小説 | ナノ



 
梨元(なしもと)
蜂王(ふぉんわん)
MISA(みさ)
三ケ山 桜月(みかやま さつき)


書きたいとこだけ書きたいように書きました。
お話としてはぐずぐず、です。





 初めに抱いた印象は声がすごい。
 空間中に広がり、身体中の骨に響かせ身体を中から揺らすような強い声。誘われて観に行ったライブハウスでのコンサート、外まで聞こえてるに違いないと思った。そんなわけがないのに。
 すぐそこの舞台にいるのに、演出なのかなんなのか真っ暗で、深くかぶった帽子のせいで姿も見えない。椅子に座って、ギター一本で歌い続ける。男性的とも女性的ともいえる声で、歌に合わせて表情が次々と変わる。曲ごとに別人が出てきているようだ。そのときは知らなかったが、この『MISA』という歌手は常に顔を出さないで歌うのを自らの形としているらしい。どこでも、同じように薄暗い空間で、顔を見せないよう帽子や何かをかぶって椅子に座り、歌う。このインターネット社会において、どのSNSでも顔が出ないというのも珍しい話だ。

 『MISA』を知って四年。四年の間、最初は人に連れられて行ったコンサートに自分で足を運ぶようになった。一か月後にも予定している。過去にない、大きく有名なホールで。デビューして五年の節目なので特別なコンサートにするつもりだとサイトで告知があった。メディアに顔を出さないので、繋がりは公式サイトのみ。スタッフが更新するブログにも手元やギター、部屋の一部らしき場所の植物、食べ物などしか映らない。
 耳に入れたイヤホンから流れる『MISA』の曲。
 聞きながら歩き、夜にいつも行くイタリアンレストランへ今日も足を運んだ。

 座席数がカウンター四つ、四人掛けのテーブル三つ。経営しているのはいつもにこにこしている明るい若い男性と、あとひとりキッチンを担当している人。キッチンのほうの人はめったに姿を見せない。がっちりとした男性、だとは思うのだが。
 ここ二年ほど、ほぼ毎日通っているのに満席になったところを見たことがないから二人で十分回せるのだろう。俺は毎日予約状態らしく、カウンターの端に通される。行かない日に電話を入れるくらいの通い方。居心地がいいのだ。

 イヤホンを外し、古い木の質感があるドアを開けるとベルが、りん、と涼やかな音を立てた。入ってすぐ正面がカウンター、右手側がテーブル席。今日も誰もいない。


「こんばんは、梨元さん」


 カウンターの中にいる、ネイビーのシャツを着た若くてかわいい男性。灰色の髪を後ろに流し、前髪がわずかに額へかかっている。黄色の強い茶色のたれ気味な目元からか、透き通るような赤の唇からか、開いた首筋からか、なんともいえない色気のある人だ。


「こんばんは、ひざしくん」
「今日はおいしいきのこ、たくさん入ってますよ。どうしますか」
「じゃあきのこ尽くしにしようかなあ」


 そんな話をしていたら、キッチンの中からのしのし、長身の男性が出てきた。おぼろげな記憶の中にあった薄いイメージと重なる。しっかりした身体を白い長袖のシャツに包み、坊主頭で、意外と顔が怖い。眉毛も薄いし、耳には大きなピアスホール。
 ちらりとこちらを見ると小さく頭を下げ、首をかしげているひざしくんの襟元のボタンをとめた。きっちり着させて、納得したように頷いて、またのしのし戻る。


「……そんなにあいてたかなぁ」


 襟をつんつん引っ張りながら言う。苦笑いすると、きのこフルコースでいいですか、と元気よく聞いてきたので頷いた。たばこを出すと灰皿が置かれる。マットなシルバーの丸いやつ。今時珍しい分煙しないレストラン。
 最初にきのこたっぷりグリーンリーフのサラダがやってきた。それと炭酸水が緑のボトルとグラス。静かな、何の音もしないレストラン。奥から時々、ひざしくんの話し声がする。あのがちむちさんの声はしない。一方的に話してるんじゃないかと思うような感じだ。
 年も離れているみたいだし、およそ違う雰囲気のふたり。なんでふたりで仕事をしているんだろう。と、炭酸水を飲みながら考える。

