小説 | ナノ

 青年とオス 8-2


 あらゆるものが散らばっている部屋だった。転がる物を見て清孝が顔をしかめる。拘束具や痛みを与えるための器具、性具に、血のついたタオルやシーツ。まともな暮らしをしていないことは身体を見れば明らかだが、この部屋に芳樹を入れるのはあまりよくなさそうだ。
 乱れたままのベッドへ寝かせ、額にてのひらを当てる。熱がありそうだが、そんなに高くない。おそらくストレスか栄養失調か何かだろう、と思った。


「ヨシ、こいつはなんだ」
「わからない。でも、なんか放っとけない」


 芳樹がそう言うのなら仕方がない。
 が、清孝が気になるのは部屋の匂いだった。さまざまなものがあるが、明らかに複数の獣の匂いがする。どれもこれも雄で、目の前で気絶している者からも雄の匂い。顔立ちは女性とも男性とも言えそうだが、身体から性別の匂いがする。そしてそれは、幾つもの雄の匂いを同時にまとわりつかせていた。嗅ぎ覚えのある、雄共に雌にされている匂い。まだ芳樹と出会う前に、近付いてきた者たちからよく感じたもの。
 身体の様子、部屋の状態を見るに、合意とは思えない。獣人が他の獣人から体液摂取を目的に関係を持つことは割とよくあることだが、力でねじ伏せるのはあまりいいことではない。それはヒトの社会と同じ。種族が違えばなおさら。


「……ヨシ、こいつと関わらねぇほうがいいと思うぞ」
「でも、こんなに弱ってる」


 いつになく頑なな芳樹の様子に、清孝は首を傾げた。何かを感じているのだろうか。清孝の外にも咲々という番ができ、もともとは普通のヒトであった芳樹の感覚が獣人に敏感になっている。ヒトの番にはよくあることとはいえ、この様子は少し普通ではない。

 とりあえず身体が冷えていたのでそこらへんの服を手当たり次第着せ、布団を掛ける。
 その傍らにずっとくっついている芳樹。傷ついた手を取り、じっと寝顔を見つめていた。少々妬けるが仕方ない。させたいようにさせるしかないからだ。汚れたキッチン、流し台に面した窓を細く開ける。あまりにさまざまな匂いがして酔いそうだったからだ。


「……あなた、さっきの子ね」


 しばらくして、小さな声が聞こえた。
 芳樹の隣へ行ってみると、目を覚ましていた。深い色の瞳が、芳樹から清孝へ移る。途端に怯えたような顔をして跳ね起き、清孝から距離を取るようにベッドの上、一番離れた場所に身体を寄せて身を守るように丸くなり、震えた。


「お願い、何もしないで」
「別にしねぇよ」


 舌打ち混じりの清孝の声。それを聞いても震えたまま。芳樹は戸惑ったような顔をして、けれどベッドの上へ行って、優しく肩に触れる。


「大丈夫だよ、清孝さん、悪い人じゃないから」
「でも、あのひとも、獣人でしょう」
「そうだけど……」


 言いかけてはっとした顔で清孝を見上げてくる目。頷いた。芳樹も、獣人だと気付いたようだ。


「大丈夫。本当に、優しい人だから。あなたに危害を加えたりしない」


 優しく言って抱きしめる。すると、腕の中で体勢を変えて芳樹に縋りついた。震えたまま、けれどしきりに芳樹の匂いを嗅ぐ。それから徐々に震えが収まり、ただ服に顔を埋めてふにゃりと力を抜いて、くるくると喉を鳴らし始めた。いかにも安心したような様子になったのでほっとした顔の芳樹、眉を寄せた清孝。この反応、この前拾った虎の子どもにそっくりだ。
 ちきしょうまたひとり増えやがるか、と心の中で毒づく。咲々はいつも芳樹に甘えかかり、芳樹芳樹とついてまわって鬱陶しいことこの上ないのだ。芳樹は嬉しそうだが、今までふたりでらぶらぶと過ごしてきたので実に気に入らない。


「ヨシ、今回は自分でわかるんだろ」
「うん」


 抱きしめて、背中を撫でながら頷いた。芳樹がそんな顔をするのは自分の前だけで良いのに、と、思う。平等に愛されるのでは足りない。全部を向けてほしい。しかしそんなことを言えば芳樹が悲しむ。だから、ぎりぎりと歯を噛みあわせるだけで耐えた。


「名前は? 俺は、芳樹」
「よしき……わたし、晴万よ」
「はるま? きれいな名前」
「ありがとう……芳樹の匂いを嗅いでるととっても落ち着くわ……」
「たくさん嗅いでいいよ。減るもんじゃないし」


 ふんと鼻を鳴らす清孝。その耳が、敏感に足音を捉えた。どうやら晴万も同じだったようで、力の抜けていた身体を硬直させる。芳樹にはまだ聞こえていないらしく、どうかしたの、と尋ねた。


「芳樹、お願い、帰って」
「どうしたの」
「だめ、ここにいたら。あなたまで」


 足音が部屋の前で止まった。気配は複数、扉越しにも匂いがする。獣の匂い。清孝は目を細めて扉を睨みつけるようにした。
 ドアが開く。
 そこに立っていたのはいかにも悪そうな様子の四人組。派手な身なり、軽薄そうな目。清孝を見て一瞬驚いたように足を止める。晴万の身体から匂う獣のそれと同じだ。他にもいくつかの匂いをまとわりつかせ、血や鉄の匂いがする辺り、やはりろくでもなさそうだ。


