小説 | ナノ

恋する本の虫 3*


鳥尾 朝霧(とりお あさぎ)
在濱 炎(ありはま えん)





 鳥尾が通うのは歴史のある立派な私立学校ではあるが、少々不便な立地である。周囲は木に囲まれており、山に沿っているため坂道が多い。遅刻などしようものなら汗まみれの全力登山、心臓破りどころではない坂が、まるでそう設計されたかのように門前後のあちこちにある。

 さて、そんな敷地環境なので、夜八時にもなれば当然真っ暗、少し行かなければ駅も民家もなにもないという状況。しかし部活終わりの生徒やサークル帰りの学生は街灯がぽつんぽつんと立つだけの夜道を平気な顔で歩いていく。変態やらなにやら、そういった犯罪関係のことには無縁で、創立百四十八年間変わらず平和だからだろう。

 図書館の灯りが消えたのは九時ごろ。裏門から出た、深緑の車は校舎裏手の山のほうへと向かっていく。

 運転席には眼鏡をかけた穏やかな顔つきのおじさん、助手席には窓の外を見つめる制服姿の男の子。少々気だるそうな、棘のありそうな顔つきを今は不安そうに曇らせて暗闇を見ている。膝の上に置いたかばんを落ち着かない様子で撫で撫で。


「大丈夫ですよ」


 低い声が、車内に落ちる。


「家までは、すぐですから」


 校舎の裏手にあるとはいえ、登ったことのない山。うねうねした暗い道をすいすい進む在濱に不安を感じていたわけではないが、鳥尾は小さく頷いた。首肯から少し遅れて「はい」と声を出す。しかしそれは、自分で思った以上に小さかった。そして、不安と緊張が現れていた。

 僕の家に来ませんか、と、在濱に誘われたのは先週のこと。いつものように仕事を終えた在濱の車で駅まで送ってもらい、そこで停まってお話をしていたときのことである。


「在濱さんの、お家?」


 着崩した制服に少々険のある目つき、同年代の中でも大きいほうの体格。あまりまっすぐな生徒ではないのかと思われやすい鳥尾は、意外と素直に表情を表す目をぱちぱちさせながら運転席の在濱を見つめた。
 在濱はそんな可愛らしい恋人に笑いかけ、頭を撫でる。固めの黒髪の感触。鳥尾も撫でられるのが心地よくなったようで、目を細めるしぐさが駅からの明かりの中で見えた。


「ええ。来週の週末、泊まりに来ませんか」
「泊まり」


 頭から赤インクでもかけられたのかと思うほどに赤くなる、初心な高校生。たまらない反応に、在濱は優しげな笑みの中で目を光らせた。少々意地の悪いそれに鳥尾は見覚えがある。道でキスをしてきたり、人がいるのに図書館でいたずらをしかけてきたり、そういうことをするときの目だ。
 身を引いて背中を助手席のドアに押し付ける。その分在濱が身を乗り出してきた。小さな車内、ブレーキレバーのこちら側に手を置いて鳥尾へ顔を近づける。


「何を考えたんですか。僕はただ泊りのお誘いをしただけですよ」
「わかってますっ」
「それだけでそんなに真っ赤に?」
「べ、別に何にも、考えてないです」
「本当? なにかやらしいことされるって、期待したんじゃないんですか」


 こんな、と、空いているほうの手がするり、妖しく鳥尾の太股を這う。上へと滑った手のひらは、足の間へ――行く前に、体温高めの手によって止められた。


「おれは、こういうの、その、わかんないです」
「……初めてですか」
「悪いですか」


 ふいっと逸れる不安そうな顔。童貞処女という思いがけない事実に在濱は笑った。今まで図書館やらこの車内やらあちこちでちょっとえっちないたずらを仕掛けたこともあるが、敏感にぷるぷる震えて真っ赤になる様子から、誰かに触れられたりした経験があるのでは、と踏んでいたのだが――嬉しい誤算である。
 遊びなれている柔らかな身体の子も、思いが通じた相手だけに身体を委ねてきた子も好きだ。けれど、何も知らない子も好きである。恋人がどんなタイプであれかまわないと思っていたのだが、自分の手でそういうことを教え込めるというのは、一種独特の興奮を感じずにはいられない。