 りん、と、背後でベルが鳴った。
 ひざしくんが出てくる。人懐っこい笑みを浮かべた。


「こんばんは。どこでも好きなとこにどうぞ」
「ありがとうございます。飛び込みでもいいんですね」
「うちはなんでもいいんですよ。開店して三十分経って誰も来ないとか、こちらのお客さんが今日は来ないよって電話くれたりしたら閉めるし」
「自由でいいですね」


 
 聞いていて心地いい声だった。のびやかで、聞きやすくて。
 その声の持ち主は、他にもたくさん席が空いているのに俺の横へ座る。帽子を取り、こちらを見て微笑む。


「こんばんは」
「こんばんは……」


 首に巻いていた青と緑のブロックチェックのストールを外して向こうの椅子の上へ置く。灰色のノーカラーシャツから見える細い首、黒い髪をひとつに結んで肩に垂らしている。その顔はまだ若そうにも見えて、十代後半から二十代前半、といった感じだ。くるんと丸い目に、高い鼻、どこか外国めいた雰囲気のある人だ。


「なんでもおいしそうで困るなー」


 ひざしくんと会話をする。端々にかすれたところがあって、それが声を完全なものにしていなくて聞きやすい。サラダを食べながら思わずそちらを見ていた。蒸しえびと温野菜のサラダときのこのポタージュスープ、牛の薄切りステーキ、ガーリックチーズパン。ひとりで食べるにしては結構な量で、それがこの小柄な人の胃に収まると思うと不思議だった。


「たくさん食べるなあって思ってます?」
「あ、すいません」


 ふふ、と笑うその人。


「おなかがすくんですよ。仕事のあとって、むしょうに」
「大変なお仕事、されてるんですね」
「うーん、燃費が悪いだけかも」


 ねんぴ、と繰り返すとその人はにっこり。八重歯が見える。小さな歯がそろっていて、それだけがいびつに見えた。
 俺に運ばれてきたチーズときのことハムを固めのパンにのせて焼いたやつ、きのこと多種野菜のペペロンチーノ、隣の人に運ばれてきたサラダとパン。ふたりの前に置かれる、きのこのポタージュスープ。
 少しずつ口に入れてもぐもぐと動かす隣の人。
 目を細め、嬉しそうに食べる姿がかわいいと思った。


「あー、やっぱりいいなあ、こういう、作ってすぐのもの」
「普段は食べてないんですか」


 思わず話しかけてしまった。ぱちぱち瞬きをしながらこちらを見て、飲み込んで頷く。


「いつもは、なんていうの、ケータリング、みたいな。もうできてて運ばれてきたやつなんです」
「へえ……飽きそう、ですね」
「うん。もう飽きちゃって、毎回違うものを選んではくれるんですけど」


 こういう新鮮なものがいいですよね、と、えびを刺しながら言った。


「俺は、そういうものをあんまり食べたことがないから。普段ここで毎晩食べてるし」
「常連さんなんですね。来ようかな、これから」


 ふわふわと優しく笑う。こんな笑い方をする人にはたぶん初めて会ったし、会話、声を聞くだけでずいぶん心地いい。声フェチなんだろうか、俺。もっと声を聞いていたくて、話を振った。ここの料理、最近の天気、明日のこと。どうでもいい話にも付き合ってくれる優しい人でよかった。
 くるくると麺を巻き付けていたらジャケットのポケットの中で電話が鳴った、小さな音、普段はマナーモードにしておくのに今日はそうしなかったようだ。『MISA』の歌が流れる。一番新しいアルバムの曲で、買うとダウンロードできるものだ。気に入っているから着信音に設定した。
 席を立ちながら、電話に出る。


