小説 | ナノ

ヒーロー


 

卜部 安尋(うらべ やすひろ)
神保 裕介(じんぼ ゆうすけ)





 小さい頃のおれは、いつも何もない空間を見て突然怯えたり泣き叫んだりして親を困らせたらしい。

 二歳頃のある日、親類の葬儀へ出かけた。山奥ののどかな村、由緒あるお屋敷でおばあさんがなくなったのだ。
 出棺、というときに、おれの姿が見えないことに親が気づいた。そして火でも点いたかのように激しく泣いている声が押し入れから聞こえたという。故人が生前に寝起きしていた、一階片隅の部屋。ちなみに、おれのその当時の記憶はほぼ無い。

 さて、わんわん泣いている割に出てこない。
 大人の男が数人で押し入れの襖を開けようとしても開かない。びくともしない。いたずらに入り込み何かが突っかかったのか、壊そうか、くらいの話まで出たという。

 そんなときにすっと出て来た男性がいた。

 さして力を込めたようにも見えなかったようだが、あの襖が簡単に、すらり、と開いたそうだ。
 泣いているおれを抱き上げ、あやす。途端にぴたりと泣き止み、指を口に含みながらぎゅっと抱きついて離れなくなった。
 結局そのまま通夜を終え、会食の席もその男性と一緒に過ごした。別れる時間になっても離れたくないと泣き、だいぶ困ったと。

 禿頭、銀縁眼鏡の奥にややキツめの一重の目元、通った鼻筋、白い滑らかな肌。ブラックフォーマルが似合う細身の男性。

 突然泣き出すおれが、その人がいると全く泣かないで眠りだす。家が近いことを知り、親が時折訪ねてくれるよう頼んだ。
 男性はそれを快く承諾し、たまに来てくれるようになった。

 今も。
 もうあまり、泣かなくなったけれど。


「おはよう、ぴーちゃん。よく眠れた?」


 少し高めの、けれど落ち着いた大人の声に意識がはっきりした。

 目を開けると、カーテンと窓が開け放たれていた。爽やかな春の朝の空と咲き乱れる桜の木。そしてその前に立つ男前。すらりと長身細身、黒いハイネックに黒いパンツという姿で、相変わらずの禿頭銀縁眼鏡、鋭い目はしかし笑うと優しげに見える。
 この神保裕介さんは、おれのヒーロー。


「だれかが……ひとばんじゅう足ひっぱってきた……ぜんぜんねれなかった……」


 ここ数週間ろくに眠れていない俺の目には眩しい日光。だるく、重たい身体は起こすのも辛くて、うつ伏せのままぼうっと見つめる。
 窓を閉めた。
 顔の角度が変わったことで、煌めく鼻の左側のピアス。眩しさに目を閉じる。そこまで強い光じゃないのに、寝不足のせいなのか辛い。


「辛いね」


 見透かしてでもいるのだろうか。
 気配が近づいてきて目を開ける。足元に立って、掛け布団を捲る。


「すごい」


 ぱしゃり、スマートフォンのカメラで撮影。見せてくれた画面に写るおれの足首はどちらにもくっきりと、手、というか指のかたちのあざ。
 日に日に濃くなり、今やどす黒い。毎晩引っ張られていればこうもなるのだろう。

 神保さんがベッドへ座ったから腰のあたりへ腕を回して鼻先を寄せ、息を吐く。服には香の匂いがしっとりと染み込んでいて、吸い込むとなんだかとても落ち着いた。


「ぴーちゃんは相変わらずモテてるね」
「こんなモテ期ならはやく終わってくれていい……」


 泣いているわけではないが、ぐすん、と鼻を鳴らす。


「泣き虫ぴーちゃん」


 ぴぃぴぃ泣くからぴーちゃんだ、と、あだ名をつけた神保さん。今はそんなに泣かないのに。ぐず、と鼻がなるのは、きっと花粉か何か、だ。


「からだが重い」
「眠れないと嫌だね」
「うん」
「じゃあ、なんとかしよっか」


 軽い声。
 なんとかできるならもっと早くなんとかしてほしかった。できたら辛くなる前に。
 非難をこめた無言に気付いたのか、さらりと頭を撫でる手。


「怒ってる?」
「怒っては、ない。だから、早くなんとか……してください……」
「ぴーちゃんの頼みとあらばなんなりと」


 軽い口調。
 立ち上がって、再度足元へ。ベッドと壁の隙間が僅かにある、その前へ片膝をついてしゃがみ、右手の中指と薬指揃えて立てる。長い指。下唇へ指先を軽くつけ、低くなめらかな声で、不思議な抑揚のことばを小さく唱えた。

