小説 | ナノ

自動販売機


 

松岡 北十(まつおか ほくと)
にゃん





 いつもと同じ自動販売機の前だった。白っぽい明かりの中で座って膝を抱え、浅い眠りの淵をうとうと。けれど足音で目を覚ます。


「……またこんな時間に、ひとりで」


 いつもとまったく同じ台詞を呟いて優しく肩を揺すってくれた。


「にゃん、俺。起きて」


 本当は起きてるけどあえて寝たふりを続けた。
 じゃり、と足元の砂が鳴る。


「にゃん」


 しっかりした指が頬をつまみ、目を開けたら微笑っている顔がすぐ傍にあった。


「おはよう」


 凛として少し甘いこの綺麗な声が好きだ。
 青いワイシャツに紺のスラックス、白い手袋と帽子とその他諸々。
 明らかに警察官の服装。
 すぐ近くの交番に勤務している、巡査部長の松岡さん。


「こんなとこで寝てたら風邪引くよ」


 いつもいつも飽きないねと、苦笑のような表情を浮かべる。
 立ち上がった松岡さんにつられるように一緒に立つと、視線の差が激しかった。
 大きくないと警察官にはなれないのかな。
 見上げたら頭を撫でられた。


「約束、守ってる?」
「守ってるよ。切ってないし袖引きもしてない」


 前は俺の右腕にも左腕にも傷がたくさんあったけど、今は全部痕になった。手首にあるシルバーのブレスレットが目に入ると気が失せる。
 不特定多数の人と寝るのも、やめた。あったかいけど嫌なこともあったし、誰も俺だけを愛してくれないことに気付いたからだ。

 松岡さんが現れ、話しかけてくれた次の日から全部辞めた――なんて、我ながら単純だ。でも、例え仕事の一貫であっても優しくされたことのない俺には大きな存在。
 言わないから、すきでいてもいいよね?
 そう、思っていた。


「約束をきちんと守ってるにゃんにはこれをあげよう」


 じゃん! と、低音で。かわいい。


「チョコレートケーキ」


 片手に持っていた白い袋を俺の目の前にかかげた。
 確かに甘いものはだいすきだけど――


「……ここで食べるの?」


 吹きっさらしの砂利道でふたりでケーキつつく?
 聞いたら、まさかと松岡さんは笑った。


「俺の家、この近くだからおいで」
「え……」
「あ、それからこれも渡そうと思ってた。手ぇ出して」


 もう片方の手でスラックスのポケットを探り、拳を突き出してきて。
 反射的に手のひらを差し出すと鈴の音と一緒にぽとりと手の平に、落ちてきた銀色のそれ。
 黒猫のキーホルダーが付いた鍵。


「俺の家の合鍵。いつもにゃんがここにいるから心配になる。それより家の中にいてくれたほうが安心」


 なんでそんなに優しいの?
 俺なんかに笑いかけてくれたって、松岡さんになんのいいこともないしあげられないのに。


「……ぅー……」


 ぶわりと、一気に涙が溢れだす。
 鍵を握り締めて松岡さんに抱きついた。


「よしよし」


 青いシャツは少し煙草のにおいがして、でも柔らかで甘い匂いがした。


「俺のになりな、にゃんちゃん」


 耳の後ろを優しく撫でながら言われて、何度も何度もうなずいた。
 生まれて初めて胸がときめく。
 言ってはいけないと思っていた言葉を、言ってもいいのかな。


「……すき、松岡さんが、すき……」


 そのまま泣きじゃくる俺の手を引き、俺がいつも座っていた使われていない自動販売機の脇の路地に入った。
 突き当たりにある古い一軒家が松岡さんの家だと、教えてくれる。
 年季の入った小さな建物。
 俺を家に入れ、ストーブを点け、お風呂や寝る準備をしてくれて松岡さんは交番へ戻っていった。ケーキは次の日に持ちこし。

 次の日の昼間、丸い卓袱台にふたり座ってフォークをケーキに直接刺して食べた。丸くて大きな素敵なケーキ。
 なぜだか松岡さんは俺にはフォークをくれなくて、仕方なくその手がくれるケーキを食べた。
 とってもおいしかった。


 部屋着のラフな格好に着替えた松岡さんは制服よりも若くかっこよく見えてなんだか照れたけど、慣れなくちゃ、と思った。


 それから三年くらい経って、あの自動販売機はなくなってしまった。でも、変わらずその通りをよく歩いている。
 松岡さんと一緒に。





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