小説 | ナノ

ピアノと喜びちゃん 4


コンスタンティン
樫戸 喜代(かしど きよ)





 夜の国際線ラウンジで、黒いソファに座ったコンスタンティンは難しい顔のままスマートフォンを見つめていた。画面には喜代が寝ている時にこっそり撮った写真。ピンク色の髪に藍の目をしたコンスタンティンの天使。その天使を独りにすることについて、大いに不安がある。できることなら連れていきたい。
 これから一か月、アメリカのあちこちを回ってオーケストラとコンサートを開かねばならず、もしこれが古くからの馴染みである指揮者でなければ絶対に断った。断われない相手だから泣く泣く行くのだ。
 とは言え本気。DVDでまた演奏風景を送ってくれるだろうから、みっともないと自分で後悔する演奏にはできない。
 久しぶりに本気を出せる喜びと、喜代をおいていかなければならない不安。ないまぜになった妙な興奮具合を持て余して難しい顔でいる。


「こすちゃ、どこ行くの」


 昨日、学校から帰ってきた喜代は首を傾げながらコンスタンティンに尋ねた。玄関にスーツケースがあるからだ。
 ピアノの前に座っていたコンスタンティンはなるべく明るい音を適当に弾きながら「しばらく演奏に行く」と答えた。


「……どのくらい?」
「一か月」
「一か月」


 おうむ返しに呟き、俯く。


「こすちゃ、一か月いないんだ。最近たくさん、夜も朝も練習してたから」
「ワカッテた?」
「うん」
「ごめんね、イウのがオソかった」
「うん」


 喜代のほうへ身体を向け、腕を伸ばすと近寄ってきてコンスタンティンの首へ腕を回し、抱きついた。ひんやりしたワイシャツの感触が徐々に体温で温かくなる。


「喜びチャンに、鍵アズけるよ。ピアノ弾くトキはハイって。サミシイのも」
「……っ」


 喜代が何かを言いたげに息を止める。そっと離して顔を見ると、一生懸命考えているらしかった。両手を取り、ゆっくりで、となだめる。


「ここに来ても、いないよね? こすちゃ」
「うん」
「……嫌……」
「イヤ?」
「うん」
「ドウして?」
「えっと、あの、さみしい、から?」
「……ソウか」


 喜代の口から言葉が出たのも、言ってくれるのも嬉しい。嬉しいが、悲しくもある。寂しいという言葉を覚えさせてしまった。たまらず再び強く抱きしめ、ごめんね、と言う。
 ここに来ない、泊まらない日は施設に帰る。喜代が八歳の時から入っている精神療養施設。明るく優しい雰囲気で、コンスタンティンも何度も訪れ、演奏をしたりセラピーをしたりしているので馴染みの場所だ。
 喜代は今日きちんと帰っただろうか。もう夜十一時だから寝ただろうか。
 心配になり、仲が良い職員に電話を掛けることにした。


「はいもしもーし、早川です」


 溌剌とした男の声。歯切れがよく聞きやすく広がる声はさながらトランペット。


「コンスタンティンです」
「あ、喜代くんですか。ちゃんと帰ってきて寝てますよ。先生がいないから元気はないですけど」
「おー……元気ナイ?」
「しょんぼりしてます。でもびっくりしました。喜代くんがさみしい、って言ったので」
「ウン……ワタシにもイッテくれた」
「やっぱり好きな人がいると違うのかな、って思いました。結構表現の幅広がりましたね」
「ウゥ……喜びチャン……ワタシもサミシイ」
「まだ日本出国してないですよね」
「モウすぐ」


 はぁ、とため息をつくと小さな笑い声が聞こえた。


「先生と喜代くん、仲良くて安心しました」
「ワタシの天使」
「天使は責任持ってお預かりしますから、先生は演奏の方、よろしくお願いします」
「ハイ。夜分オソクすみませんでした」
「大丈夫です。お気を付けて」


 アメリカに着いてから、やれゲネプロだ確認だ修正だと忙しかったが、早川が気を利かせてメールで喜代の写真を送ってくれた。施設の食堂で他の入所者と食事をしていたり、ミーティングルームで勉強をしていたり、ホールにあるピアノに向かっていたり。
 喜代だけが変わったわけではない。関わりの中で自分もかなり変化したと、コンスタンティンは思う。
 喜代は気持ちを言葉にするのが困難だ。表現がうまくできない。けれど一生懸命やっているし、顔は素直である。そういったところからも人は何かを感じる。
 全てが表現。
 そう思えば、新しい音楽が見えてきはしないか。
 今回はオーケストラとのコンサートだから、事前に弾いている様子を撮って指揮者に送った。演奏スタイルが変わったが、それはそれでエキサイティングだからよし、と返事をもらい、笑った。

 喜代に会えない一か月、恋人はピアノのみ。全身全霊をかけて愛し合うしかない。
 もちろん舞台衣装のどこかには喜代の写真は入れておくけれど。
 さあ、始まる。





 ぴーん、と、高音の鍵盤を叩く。昔からその音を聞くとなぜか雨粒に叩かれる窓を連想した。ぶーん、と低音の鍵盤からは象を連想する。鍵盤ひとつひとつに浮かぶ場面がある。 苦労して絵を描き、それをコンスタンティンに伝えたことがある。すると彼は笑って「お話が作れる」と言って本当に曲を作ってくれた。お話付きの曲。それを今は聞けない。コンスタンティンに弾いてもらうしか聞く方法はないからだ。自分で弾いても彼ほどお話にはならない。ただの演奏に過ぎない。


「……こすちゃ」


 呟いてみても返事はない。ピアノの傍にはいることが当たり前だから、返事がなければとてももやもやする。その名前はわかっている。さみしい、だ。喜代が覚えて使ってもコンスタンティンがあまり喜んでくれない言葉のひとつ。
 帰ってくるのはまだまだ先。それまでにどうしていようか。何かいい言葉を覚えようか。 考えるのは楽だが、実行に移すのはなかなか辛い。思いながら、立ち上がる。
 コンスタンティンのどんなところが好きか伝えたら喜ぶかな。ひとまず部屋に戻り、書き出してみよう。それだけで一日以上は掛かるから。
 大丈夫、まだ一か月ある。
 ぐったりしそうな心を引き締める。コンスタンティンがいなければだめなのはだめだ。
 よし、と呟いた喜代を、物陰から職員・早川が微笑みながら見ていた。





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