 ぱん、と、乾いた音が、一度大きく響いた。家鳴りにしては大きく、なにか弾けたような。
 なんの音だろう、と考えていたら急速に気が遠くなって――

 いつの間にか閉じていた目を開けると、窓の外の青かった空はオレンジ色に染まっていた。

 窓の下の壁へ寄りかかり、本を読んでいたらしい神保さんが、顔を上げておれに微笑む。


「おはよう」
「おはよう」


 身体が軽い。うつ伏せから仰向けになり、伸びてみる。だるいところなどなく、ふわふわと軽やか。
 全然違う。
 そう思っていたら視界に神保さんが入ってきた。ベッドの隣に立ち、上から覗き込む。


「足から身体にべったりくっついてたから、引き剥がした時の反動が大きかったみたいだね。気持ち悪いとかない?」
「うん。快適すっきり」
「それなら良かった。でも、ほんとにねぇ、」


 嫉妬するくらい、だったよ。

 何が起きたかわからなかった。
 すっ、と身体を沈めた神保さんの唇が、唇へ触れた。おれの唇に。


「……ぴーちゃんが、すきだよ」


 すぐそこで笑む、神保さんのかっこいい顔。きれい、だ。


「……神保さんって、こういうことに興味ないのかと思ってた」
「どうして?」
「なんか、飄々としてる、っていうか……あ、浮世離れしてる」
「難しい言葉知ってるね」
「この前学校で習った」
「へー」
「だから、すき、とか、きらい、とか、そういうのないって」
「そんなことないよ。ぴーちゃんだいすき。すきすき」


 不思議な力でおれを助けてくれる、おれのヒーロー。ヒーローが、急にひとりの男に見えた。おれを好きだと言う、優しくてきれいな男の人、だ。
 そうなると急に恥ずかしく、照れてしまう。キスされたことを思い出して、ただびっくりするばかり。


「ぴーちゃんのこと、一生見守りたいな」


 起き上がると抱きしめられた。
 確かに、神保さんがずーっと一緒にいてくれたら、嬉しい、けど。


「……まだわかんないか。急に言われてもなんにも言えないよね」


 腕の中で頷く。


「気長に、考えてくれたら嬉しい」
「うん」


 ふと、背中に気配を感じた。
 あんまりよくないやつ。小さい頃ならぎゃんぎゃん泣いていたやつ、だ。身体をこわばらせると、神保さんの腕がきつくおれを抱く。「大丈夫だよ」と柔らかな声が囁いた。


「部屋から出て待ってて」
「外に、いたりとか」
「この部屋以外は安全だよ。さっき暇だったから清めた」
「部屋もやってください……」
「ぴーちゃんがいるとむり」


 どういうことなのか、わからない。
 聞こうと顔をあげたら、微笑む神保さんと目があった。


「はい出て出て」


 いつになく強引に背中を押され、廊下へ。




「……ちょっと、効きすぎたかな」


 ベッドの裏へ手を伸ばす。
 べり、と、テープが剥がれる音。筋のある美しい造形の手に握られているのは五センチほどの木の板。人型をしていて、表面に墨で字が書きつけてある。
 なかなか硬そうなそれを、簡単に手折る。そしてデニムのポケットへ押し込んだ。


「ぴーちゃんのこと好きすぎだな、俺が」


 自分の中にあるどろどろした想いを形にして文字にして人形に込め、ちょっと困らせて頼ってもらいたい、なんて、子どもじみたことを考えたのがいけなかった。
 まさかあんなにべっとり、油みたいにまとわりついて精神まで削ってしまうとは。実に申し訳ない。

 ぴーちゃんにあんな風に影響するとは、本当に思わなかった。

 廊下でうろうろそわそわしているだろう、少年を思い浮かべる。
 背が伸び、大人になりつつある。可愛らしく表情豊かで、ちょっと恥ずかしがりだけれど、素直だ。子犬ちゃんか小鹿ちゃんのよう。
 その混じりけのない瞳が、清廉な身体が、実に旨そうに見えて人も霊も惑わせるなどと本人は気付いていないだろう。

 息を吐き、二回、鋭く手を打つ。
 風が一瞬吹き抜けた。淀んでいた空気が清浄になる。


「……今日からはゆっくり眠れるよ」


 ぴーちゃん、と優しげな声を出しながらドアノブへ手を掛ける。
 ずるり、と音がしたのは窓の外。
 神保は振り返りもせず、呟く。


「堕ちろ」




 異様な声が遠く聞こえた。
 廊下で、身体を震わせる。


「ぴーちゃん」


 名前を呼ばれて、姿が見えたのに安心して抱きつく。しっかりした身体になりつつある少年を、神保の腕が柔らかく抱きしめた。





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