小説 | ナノ

いつだってきみのもの


 
五十五 聡千佳(いそい さとちか)
淑(しょう)





「痛い痛い痛い」
「痛くないでしょ」
「気持ち、痛い……」
「ほーら痛くない痛くなーい」


 子どもに話しかけるように、甘ったるい低い声で囁く。さらりと肌を撫でる熱い吐息が耳と肩の間、首筋に掛かって、ぞわりとした感触を覚えた後に、なんともいえないむずむずとした快感が身体を支配する。それが「血を吸われる感覚」なのだと知ったのは少し前だ。この男、五十五 聡千佳なる吸血鬼に出会ったせいでそんなものを知ることになった。


「ありがとうね、おいしかったでーす」
「こっちは命を差し出してるんだけど、なんか軽いよね……」
「感謝してるよ」


 微笑む、五十五。ぱっと見は、少し悪そうな中年。背が高く、それなりに締まった身体つきであることはシャツの上からでもわかる。黒いTシャツにデニムで、だらりとした恰好をしているけれど長い首の上に乗っている顔はとてもすてきだ。ぱっと見、陽気な感じが漂うのに、よく見るようになると気付く翳がある。どういうものなのかはよくわからない。ただ、そう思うだけ。
 緑が混ざったような深い黒の髪と同じ色の顎髭、すっとした濃い二重の目元を囲む睫毛も同じ色。肌は少々色が濃い目で、黒髪から覗く耳にはいくつかのシルバーが光る。なんだか色っぽいような、薄い赤色の唇の奥に白い歯、尖り気味の八重歯。それががぷりとおれの首筋に喰らいつく。指先で辿っても、少しぼこりとしているくらいで痛くもかゆくもない。ただ少し、妙な気持ちがするだけで。

 五十五はにやにやと軽薄な笑みを浮かべる。そこにも薄らと闇が漂うような気がした。それとも、五十五だけではなくて吸血鬼はみんなこうなのだろうか。
 離れて座っていたおれの横へわざわざ座り直し、無駄に長い脚を組んで、こちらも無駄に長い腕でおれの肩を抱く。


「変な気持ちになっちゃった?」
「別に」
「恥ずかしがらなくていいっていつも言ってるのに、強情。でもそこがかわいい」
「嫌なんだけど、そういうこと言われるの」


 引き寄せられて触れる肩。押しても、まったく動かない。にやにやとした笑みを浮かべるくらいで、その身体からは妙な気持ちを煽り立てるような匂いが漂う。なんとも形容しがたいけれど嫌な物ではない、匂い。
 耳元に近付く、息。


「もっと気持ちよくなりたい?」
「結構です」
「なんで?」
「なんか癪にさわるから」
「いつもそう言うよねー」


 ぱっと放してもらって、慌てて離れた。窓のない窮屈な、正方形の壁も家具も真っ黒な部屋の中で、本棚と本棚の間に座ってじろりと五十五を見上げる。革のソファに座って悠々と見下ろしてくる美中年。なんだかいらっとする。


「……五十五は、おれじゃなくても、血ぃ飲ませてくれる人ならなんでもいいんでしょ。きれいなおねえちゃんとか、きれいなお兄ちゃんとかいたらそっちのほうがいいんでしょ」
「なんでそういうこと言うの?」
「だって、五十五、そういう人とばっかり遊んでる」
「あ、視えちゃったんだ」


 言っているうちにうるうるしてきてしまった目を隠すように、膝を抱えて顔を伏せる。
 ソファに触って、座面に触れて視てしまった。いろんな人がそこに座って五十五といちゃいちゃしていた。それはもう親しげに、身体中を絡めるようにして。五十五はいつものように優しく笑っていて、同じように触っていて、とても腹が立つ。

 おれは、小さなときからなんでも視えた。
 触れた人の心の中も、触れた物の過去も。なんでも口にしてしまった小さなときに気味悪がられて嫌な思いをたくさんした。親が置いていったのは小さな教会の前。別に子どもを預かっているわけでもなんでもない教会の前で、たまたまそこの人が親切だったから拾ってもらえたけれど、おれの視るのはどんどん強くなっていって、一時期はちょんと触れるだけでもその人の心の中や過去が視えてしまった時期もある。
 町中などには出られない。たまたま触れてしまった人から、物から、滝のように流れてくるものがとても不愉快で、泣かずにいられなかったのだ。当然学校にも通えない。九歳のとき、庭でひとりしくしくしていたおれの前に、五十五が現れた。


