小説 | ナノ

麗華さんの幸せな日々 2 


 
上石 麗華(かみいし れいか)
桃(もも)





 毎年、新年はとても静かだと思う。
 近隣の住民が皆、旅行だの帰省だので人の気配がなくなるからだと思っているが、家に人の気配がないだけでこんなにひっそりとしているように感じるのも不思議だった。
 麗華が目を覚ましたのは、一月一日の朝九時。
 昨晩は十二時回るまで起きていて、毎年の通り、夜中に年越しそばを食べた。もちろん桃も一緒に。その桃は、眠たいのを一生懸命我慢して起きていたので、今はまだ夢の中のようだった。ぎゅうと抱きしめ、髪に口づけるとむずむずと動いて、けれどいつものように口へ指を咥えて眠り続ける。
 桃が隣にいることは、かつてない幸せだった。
 麗華は実に優しげに微笑む。とても嬉しそうな笑み。誰が見ても、愛しい人を見ている眼差しだと感じるそれ。
 さて、起き上がろうかどうしようか、とても迷う。目が覚めていなかったら桃が泣くのはわかっている。けれどこの熟睡具合では、当分目を覚まさないようにも思う。どうしたものか。

 桃の寝顔を見ていたら、答えは簡単に出た。
 このまま隣にいよう、と思ったのだ。桃が見せる幸せそうな寝顔を見て、温かな体温を感じているだけで満たされる。
 食事の用意はいつだってできるし、新年からばたばたしたくないので大体の下ごしらえを済ませて冷蔵庫に入れてある。そう急ぐこともないだろうと。

 布団を掛け直し、肩まで埋もれて桃を抱く。
 柔らかな布団、温かな体温。去ったはずの睡魔がそろそろとやってくる気配がする。麗華は存外に稚い仕草で、目元を手でこすった。整った顔は、普段きちんとしている状態ならば年相応に見えるのに、こうして髪を乱して気を抜いていると数歳若く、幼くも見える。理知的な話し方で講義を進め、緻密に組まれた翻訳文を書くのに、桃の横にいるとまるで少年のように純粋だ。純粋な愛で、桃を閉じ込め、自分だけの物にしている。疑問は少しも持たない。ただ愛している、それだけだ。


「桃ちゃん」


 くったりとした声で名前を呼んでも、当然返事はない。
 細く清らかな黒髪を撫でて、頬を寄せる。目を閉じると睡魔の存在を近くに感じた。桃から飛び移って来たのだとしたらいいのだけれど。そんなことを思いながら、寝息が口から漏れる。

 その少し後に、桃が目を覚ました。
 口に入れていた指を離し、うっすら目を開ける。きょろりと眠たげに動かし、すぐ近くにある麗華の顔を見て、安心したように息を吐いた。抱きしめられていることにも嬉しそうだ。自分から身体を寄せ、頬のあたりに置かれていた手を取って指を吸う。細くしなやかな指はいつも優しく撫でてくれるので、麗華の身体の中で好きな部分のひとつだ。


「れーか」


 呼べば、必ず振り返ってくれる麗華。
 今日は眠っているから返事が無い。そういえば、寝ている麗華を見たのは初めてだ。麗華の家へやってきて、いつでも起きていたように思う。
 返事がないのは、少し不安になる。


「れーか」


 声が、少し震えた。


「れーか」


 泣きそうになる。
 ふにゃりと顔をゆがませ、丸い頬が赤くなる。動物の赤ちゃんのような、ふにゃあ、という声が漏れて本格的に泣きそうになった。

 麗華は、その声で目を覚ました。


「桃ちゃん、どうしたんですか」
「れーか」


 抱きしめてもらって、頭を撫でてもらって、泣くことは回避された。
 胸へ顔を埋める小さな存在に、麗華は穏やかに微笑んで声を掛ける。


「大丈夫ですよ。もう起きましたから」


 よしよしとなだめられ、こくりと頷く。
 この子どもには自分が必要で、自分にもこの子どもが必要なのだ。そう思うことが嬉しい麗華。桃はもっとぼんやりとした思いでいるが、麗華にしがみつくと安心する。


「桃ちゃん、お腹が空きませんか」
「うん」
「じゃあ、食事にしましょうね」


 よいしょと、桃の身体を包み込むガーゼのタオルケットごと抱き上げて階段を下りた。冷えた床を桃の小さな足に踏ませるわけにはいかない。細いけれどしっかりした腕で小さな子どもを抱いて一階へ。そこはもう、あらかじめセットされた時間どおりに暖房が点いていて温かい。床も同じだ。下ろしてやり、トイレへ。麗華が見ているのも全く気にしなくなった桃は用を足し、手を洗って、麗華に拭いてもらう。顔を洗うときも歯を磨くときも麗華がずっと傍にいる。


「今日は新年ですから、おせちを食べましょうね」
「おせち」
「はい。昨日の夜に作っておきましたから」


 二階で桃が遊んでいた昼間に、麗華は一階で料理をしていた。桃の様子は、設置したカメラを通してキッチンで見守っていた。もちろん。片時も目を離したくないのだから。


「あずきの、お餅のやつ食べたい」
「それも作りましょうね」


 丸い餅を取り出して焼き、煮ておいた甘い小豆を温める。その間に桃は椅子に座り、できるのをおとなしく待っていた。麗華がすぐに出してくれる。


「熱いですよ」


 これもまた桃の為に選び抜いた漆塗りのお椀に、朱色が鮮やかな小さい箸を渡す。しかし桃はいやいやと首を横に振った。


「れーかも」
「一緒に?」
「うん」


 麗華は嬉しそうに笑い、隣へ座る。すると桃が口を開けたので、手に少し小さな箸を取って食べさせてあげた。お正月からこうして面倒を見られる幸福。桃がおいしいと笑うと、なんだか泣きたいくらいの思いでいた。胸の少し下辺りがぐっと詰まる。


「桃ちゃん、今年もよろしくおねがいしますね」
「うん」
「いつでも麗華と一緒にいてくださいね」
「うん」


 桃は頷いて、次を求める。
 器用に箸で餅を切り分け、その口へ運んであげた。

 元旦も、麗華は幸せな時間を過ごしている。そしてこれがずっと続きますようにと、家の中のどこにも気配がない神さまへお願いしてみたり、するのであった。





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