からぽかぽか満たされて、頭がぼやんとしてきて、無心に吸う。

 満足して口から抜くと、速がじいっと俺を見ていた。


「なんだよ」
「別に。かわいいなって思っただけ。一生懸命、ぽやんとした目ぇしてちゅうちゅう吸って」
「……おいしかった。甘くて」
「そりゃな。お前が好きなようにしてるから」
「?」
「昔から果物好きだろ? 果物ばっか食って、そういう味にしてるんだよ」
「……声が、かからないのに?」


 もう十年以上、速の血は吸っていない。それでも、と問いかけると、端正な顔がにっこり。


「秋芳が呼んでくれたとき、まずい血だと思われたら嫌だったからな」
「……変なの」
「好きな相手には、よく見られたいもんだろ」


 すきなあいて


「……好き?」
「ああ。大人になるまで待ってた」
「全然連絡くれなかったのに」
「こだわるなぁ……お前こそ、連絡くれなかったくせに」
「だって……」
「まあどっちもどっちってことで、ここから一緒にいればいいだろ。ずっと傍にいてやるから」
「……ずっと?」
「うん。お前を見送ってやる」


 その言葉にぎくっとした。
 かつて、吸血鬼は長命だった。永遠とは言わないけれど、それに近いくらいの寿命を持っていた。人と交わるうちにそれも年々減少傾向にあるが、それでもただの人に比べたら長く生きる。
 しかし、椛家は違った。
 契約を結ぶときに、紅葉の人間へ、その長い生命を与えたのだった。どのようにしたのか、俺は知らない。人と同じ程度の寿命を迎えて、大抵は家族と紅葉家のパートナーとに見守られて死んでいく。死んだあとに残るのは灰だけ。管理するのは紅葉家の仕事。そして、主を失った紅葉の人間はまた新しく生まれた椛の人間のパートナーとなる。


「……速は、そうやって、何人見送ったの」
「なかでも、一番かわいいのは秋芳」
「質問に答えてない」
「四人くらいだ。みんな長生きだったからな」
「……寂しかった?」
「そうだな……良い人だったから。でも新しい子の顔を見ると喜びが湧く。また一緒に生きられる、って、嬉しくなるんだ」
「俺が連絡しないときは悲しかった?」
「当たり前だろ」
「五番目でも?」
「五番でも六番でも一番でも、みんな違うからな。それに、こんな、十年も俺を放置したやつはいなかった」
「じゃあ俺は、今までの人みたいに良い人じゃない?」
「うーん、まあ、その点はな。ショックだったし、冷たいものより劣ってるのかと」
「だから、違う」
「わかってる。今は。冗談だ」


 手を伸ばして抱きしめてくれた。


「……速」
「ん?」
「……すきって、他の人にも言った?」
「言ったけど、お前に対するみたいにやらしいやつではなかったかな」


 ふふんと笑う速。その表情にどきどきした。
 好きだと言ってくれたことは嬉しくて、どきどきするけどまだわからない。ただ傍にいてほしいとは思う。それが契約からくるものなのか、自分の気持ちからくるものなのかはまったくわからないでいる。まだ。


「……明日から、また傍にいて」
「そこは今日から、って言えよ。俺は高機能だぞー。長く生きてるからな」
「こうきのう」
「なんでもできるってこと。好きな人の役に立てるってのは血を吸われることと同じくらいの喜びだ」


 俺の顎を指でとらえて、頬にキス。
 それからぎゅっと抱きしめてくれて、灰色のシャツに顔を埋めた。ずいぶん前に感じた、懐かしい、安らいだ気持ちで。






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