「初めてですか、そうですか」
「……全然、わかんないです」
「大丈夫ですよ。僕が全部やりますから、朝霧くんは僕を信頼して身体を預けてくれればいいんです。あと、嫌なことがあったら嫌だって言ってくださいね」
「……それって、歯医者で言う「痛かったら右手上げてくださいね」って言われて素直に上げたら「我慢してくださいねー」って言われるパターンのあれじゃないですよね?」
「……」
「なんで黙って笑うんですか。不安です」


 そんなやり取りを経て、本日初めて在濱の家へ。
 車が停まったのは開けた場所だった。山に入って二十分ほど経っている。


「外は寒いですから、すぐ家へ入ってくださいね」


 ドアを開けると確かにひんやりした空気だった。しっとりとした森の香り、葉っぱや土や木が確かな存在感を出していて、人の気配のほうが異質に思える彼らの土地。
 共存しているのは、洋館だった。とがった屋根や黒い門があり、立派だが小ぢんまりとしていて周りにすっかり溶け込んでいる。雲から抜け出して降り注ぐ月明かりに照らされたそれはまるで外国のお化け屋敷。
 映画ではCGで再現されそうな建物が目の前に鎮座している事実に、物語大好きな鳥尾はいささか興奮していた。おかげで緊張も不安も吹っ飛んで、ただ目を輝かせている。


「どうぞ」


 にっこり笑顔に招かれて、不思議な雰囲気の家へと足を踏み入れた。


「ここは曽祖父が別荘として建てた家なんです。それを僕が譲り受けて、成人してからはずっとこの家に住んでいます」


 両開きのドアから入ってすぐに電気を点ける。照らし出された玄関ホールは広くて、右側に螺旋階段、左側にサロンのような場所。奥にはいかにも豪華なリビングらしき場所がドアから覗いている。
 お邪魔します、と玄関で靴を脱ぎ、きちんと揃えると在濱に頭を撫でられた。
 いかにも掃除が行き届いた清潔な家の中は大好きな在濱の匂いで満ちている。どきどきしながら鳥尾は、背中についてリビングへ。整然と並んだ家具、使用感のあるダイニングキッチン、ワインクーラーや高そうなお酒のボトルが並ぶラックをしげしげ見つめる。


「ソファにでも座っていてください。お茶を入れましょう」
「あ、はい」


 壁際の柔らかな低いソファに座る。テーブルを挟んで少し離れた向かいに壁掛けの薄いテレビ。在濱はテレビを見るのかと、なんだか新鮮な発見だった。てっきり活字しか読まないのかと思っていたからだ。


「鳥尾くんは、紅茶が好きですか。コーヒーとほうじ茶もありますが」
「紅茶、すきです」
「そうですか」


 真っ白な陶器のカップに入った琥珀色の液体。芳醇な香りが漂うそれを鳥尾の前とその隣に置いた在濱は、ごく自然に鳥尾に触れるほど近い場所に腰を下ろした。


「家が気に入ってもらえたようでよかったです」


 ゆるやかに腰を抱かれ、低い声が耳をくすぐる。紅茶を取ろうと手を伸ばしていた鳥尾はそのまま手を引っ込め、膝の上に置いてわずかにうつむき固まった。緊張と不安がぶり返したのである。
 そんな様子をほほえましく見た在濱は、鳥尾の顎に細い指を掛け、こちらに向けた。
 泣きそうなくらいの顔。そっと唇を触れ合わせるとそれだけで身体を震わせる。なんて可愛いのだろうか、僕の恋人は。可愛らしくて、純粋で、とっても素敵だ。


「……お風呂に、入りましょうか」


 唇が離れたあと、鳥尾はもう何もいえなかった。ぼんやりした目でただ頷くだけ。
 紅茶はそのままに、恋人の手を引いて在濱はバスルームへと消えていく。




「あ、りはま、さ」


 年季の入った美しい絵のタイルに猫足の真っ白なバスタブ。まるで予想を裏切らない洒落た浴室に反響する若い声。在濱は、首にしがみついて鳴く恋人の狭かったそこを今や指三本で押し広げてかき混ぜている。
 すでに前立腺と思しき場所を探し当て、さきほどから何度となく押し上げては奥へ奥へと進んでいる。泡風呂の中には鳥尾の体液も多分に混ざっていることだろう。