「もしもし、梨元です」


 途端に耳に流れてくる大音量の外国語。


「そんなにでかい声で話さなくても聞こえる」


 同じ言語で返しながら外に出た。


「なんだよ不機嫌だな蜂王。デートしてるとこ邪魔したか」
「違う。優雅に飯食ってたの邪魔されて腹立ってる」
「色気んねぇな」
「うるせぇよ。で、用事は何だ。もう報告書は送っただろ。最近の騒ぎは東南アジア系のグループのせい。規模は大してでかくないから、十分抑え込める」
「そのくらいの報告、電話でしろ」
「出なかったの誰だよ」
「俺だけどぉ。俺だって忙しいんだぞ? うちの邵永進老大の無茶ぶりのせいで」
「知るか」
「まあいいや。概況はわかった。始末はこっちでやるからお前は大好きな歌手のコンサートにでも行ってろ」
「言われなくても行く」
「じゃあな、王様」
「嫌味か」


 電話を切る。喉が少し痛かった。どうして向こうの言葉を話すとき、自然とこんな大きな声になってしまうんだろう。不思議だ。
 中に戻ると、隣の人が弾かれたように俺を見上げた。それから頬を赤く染めて早く瞬きをして、ばたばた、サラダをかきこんだ。
 カウンターの中にいるひざしくんがにやにやにや。ネイビーのシャツはまた前が開かれている。指摘すると「キッチンは暑いんですよ」と返された。


「どうかしたんですか」
「あっ」


 席に座りながら隣の人に尋ねると、目線を外したり合わせたり忙しい。


「ひざしくんに口説かれたり?」
「あっやだなーそういうことはしませんよー。そこの人に怒られちゃうし」


 そこと指さしたのは背後で、ドアのない出入り口からじっと鋭い目と巨体とがこちらを覗いている。


「なんかね、こちらのお客さんが『あの人、MISAが好きなの』って言うから梨元さんがいかに熱いファンなのか説明したらあっという間に茹蛸になっちゃって。コンサートに全通するくらい好きだとか、欠かさず音源買ってるとか、酔っぱらうといかにすごいか魅力的か説明し始めるとか、五周年記念コンサートのチケット取れた! って嬉しそうに聞かせてくれたこととか。こちらのお客さんも好きだったらファン仲間できるかなーって」


 知らない間に熱い思いを説明されていたらしく、とても恥ずかしかった。
 電話をテーブルの端、たばこの隣へ置いて頬杖、溜息。わたわたしている隣の人がようやく落ち着いたらしく、スープをごくごく飲む。


「はぁ……なんていうか、世の中狭い……」
「世の中ですか」
「うん。熱烈なファンってたくさんいると思うんだけど、実際に会うことって少ないんですよね。活動スタイル的にも。お手紙をもらったりはするけど」
「……はぁ」


 うん?
 なにかがおかしい。


「どういう、あれ?」
「……いつもありがとうございます。MISAです……」


 うつむきがちに、でも目を合わせて、とても恥ずかしそうに言う。
 頭が真っ白になる、という体験をその時初めてした。三十四年生きてきて、思考停止は初。
 我に返ったのはひざしくんの大笑いのおかげだった。


「梨元さん、鳩が豆鉄砲くらったみたいな顔してますよ。初めて見たー!」


 真っ赤な顔でガーリックチーズパンにのせた牛の薄切りステーキをもそもそ咀嚼する、お隣さん、ではなく『MISA』……まだ信じられない。こんな小さな店で、客ふたりで、そのうちのひとりが歌手、もうひとりはその歌手を大好きな人間だなんて。できすぎだ。怖い。夢でも見てるんだろうか。
 炭酸水を飲むと、喉に少し染みた。ひりっとした痛みが、現実だと思わせてくれる。


