小説 | ナノ

ジャシン


 

鎮夜(しずや)
祈雨(きう)


着地点が見つからなかったお話。





「少佐、離れろ! そいつは――」


 血なまぐさい。目の前で派手に飛び散り、肉片となる仲間たち。ぼとぼと、落ちて、嫌なにおいが充満する。


「……人の見た目は気に入ってるんだけどね。中身の醜さと異臭はなんともいえないなあ」


 ころころ、子どもじみた甲高い声。背後から聞こえるそれに、振り返る。
 湿っぽく暗い洞穴の奥、更に奥まで続く暗闇の口をふさぐように建てられた豪奢な祭壇。その前に白無垢姿でちょこんと座っている小柄な少年。綿帽子を深くかぶって俯いており、見えるのは赤い紅を引いた口元だけ。それを笑みの形にし、ゆっくり顔を上げた。


「やっと会えたね、鎮夜」


 にこにこ、実に嬉しそうな少年。何も知らない純粋そうな可愛らしい幼い顔、もしこのような状況でなければ、愛らしい、とだけ思っただろう。しかし異常すぎる。暗いはずの洞穴で、光源は何もないのにどうしてここだけ明るいのだろう。どうして仲間は急に飛び散ってしまったのだろう。
 この少年はこの祭壇の奥に棲むという大蛇に捧げられた生贄ではなかったのか。それをたまたま耳にした仲間が、この時代にそんな迷信に従い子どもを差し出すのは許せん、と言ったので取り返しに来た、だけで。
 異様だ。
 漆黒の瞳、細められる大きな目。それはさながら、蛇。


「鎮夜、本来ならこの白無垢、お前に着せてやりたいんだけどね。少々小さいか」


 立ち上がる子どもの赤く小さな口から洩れる吐息。しゅうしゅうと人のものとは似つかない音を伴いながら呼吸して、するりとこちらへやってくる。綿帽子が、足元に落ちた。端から血に染まる白。闇が、おれを見つめる。


「鎮夜、わたしのお嫁さんになっておくれ」
「……嫁……?」
「ああ。もしお前が嫁になってくれないと言うなら、今ここでしたことを、麓の町に降りて繰り返す。頷いてくれたら、大人しく今まで通り、山で生きよう」


 無邪気な笑顔にそぐわない内容。麓には多くの市民が住む。その命を人質に、おれに選べと迫る。


「お前は、誰なんだ」
「もうわかってるだろう? この奥に棲む大蛇だよ」
「……」
「もし鎮夜が、この祈雨を殺めたいと願うならいつだって応じよう。ほら、ここを」


 白々した手が、おれの首筋を撫でる。ひんやりと冬の水のような冷たさ。


「祈雨のここを切るなり刺すなりするがいいよ。そうすれば、簡単に」
「……蛇」
「祈雨だよ」
「……いいだろう」


 人の命を救いたいとまでは思わなかった。ただ、恐怖で考えが及ばなかっただけ。
 軍人といわれる存在であったのに、実に情けないことだった。


「鎮夜、朝が早すぎやしない」
「軍人だったもので」
「そんなにきれいにしなくても」
「気になるので」
「料理をするのが好きなの」
「好きでも嫌いでもありません」


 蛇は、洞窟の奥に棲んでいるわけではなかった。意外なことに山奥に家を構えて暮らしていたのである。


「いつか鎮夜と暮らすことになると思って、人間は洞穴が嫌いだと聞いた」


 別に嫌いじゃないが、気持ちよくもないだろう。そこそこ立派な、何室もある屋敷。どうやって作ったのか聞くこともせずに暮らし始めた。もう、五年ほどになるだろうか。毎日毎日蛇と一緒。五年の間、首筋をぼうっと眺めて暮らしている。
 見た目には、子どもと父親にでも見えるだろう。ちまちまと膝へ座る蛇。柔らかな尻、頼りない身体、けれどこの人の姿は借り物だそうだ。本当の姿は見たことが無い。


「鎮夜、今日も祈雨の首を切らなかったね」
「ええ」


 色々な気持ちが、入れ替わり立ち替わりやってくる。嫌な気持ち、いい気持ち。おれの身の回りのことを常に気にする蛇と暮らしているうちに絆されてしまったようだ。いきなり始まった生活の中で、何を考えることもできなくて出来た心の空白部分に入りこんでくる蛇。好きでもない、憎くもない。ただ好ましい部分はある。その程度ながら、膝に座って来るのも拒否しないようになった。


「……蛇」
「ん?」
「どこから、おれを見ていたんですか」
「この山の裏にいたとき」
「……山の裏」


 この山の裏手には、軍の演習場がある。火力演習だけでなく、山の中に入って密林でどのように生き抜くのかということを身に着ける訓練もあり、その際に山へ分け入った記憶がある。


「ただ、歩いていただけですけど」
「うん、でも気に入ったんだよね」
「……それだけで、あのように仲間を殺したのですか」
「みんなきっと鎮夜を好きだったよ。だって、目がそう言ってた」
「人には人の情があるんです」
「祈雨には邪魔だったから」


 悪びれもせずに言うのに、一瞬ぐらりとはらわたが煮えた。首筋が見える。細く、たよりない白い肌。すらりと伸びた首は刺し貫くことは容易そうに見える。


「鎮夜、憎い?」
「ええ」
「そう」


 それでも手が伸びないおれはいったいどうしてしまったんだろう。





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