「あっ、だめです、んん、」
「だめですか、ここは」
「だめです、っ」


 ぎゅうっと締まって、この中に入り込んだらさぞ気持ちがいいだろうと思わせるような蠢き方を指で感じる。在濱は鳥尾のこめかみや頬へ口付け、頬を摺り寄せる。指の動きを止めて抜くと、しばらくしてから顔を上げた。力が入って縮こまっていた身体がふっと緩む。
 涙を浮かべた目。凛々しさ、鋭さはなりを潜めてすっかりとけている。その目には痛さではなく、気持ちよさがあることが読み取れた。


「良かった」


 そうつぶやいて口付けた在濱。唇が離れて、肩へ顎を乗せた鳥尾は軽く首を傾けた。ちゃぷ、と、泡の下のお湯が鳴る。在濱は手を伸ばしてお湯を出した。すっかり水のようになっていたからだ。


「なにが、良かったんですか」
「君が気持ち良さそうで良かったな、と。本当に痛がって嫌がったら、やめるつもりでした」


 滑らかな肌触りの若い肌を手のひらで撫で、適当なところでお湯を止めた。よいしょ、と、鳥尾を抱きしめる。


「片方が良い思いをするだけの行為などする意味を持ちませんからね」
「そう、なんですか」
「ええ」


 まぶたや額に唇で触れ、濡れた手を鳥尾の髪に差し入れて後ろへ流す。


「身体を洗ってあげましょう。続きは、またあとでゆっくり」
「……はい」


 にっこり笑った在濱の手に掴まり、湯から上がる。在濱の身体には贅肉らしきものは見えず、かといって痩せているわけではない。中肉というのはこういう体型を言うのだろうかと思いつつ、何気なく見てしまった、下腹部。


「……」
「……まじまじ見られるのは、なんだか」


 ぽりぽり頬をかいて少し困ったように、けれど優しくやさしく笑う在濱。しかしその下腹部にはまったく優しそうではないものが。


「……在濱さん、こちらを、おれに、その、あれこれ、するんですか」
「ええ、まあ」
「……」
「無理やり入れたりとか、しませんから。大丈夫ですよ」


 言い聞かせるようにして、洗い場の椅子へ鳥尾を座らせる。柔らかなタオルにボディーソープをもみこんで、身体を丁寧に丁寧に洗ってあげた。ときどきキスをしたり、やらしいいたずらも織り込みながら。

 本を扱うときだけではなく人に触れるときまでこんなに優しいのかと、鳥尾は胸の奥がときめくのを感じる。さっきも、痛いことはほとんどなかった。異物感はあったけれどそれもどんどん薄らいで、最後はいくつ指が入っていたのかわからないくらい気持ちが良かった。指とは思えないくらいに。
 思い出すと、きゅんと後ろが蠢いてしまう。身体を流してくれる手が、触れる指が、身体の奥も優しく可愛がってくれないかと思う。けれどあんなもの、本当に入るんだろうか。

 百面相をしている鳥尾を鏡越しに見ながら、在濱はこっそり笑った。
 やっぱり彼はとてもとても、可愛い。


 さて、それからどうなったかというと。
 ベッドで優しく丁寧に身体をほぐされた鳥尾は、今までに経験のない快感だったせいか、挿入にいたることなく寝てしまった。ある程度想像のうちだった在濱は翌日、いつ寝たのかも記憶になくて動揺する鳥尾に「昨晩は大変結構でした」など、撹乱して遊ぶのだった。あの意地の悪い光を宿した目をして。

 送ってもらったのは夕方で、それまでじっくり家の中を見せてもらった鳥尾。素敵な書庫やおとぎばなしに出てきそうな二階の部屋たちを見てすっかり気に入って、また来週末も来る約束をしたのだった。




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