「……何話したらいいか、急にわかんなくなっちゃった」


 ぽつんと呟く『MISA』
 席を立ったりしないんだと思った。あれだけメディアに出ないから、人とは距離を取りたいタイプなのかと思っていた。ファンとはなおさら、かと。


「なんでも、さっきみたいに、話しましょうよ」
「だって、がっかりされたら、嫌だ」
「がっかりって」
「『MISA』に抱いてるイメージ、とか、あるかなって思うから……変なこと言って嫌われたくない、です」


 ぱくりとかけらを口に入れて、もぐもぐする。やっぱりおいしそうに柔らかく微笑んだ。その笑顔が、言葉と一緒に胸をときめかせた。いつもステージの上で帽子をかぶっていて表情なんかわからなかったけれど、こうやって微笑んでいたり、したのだろうか。


「今、どんどん好感度上がってますけど」
「えっ。なんで?」
「えーと、いろいろな部分で。だから、普通に話してくれたら、うれしいです。って偉そうですけど」


 大好きな歌手に会ったけれど、意外と冷静だった。声が好きだという思いが一番強いからだろうか。歌を、いい歌をたくさん届けてくれた人。それ以上でも以下でもない。印象といえば声。もしこれで人柄を知っていたり顔を知っていたりしたら、もっと違う思いがあったのだろうか。


「……いい人だね。梨元さん」


 ふに、っと顔を崩すように笑う。
 あっまた胸がどきってした。

 『MISA』はそれから、引き続いて話をしてくれた。俺は甘いものを食べながら答えたり聞いたりする。『MISA』の部分に触れることはなく、部屋の植物が最近元気ないとか、ずっと好きで通っていた料理屋がスタジオにこもっている間に閉店してしまったとか。
 ふと黙って、こちらの顔をじっと見つめてくる。それから首を傾げた。


「……どうかした?」
「いや、もっと、聞いてたいな、って」
「MISAの日常だから?」
「声が好きだから。優しくて、静かで、落ち着く」


 散らかしたみたいに真っ赤になる。
 歌声と同じだ。表情豊かで、まっすぐ、素直。

 その瞬間に、すとん、と落ちたものがあった。
 『MISA』というのはこの人の中の様々なことを表現する部分であって、この人には、もっといろんな側面がある。おいしいものをおいしいと食べるところ、植物の様子にやきもきするところ、褒められて真っ赤になったり笑ったりするところ。

 かわいらしいこの人をもっと見ていたい。
 今日、俺は名前も知らない相手に恋をしたんだ。


「あら、あららー?」


 キッチンから、ケーキとアイスのプレートを運んできたひざしくんがにやにやする。


「ふたりして赤ぁくなっちゃって、どうしたの」


 隣をちらりと見る。
 目が合う。
 同じ色をしているんだ、今、きっと。


「……なまえ、を」
「うん……?」


 アイスを突く手を止めて、俺を見る。


「よかったら、上、だけでもいいから、名前、教えてくれませんか。俺、もっとあなたと会いたいんです。無理、かもしれないけど」
「それは……」


 スプーンを置く。
 真剣な眼差しが見上げてきた。


「『MISA』に、もっと会いたいってこと?」


 即座に、首を横に振った。


「それは、あなたの一部であって……あの、そこにも、たぶん……でも、それだけじゃないんです。俺、知らないあなたに、恋したから、もっと会って、たくさん話がしたいって思うんです」


