嘘()兄と弟
友雅(ともまさ)
優(ゆう)
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「いい子だから、ゆっくり息して。そう、おれと一緒に」
温かい腕の中で穏やかな声と呼吸を聞く。焦れば焦るほどなかなか息が整わない。それなのに少しもいらいらしていない様子でくり返しかけられる優しい響きに、戸惑いながらも少しずつ呼吸を合わせると頭を撫でてくれた。
「うん。上手だ」
すると苦しいのが少しずつ収まり、やがて普通に息ができるようになった。そのままベッドへ運ばれ、もう怖い夢魔には襲われないとはっきりわかりながら、安心して目を閉じた。
*
腕の中で眠る十七歳下の『弟』
もし、自分が兄ではないと知ったらどんな顔をするだろう。悲しむだろうか、怒るだろうか、変わらないでいてくれるだろうか。何にせよ怖くて言えないままでいる。
言うときはおそらく、なにもかもが白日のもとに晒されたときだけだ。
*
「兄ちゃーん! ただいまー!」
裏口から診療所内に響くはつらつとした明るい声。恒例の声に、待ち合いの患者たちは口元をほころばせる。
診察室から顔をのぞかせた兄・友雅は柔らかく微笑み、おかえり、と言った。
「優。患者さんから貰ったさつまいも、ふかしてあるから食べな」
「はーい」
こうして診療所に一旦行って声をかけ、それから帰る。家は診療所の裏側へ回って清流を超え、山道を少し行くと木々の間に建っている。農家林業で栄えたことのあるこの辺りの家に比べれば小さな家だが、ふたりで住むには十分な平屋。
居間のちゃぶ台の上に大皿があり、ラップがかけられたさつまいもがある。ひとつ取り、半分に割ってからかぶりついた。優に好き嫌いはない。強いて言うなら友雅に危害を加える人間が嫌いなだけだ。
山や川、谷を縦横無尽に駆け回り、近所の家の畑仕事や稲作などを手伝って育った優はたくましく立派な青年に成長しつつある。日焼けした肌、のびやかなからだ。上背もいつの間にか兄を追い越した。近隣の娘から熱い視線を受けていることにも気づいている。
それでも優には、友雅以上に興味を持てる存在がない。初めて自慰をしたとき以来、頭の中に作り上げた【いやらしい友雅像】がいつもちらつく。
甘くて黄色いさつまいもを咀嚼している今でさえ、兄の白い肌もきっと甘くて旨いのだろう、などと考える。
「優」と幼い頃から優しく語りかけてくれる声を淫らに溶かして柔らかそうな唇とまるごと心ゆくまでむさぼりたい。白衣と清潔なシャツの下の肌を日焼けした手で撫で回して恥ずかしがる顔を見たい。黒いスラックスの下に履いている下着の上から兄の蜜棒をかわいがって、丸い尻の間の秘密の場所へ――。
妄想は何度もした。もっと進んだ妄想だってよくする。
兄に好きだと言ったら、どうなってしまうのだろうか。優は二本目のさつまいもに手を伸ばしながら深いため息をついた。
むりやりどうにかなりたいとは思わない。家にいて、一緒にいられるだけで幸せだからだ。
*
最後の患者を診療所の外で見送り、そのまま鍵をかけて裏へ回る。そこですでに見える家の明かりは何度見ても友雅の涙腺を刺激する。窓やサッシにはカーテンがかけられ、それを透かして溢れる光。欲しくてたまらなかったものがすぐそこにある。
「ただいま」
玄関を開けながら声をかける。
すると居間の向こうの台所から可愛い弟がすっ飛んできて、満面の笑みで「おかえり!」の言葉をくれる。温かい夕飯の匂い、元気な弟。
たまらない幸せが、胸を満たす。
一緒に食事をしながら話をして、弟の課題を見ながらカルテの整理をして、風呂に入って布団を敷いて寝る。
「兄ちゃん、明日は試験だから早く帰るわ。お昼作るっけね」
「わかった。頼むね」
真っ暗にした居間の隣の部屋、布団を並べて眠るのは当たり前。幼い頃の優は呼吸困難になったり夜泣きする発作を持っていた。最近はないが、中学生の時に一時期ぶり返したことがある。身体が大きくなったせいなのか生死を彷徨うレベルの発作で、心細くなったのか一緒に寝たいと切り出してきたのは優だった。
やがて聞こえてきた寝息。目を閉じて今日一日の平穏に感謝する。
どうか、明日も明後日も、このままの日々が続きますように。
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