「泣いてるの」


 甘い低い声。顔を上げると、今とほとんど変わらない顔立ちの五十五が立っていた。じゃらじゃらとシルバーアクセサリーを身に着け、ファーや革を身に着けた、ちょっと怖い人。明らかにびっくりして泣くおれをひょいと抱き上げ、何泣いてるの可愛いことりちゃん、と話しかけてきたのだ。
 触られても、何も視えなかった。
 そんなことは初めてで、ぺたぺた肩や首や、顔に触れた。


「くすぐったい」


 笑うだけで、五十五からは何もわからなかった。
 それがとても嬉しくて、おれは五十五が大好きになって、いつも来てくれるのを楽しみにしていた。初めて血をあげたのはそれから四年後、十三歳。ある日、五十五がふんふんとおれの匂いを嗅いだ。


「……ずいぶんおいしそうになったね」


 意味がわからなかったけど、五十五はいつものようにおれの横へ座り、実は吸血鬼なんだ、と話してくれた。教会に来るのは血の宅配を代理で受け取ってもらっているからだと。


「だったらおれの血を吸えばいいのに」


 何も考えずにぽつんと呟いたことばに、五十五は目を輝かせた。


「いいの?」
「うん」
「一回吸ったら契約になるよ? ずーっと貰うよ?」
「いいよ」
「ありがとう」


 宅配の血は年々質が上がっているらしいのだけれど、新鮮な血に勝るものはないとか。
 教会の裏庭、神さまの庭に咲く白薔薇の前で、吸血鬼はおれの首に歯を立てた。毎日一回以上の吸血はずっと続いている。十四歳から、今、十七歳になっても。小さいころほど敏感ではなくなって外に出られるようになってからは、こうしておれが通ってくることが増えた。

 でも知ってるんだ。おれじゃなくてもいいって。だから、こうやっていっぱいいろんな人と一緒にいるんだって。
 五十五の心の中は視えないけど、この家自体が記憶している。
 視えた映像はとても悲しくて、なんでかわからないけど追い詰められた。五十五はおれじゃなくてもいいんだっていう、事実に。


「ねえ、貴重な水分流すのやめてもらっていいかな」
「最低だ……」
「嘘だよ。ほら、いい子だから」


 五十五は軽々とおれを抱き上げる。そんなにがっしりしているわけではないのに力はとても強いのだ。ぐいぐいしても、やっぱり離してはもらえなかった。
 どこにも触らないよう気を使っているのか、抱っこしたまま背中を撫でてうろうろ部屋の中を歩く。四角い部屋なのに、丸く。


「淑くんは、昔と変わらないね。泣きむし」
「五十五のせいだ」
「わ、責任転嫁はなはだしい。でも泣いちゃうくらい俺がスキってことでしょ」
「違う」
「違うの? 俺は好きだけど」
「口だけならなんでも言える」
「心がみえたらいいのにな、俺のだけ視えないんだもんね」
「おれのことが好きなのに、なんで他の人と」
「ん?」
「なんで、他の人と、えっちなこと、すんの」
「それは……まあ、吸血鬼の習性かな? 性欲が強くって強くって」
「最低……」
「淑ちゃんがそういうことさせてくれるなら、もう誰ともしないよ」


 ぐりぐり顔を埋めていた肩から顔を上げると、五十五が微笑む。


「俺はいつだって淑ちゃんのものになるけど、淑ちゃんはその辺りどう?」


 あの匂いが、濃くなって鼻を撫でる。今までにないような強さが脳をじわじわ焼いていく。怖くなって、匂いを発している五十五にしがみついた。


「淑ちゃん、そういうことしたことないでしょ? 怖がらせたらやだなって、結構抑えてたんだけど」


 匂いはすぐに薄れた。ただ少しだけ漂うくらい。いつもと同じ。


「……他の人、この部屋に入れない?」
「淑ちゃんが嫌なら」
「他の人の血、吸わない?」
「うん」
「……じゃあ、おれのものにしてあげても、いい」
「ありがとう」


 ちゅっと、髪に唇が触れた。


「他の人が触ったものに触りたくない」
「じゃあ全部捨てて引っ越ししようかな」
「どこに?」
「淑ちゃんちの真横とか」
「教会の横に吸血鬼が住むの?」
「いけない? 俺だって神の子だよ」
「……いけなくないけど、おれと付き合ってるなんて言ったら、兄さん、怒るよ」
「うっ。それは確かに」


 床に座った五十五は、おれを膝に乗せて困った顔をした。でも、寄りかかると嬉しそうに笑った。





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