 一目惚れなんて考えたこともなかった。誰かに好意を持つなんてことは。でもこんなに揺さぶられれば、それはきっと恋だ。


「……三ケ山 桜月」
「さつき、くん」
「桜の月で桜月。誰にでも名乗らないよ。梨元さんだから、だよ」


 柔らかな声で、眼差しで。
 『MISA』じゃない桜月くんが、俺を見て言った。


 家に帰ってから、色んな思いが押し寄せてきて叫び出しそうになった。スマートフォンの電話帳には三ケ山桜月とフルネームで電話番号とメールアドレス。メッセージアプリにはIDで登録がある。
 『MISA』が、すぐ近くにいた。
 そして桜月くんに恋をした。
 頭が爆発しそうだ。幸せで。桜月くんはどう思うかわからないけれど。好きになってくれるかな、とか、色々あるけれど、人を好きになるのはいつだって少し苦しい幸せを覚える。それに、まるで生まれ変わったみたいに心が弾む。
 明日、またレストランに来ると言っていた。桜月くんに会いたいな。はやく、明日になればいい。


 スマートフォンが鳴る。
 『MISA』の曲が着信を告げた。


「もしもし」
「蜂王」


 冷ややかな低音の異国語に、す、と、体温が引くような感覚を覚えた。
 この人の声は相手を冷やす。幸せとかなんとか、全部遠い世界のものにするんだ。


「……邵永進老大自らお電話くださるなんて」
「働きへの感謝を表したつもりだ」
「ありがとうございます」
「的を絞った。翌朝、そっちの時間で四時。『ラシャ』というバーから最初に出てきた男」
「馮がやるのでは」
「いや、お前に任せたい」
「わかりました」
「そちらでは、梨元、と名乗っているんだったか、蜂王。親が恋しいのか」
「とんでもない。俺の親は……邵永進老大ですから」
「そうか。また電話する。気をつけてな」
「ありがとうございます」


 電話しながら、台所に移動していた。床へ膝をつき、マットを退かす。切れた電話はステンレスの作業台へ置いた。
 床下収納庫の鍵を開け、蓋を外す。
 ずらりと並んだ黒い殺意。その中の一丁、もっとも手に馴染むのを取り出してグリップを握る。弾は寝室の引き出しの中。サイレンサーもそっちだ。

 無造作にダイニングテーブルの上へ置いて服を脱いでシャワーを浴びた。
 曇らないガラスに映る自分の裸体。傷痕だらけで、きれいだった数少ない場所には色鮮やかな刺青。そして、左胸、左右の腕の肘を挟んで上と下の内側二箇所、後ろを向けば項と腰の真ん中、右足の付け根の僅かに上、左足の裏に古い、今はすでに滅びた民族文字で刻まれた『四號街』
 忠誠の証。

 ガラスに額をつけて目を閉じる。
 桜月くんの優しい笑顔と『MISA』の歌声が蘇ってきた。
 けれど、先程のように幸せは湧いてこなかった。
 ただ、苦しいだけだった。




「あれ、梨元さん、来てない?」
「こんばんはー。今日もありがとうございます。梨元さん、電話ないから来ると思いますよ」
「そうだといいんですけど。今日は何食べよっかな」
「お魚がオススメです。白身魚」


 昨日と同じ席に座った桜月は、梨元にメッセージを送った。待ってる、という内容。
 梨元は嘘をつかない気がしたし、優しそうだし、何より言葉に不純が混ざっていなかったから桜月も好意を抱いた。関係を続けていったらそう遠くないうちに梨元に答えを返せる気がする。
 ふふ。
 梨元が好きな笑い方で、白身魚をメインに据えた注文をする。
 しかし、その日、ラストオーダーの時間を過ぎてもメッセージに既読の表示は出なかった。



 『MISA』のデビュー五周年、記念のコンサートは満員だった。グッズ販売に多くの人が並び、開場直後に客席がすぐ埋まる。
 楽しみにしている顔を、スタッフに紛れ込んだ桜月は見て歩いていた。ステージに上がればひとりだけれど、ひとりじゃないとわかる。心が強くなる。コンサート前恒例の客席巡回。

 それを終えて、楽屋へ戻った。
 ロビーに飾った花とは別に、色とりどり豊かな花が小さなバスケットに咲いている。
 刺さったカードを見て笑い、ホルダーから外す。衣装に着替えてから、そっとそれを胸元に差し込んだ。

