小説 | ナノ

猫のきみ 7 


 

リオ
サクラ





 サクラの鳴き声が聞こえた。
 けれど、辺りに姿はない。だからあくまで「気がした」に過ぎないのだけれど、確かに聞こえたのだ。
 いつものように机に向かっていたがなんとなく落ち着かなくて、縁側の下駄を履いて家に沿って表へ周り、道に出た。サクラは最近、高いところを飛び移って散歩することを覚え、人の目に触れないようにしつつあちこちに出掛けることを覚えた。だから今日もそうしているはずだ。
 きっとなんともないはず。
 そう思いながらも、足は動く。勝手に、まるでサクラがいる場所を解っているかのように。心は徐々に焦っていた。吐く息が白い。寒いはずだ。なのに、今はあまり寒さを感じていない。裸足の足元も、手も、上着を着ていない着物だけの身体も。

 また、鳴き声が聞こえた気がした。
 とても細い、泣き声のような声だった。
 サクラに何かあったのだと、理解する。気持ちがはやる。

 随分歩いた。
 辿りついたのは広い公園。そこに、男がいた。影のように立っている男。微動だにせず、片手に棒を持っているのが見える。嫌な予感がする。近づいてみるとその足元にわだかまる黒が見えた。小さな小さな黒。見知った、艶のある、小さな黒。

 サクラだった。
 男の爪先から僅かに離れた場所でぐったりと横になり、小刻みに息をしている。動いているので少し安心したが、様子が普通ではない。


「何してるんだ」


 近づきながら声を掛ける。
 男が振り返る。まだ若そうな男で、パーカーのフードを目深に被り、長い髪が邪魔でどんな表情をしているのかよくわからない。けれど手も、僅かに見える首元も顔も、真っ白だった。
 ひび割れた口元が笑う。


「こいつは獣人だ。俺にはわかるんだよ」
「だからどうした。その子に何した?」
「獣人は人を喰う、危ない存在なんだ。だから、退治してやった」


 にたりにたり、嫌な笑い方をする。
 男の横をすり抜け、サクラの脇へしゃがむ。口から小さな声がした。サクラはずっと俺を呼んでいたのだとわかった。にゃあ、と、かすれた声が何度も漏れる。名前を呼んでいるような気がする。黒い毛並みに血が滲んでいるのが、見えた。


「こんな小さな子に……」
「いずれは大きくなって人を喰う」
「そんなことはない。無害な獣人だって、見てきた」


 傷ついているのをどうしたらいいかわからず、触れてもいいものか迷う。
 そのとき、風を切る音がした。反射的に手を出す。痛みが、腕を殴りつけた。


「獣をかばうのか、お前も獣人か」


 男の、いやに静かな声が問いかけてくる。何も答えず、サクラをそっと抱き上げた。腕にじわじわと痛み。けれどこんなものより、サクラをなんとかしてやらねばならない。確か近くに病院があったはずだ。獣人も診てくれるのかわからないけれど、行かないよりましだろう。
 走って離れる。男が何かを叫ぶのが聞こえた。意味がわからない、支離滅裂な言葉に聞こえた。追いかけてくるかと思ったがそんなことはなく、それでも一応後ろを気にしつつ、病院へ。

 そこの医者は良い人で、獣人の診療もしている人だった。サクラは小さいけれど、獣人としての回復力を持っていた。証拠に傷はふさがり始めている、だから傷は二、三日でなんともなくなるよ。と言って、消毒をして、薬を飲ませてくれた。


「事故に遭ったわけじゃなさそうだけど」


 年老いた穏やかそうな医者はそう言って俺を見上げる。事情を話すと憤慨したように腕を組み、些か乱暴に椅子へ座った。


「獣人の中には確かに人を喰う奴もいるよ。けれど無害である場合がほとんどで、どうしてそこを見ようとしないのかがわからない。彼らは人と同じなのに」


 一応通報しておく、と言って、医者はどこかへ電話を掛けた。その間に何回か質問をされ、丁寧に答える。場所や、見た目、どういうことを言っていたかなど。どうやら周囲の獣人に注意を促してくれる機関があるらしい。そんなものがあるとは初めて知った。

 みゃあ、と小さな声が聞こえた。
 後ろの処置台を振り返る。銀色の無機質なその上に寝ていたサクラが、首を起こして俺を見ていた。きらきらした眼差し。近づいて指を差し出すと、滑らかな舌がちらりと舐める。ピンク色の小さなそれは温かくて、少しだけ安心した。知らず知らず入っていた身体の力がふっと抜けるのを感じる。


「よかった……」


 呟くと、サクラがもう一度鳴いた。ちょろちょろ、慰めるように舐めてくれる。


「家に帰りたいなら帰ってもいいよ。安心できる人の傍の方が、治りが早いから」


 財布も何も持っていないと言うと、元気になってからサクラを連れて払いに来てくれればいい、と快く送り出してくれた。いい医者がいて良かった。何度も礼を言い、懐に入りたがったサクラをそっと入れ、抱えて帰る。道は、遠回りになるけれど公園の前を避けて帰った。
 にゃうにゃう、鳴き続けるサクラ。この柔らかな温もりを失っていたらと思うと、とても悲しくなる。
 サクラを失うのはとても怖い。この存在が傍からいなくなることは、もう考えられない。一緒に暮らして、時間を共有して、とても愛しい存在になっているのだ。


「サクラ」
みゃあ
「サクラ」
にゃう






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