「おい晴万ぁ、どういうことだよ。なんで他人上げてんだ」


 恫喝するような声に、晴万が再び震え始めた。芳樹はその身体を一層強く抱き、きっと男たちを見る。


「あなたたちが、晴万に酷いことしたんだな」
「は? 関係ねぇだろ。誰だお前」
「晴万は俺の番だ。関係なくない」
「番? こいつにそんなもんいるわけねぇだろ」


 なぜか笑う男たち。晴万はすっかり怯えて、黒い毛並みの耳や尻尾まで出ている。自分をコントロールできなくなるほどの恐怖に襲われているのだ。もう何も言わないで、とでも言いたげに、弱弱しくも芳樹の腕を掴んで小さく首を横に振った。


「そいつを使いたいなら貸してやってもいいぜ。金は貰うけどな」
「従順だからな。言えばなんでもしてもらえるぞ」


 下卑た笑み、淫らな視線が、芳樹を見る。


「そっちのおぼっちゃんは、抱くほうより抱かれるほうって感じだな」
「なんなら乱交でもいいけどなー。オレ、結構ああいう子好みなんだよ」
「ぼく、処女? 優しく教えてやろうか」


 芳樹が口を開くより先に、清孝が動いた。
 ヒトの声帯では出せないような獣の咆哮。四人は反射的に首をすくめ、目を白黒させて清孝を見る。がっしりと厚みのある身体つきを仕立てのいいスーツに包んだ清孝、鋭い目でぎろりと男たちを睨みつける。


「次、ヨシにクソみてぇな言葉吐いてみろ。そのきったねぇ手足食いちぎって口にぶち込んでやる」


 低い声で言い放ち、歯を剥いてそれが可能であると如実に語る牙を見せつける。
 男たちは何度も頷いた。先程の咆哮、どう考えても大型の獣。強者と弱者の嗅ぎわけも出来ないような小物たちは小さくなる。顔色が真っ白だ。
 自分よりさらに弱い獣人を食い物にしていることは明白で、胸が悪くなる。清孝は手足の一本でも食ってやろうかと足を踏み出しかけたが、芳樹に制止されてかろうじて留まった。


「晴万」


 ふるふると揺れる身体を抱いて優しく声を掛ける。涙でぐしゃぐしゃの顔をした晴万の目元を指でぬぐい、笑いかけた。


「晴万、一緒に帰ろ? 番は一緒にいるのが良いって、清孝さんがいつも言ってる」
「……つがい?」
「うん。俺、わかるよ。晴万もわかる? 俺と特別な繋がりがあるってこと」


 晴万は、もう一度芳樹の胸元へ顔を寄せた。匂いを嗅ぎ、泣きながらこっくりと頷く。獣人の本能でわかるのだ。自分の番、古くには「失われた半身」と呼ばれた相手が。


「晴万みたいなきれいなひとが番で嬉しいよ」


 にこにこと芳樹が笑う。次に帰ろう? と言われて、今度はゆっくり頷いた。
 連れ帰ると、虎の姿の咲々が出迎えた。清孝が抱えている晴万を見て目をくりくりさせ、ふんふんと慎重に匂いを嗅ぐ。やはり怯えた様子だったけれど、咲々が敵意なくその手のひらをぺろぺろと舐めたので、少し気を緩めたらしかった。

 その後、疲れからか獣姿で寝付いてしまった晴万。その姿は優美な黒豹で、しなやかな肢体と毛並みにすっかり目を奪われた芳樹。学校から帰ると真っ先に晴万のもとへ行き、添い寝したり、撫でたり。その様子を清孝はぎりぎりして見ていたけれど、晴万の攻撃性のなさとおとなしさから次第に態度をやわらげていった。
 目を覚ましているとき、芳樹が傍に来れば頬を舐めたり手を舐めたり、鼻を擦りつけたりする。が、近くに清孝や咲々がいるときは遠慮するようなしぐさを見せた。前足へ顎をのせ、静かに目を閉じる。


「おい」


 芳樹が咲々と食事の支度をしているとき、清孝は晴万の傍らに座った。びくっと、黒い身体が震える。


「お前よ、遠慮してねぇでヨシに甘えろ。そんなんじゃいつまで経ってもなおらねぇぞ」


 くりっとした目が清孝を見上げた。


「ヨシ、ずっと心配してるぞ。それに番はくっついたり離れたりするもんじゃねぇ。関係は永遠に続く。安心して甘えてやれ。そうじゃなきゃヨシが可哀想だ」


 聡明な眼差しで、こくりと頷く。清孝は珍しく、晴万の顎を撫でた。くるくる喉を鳴らす黒豹。咲々と違ってかわいいじゃねぇか、とは心の中で呟き、芳樹がいる台所へ足を向けた。この家は、青年ひとりと獣三匹で暮らすには狭い。引っ越しでもするか、と、一家の大黒柱は考えるのであった。

 その後、遠慮なく舐めたりくっついてきたりするようになった晴万。芳樹はなんだか嬉しくてたくさん一緒にいた。晴万がよくなるようにと願いを込めて。




 今、身体を洗う晴万の身体に、傷痕はひとつも残っていない。けれど心の方はどうだろう。晴万は獣型になるのを好まないのは、自分が弱い獣人として他の者に蹂躙された記憶があるからではないか、と芳樹は思っている。今でも不意に知らない獣の匂いをさせた者が近寄ると怯えたように身体をすくませる。


「芳樹、どうかした?」


 あまりに見つめていたからか、晴万が不思議そうに振り返った。


「んー、晴万はきれいだなって」
「恥ずかしい」


 ぽわりと頬を赤くする。可愛らしい様子に、早く戻ってきて、と思わず言ってしまった。その言葉を聞いていそいそ広い浴槽に身を沈めた晴万、芳樹にぴったりくっつき、キスをした。


「芳樹、好きよ」
「うん。俺も晴万が大っ好きだよ」


 細い身体を抱きしめ、少し力を入れてみた。
 晴万はただ、嬉しそうに笑った。





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