 いつもと変わらない、暗いステージ。
 しかし頭上には星の形の照明が瞬く。バンドがかき鳴らす音に乗り、強くも弱くもある、複数人いるかのような歌声がはるか後ろまで届いた。


「……いつもは、あんまり喋らないんですけど」


 五曲を終え、客席が静かになる。
 『MISA』がステージで喋ることは滅多にない。歌って、歌って。話す代わりに歌を、と、公式サイトにも載っている。


「ただ、今日は五年の節目で、いろいろな思いが『MISA』にもあるので、少し話そうかな、と思います」


 拍手が、ステージを包む。


「たくさんの人に支えられて五年、やってきました。好きだって言ってもらえて、聞いてもらえて、すごく、言葉にならないくらい、嬉しいです。いつもありがとうございます。『MISA』のスタイルは少し違うから、受け入れてもらえるのか、最初はとても不安でした。いや、最近まで、かな。でも、声が好きだって言ってもらえて、それで救われました。スタイルなんて関係なく、歌が、好きだって」


 ふ、と、『MISA』が息を吐く。


「……人と話すことが小さい頃は苦手でした。言いたいことがたくさんあるのに、喉に詰まって出てこなくて、無言になってしまう。詰まったものが腐っていくみたいで、苦しくて、辛くて、どうしたらいいかわからないときに、歌と出会いました。歌は『MISA』を救ってくれました。『MISA』の歌が誰かを救う、なんて、考えたこともなかったけど、今は、誰かを慰めたり、寄り添ったり、涙や怒りを表すきっかけになったらいいな、と、思います。どこにいても、誰といても」


 拍手が鳴る。
 暗がりで、『MISA』が頭を下げた。


「……さて、次の曲は、次回発売のアルバムに収録予定なんですけど、今日先にやりたいと思います。一目惚れが題材というか、一晩で心をつかまれて、なのにその相手が消えてしまうっていう、ちょっと寂しい歌なんですけど、実は希望もあったりするので、聞いてください」


 ギターの音がする。他にはなにもない、一本だけの弾き語り。
 滑らかで、でも悲しげな硬い金属の音の混じるメロディ。それに『MISA』の静かな歌い出し。
 出会って、話して、それは数時間のことで淡い気持ちを残しただけのはずだったのに、日に日に想いが強くなる。会えない、連絡もない。でも、終わったわけじゃない。想い続ける限り全ては続く。
 そんな歌だった。
 少し掠れた歌い方が、何度も何度も会えない相手に呼びかけた後のようで切なくなる。それでなお、終わらないと言うのがなんとも言えずに揺さぶった。


 コンサートが終演し、楽屋へ戻る。
 すぐに桜月は着替えて挨拶に回り、打ち上げを早々に抜けて夜道を歩いた。レストランへ。
 一か月前にたまたま見つけた、道の角にちょこんとあったやる気のない看板。奥へ進むとこぢんまりしたレストラン。
 りん、とベルが鳴る。すっかり聞き慣れてしまった。


「……今日のコンサート、すごくよかった、です」


 笑うその人に、涙が溢れた。
 カードに書いてあったのは、今夜レストランで、という文字。と、なんか変な丸。


「あの変な丸、なに?」


 ぐずぐずしながら桜月が尋ねる。
 梨元は首を傾げた。


「梨元の、梨」
「へたすぎる……なんで梨の表面がぐるぐるしてるの」


 ぎゅう、と抱きしめられて、泣く。


「最初の印象は声だったんだけど、どうしよう」
「なに、が」
「桜月くんがかわいいから、全部かわいいに塗り替えられそう……あんな熱烈なラブソングまで書いてくれて……」
「塗り替えていいよ。あと健気って下に書いといてね。太文字で。ずーっと、ずーっと、考えてたんだから」
「わかりました」





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