小説 | ナノ

岸くんと坂本くん


 

坂本(さかもと)
岸 明華(きし あすか)





 いつも、視線は感じていた。
 じいっと見つめてくる、目。斜め左後ろから強い視線。振り返ることはできなかった。というのも、その席に座っているのはこの学校一の変わり者の岸 明華。あまり人が話しかけないようなタイプだ。やれどこで喧嘩しただの、何をしただのと噂ばかりが耳に入る。

 見た目は上等、オレンジ系の金髪は長めで、いつも前髪をピンで上にあげ、留めている。秀でた額に、くっきりと線のついた二重瞼、やや眠そうに重たそうに瞬きをして、その奥に有る瞳は不思議な色をしているらしい。らしいというのは、俺は見たことが無いから。彼は長身で、普通に並んで立ったところで顔は視界に入らないし、そもそもそんな状況にならない。なったことがない。

 俺が何かしてしまっただろうか。つい二か月ほど前から強い視線を感じるようになったのである。考えてみても、特にやってしまったことは思い浮かばない。席が近いくらいで、いつも遅刻早退を繰り返している岸くんはいたりいなかったり。
 ……そのうち、急に殴られたらどうしよう。
 痛いのだけは本当に嫌いだから、そういうことは絶対にやめてもらいたい。お金だったら出してもいい。全然持ってないけれど。あめやチョコぐらいならいつだって差し出せる準備がある。

 びしびし視線を感じて、妙に疲れた授業を終えて、掃除をする人と帰宅する人と。

 俺は図書室の掃除の係だったので、終わったら速やかに帰れるように鞄を持って階段の前を通り過ぎ、廊下の突き当たりにある図書室のドアを開けた。
 教室よりは遥かに広い図書室。木製だったりスチールだったりの背が高い棚が並び、古い本から新しい本まで、きちんと分類されてしまわれている。左手側には文庫用の低い棚、その向こうには、読書用のテーブルや長椅子。そこにいくつか鞄が置いてあり、すでに掃除を始めているクラスメートたち。
 大体が机の拭き掃除などをしているので、掃除用具入れから箒を出して床掃除。ゴミが無いように見えて案外ほこりがたつ。たくさんの人が行き来しているから当然か。

 コピー器の周り、棚の周り、カウンターの中と掃いて行って、ふとカウンターの下に落ちている物を見つけた。ペンのようだ。箒で掃き出そうかと思ったけれど、誰かの持ち物をほこりまみれの箒でやるのは気が引ける。
 木のカウンターに柄を立て掛け、しゃがんで手を伸ばす。届かず、膝をついてさらに体勢を低くし、頭を潜り込ませるようにしたら、ようやく指先に触れた。ぐっと腕を伸ばし、捕まえる。
 黒い、何の変哲もないボールペン。
 でももしかしたら、誰かが無くて困っているかもしれない。ちょっといいことをしたような気分だ。カウンターにでも置いておけばいいだろうか。

 よいしょ、と、顔を上げると。
 ぬうっと立っている岸くんが、俺を見下ろしていた。目が合い、固まる俺。あっ、噂どおりきれいな目だ、なんて思う暇もなく、その目に圧倒されて動けなくなってしまう。怖い。普通に怖い。どうしてそんな目で俺を見るのか。


「……おい」


 低くて少し掠れた声。同じ年とは思えない重々しい響きに肩が跳ねた。絶対に人を脅し慣れている。
 気付かないうちになにか気に入らないことをしてしまったのかも。


「おい、坂本」
「ひっ、はい」
「……ちょっとツラぁ貸せよ」


 くいっと顔を動かして、そんな言葉、本というかまんがの中でしか見たことが無い。まさか自分が言われる日がこようとは思っていなかった。
 びくびくしながら箒を手に取る。けれど持った手をじいっと見つめられたので、ぎくしゃくと掃除用具入れに戻して、岸くんを伺った。

 連れてこられたのは図書室の片隅、うまい具合に棚と棚が重なっていて見えにくい場所。
 とん、と肩を押され、壁に背中がつく。
 目の前には岸くん。岸くんの後ろから見たらきっと俺なんか目に入らないだろう。それだけの体格差がある。殴られたら痛そうな大きな手、指にはこれまた殺傷能力の高そうな銀の指輪。


「……痛いこと、しないで」
「は?」
「あの、俺、なんかしたかもしれないけど、その、ごめんなさい。別に岸くんを不快にさせようとかそういうこと思ったわけじゃなくてえっと」
「うるせえ」


 静かに、しかしはっきり言われて慌てて口をつぐむ。
 岸くんはぐっと顔を近付け、俺の身体の両脇に手を突く。腰の辺りの高さの棚があるため、手を突くにちょうどいいようだ。


「図書室では静かにするもんだろ」


 確かにそうなのだけれど。岸くんが目の前に立っている状態で叫びたくなるのもぜひわかってもらいたい。
 緩められたネクタイの辺りを見ていたら、小さな溜息が聞こえた。


「……別にお前になんか恨みがあるとか、そういうわけじゃねえよ。ただ言いたいことがあって」
「……お金はないよ……?」
「別に金には困ってねえ」
「あめとチョコならいつもあるけど」
「甘いもんが欲しいわけでもねえ。お前ちょっと黙ってろ」


 唸るような声に、こっくり頷く。怖い。やっぱり怖い。


「俺の目を見ろ」


 言われて、恐る恐る顔を上げる。
 目に、強く惹かれた。黄色のような緑のような、黒のような不思議な色合い。後ろの窓から入った陽射しがきらきらと瞳を輝かせる。いつものように重たげに瞬きをしているのに、その目はとても眩しい。
 きれいな目に、俺の困惑した顔が映っている。なんだかもったいないような気がして顔をまた俯かせようとしたのに、指が、顎を押さえた。意外と温かな体温が伝わる。


「もう背中は見飽きた。顔をもっと見たい」
「……どうして」
「わかんねえ。でも、お前が、かわいい」


 かわいい、などと言われたのは初めてだ。すり、と、親指が頬を撫でるように動いて、低い声で囁くように言われて、なんとも言えず恥ずかしくなる。頬が真っ赤になるのがわかる。
 岸くんが、ふんと笑った。


「かわいい」


 ちゅっと、額に、唇が触れた。
 なんで、どうして。疑問だらけになる頭の中。目の前にある顔が柔らかく微笑みかけてくる意味もわからない。俺が何かしたのだろうか、やっぱり。


「岸くん」
「あ?」
「……俺、何かした……?」
「……さあ、良く考えてみろ」


 ふいっと、離れて行った岸くん。背中を見送るとのしのし、図書室を出て行った。
 二か月前、二か月前。
 呪文のように唱えてもわからない。不思議な岸くん。その日は家に帰る最中も、お風呂でも、ご飯を食べているときも、寝るときも岸くんで頭がいっぱいだった。結局わからなかったのだけれど。


「坂本」


 それから毎日、岸くんは図書室へやってきた。ちょうど掃除のクラスメートがいなくなるとき、するりと入ってきて、また隅っこへ俺を追い詰めて、身体を囲い込んできて、頭を撫でたり、頬をくっつけてきたり。一か月の掃除当番ももうすぐ終わり。ほぼ毎日、こうして触れられて岸くんは意外と温かな肌をしていて、触れられるといい匂いがすることを知った。香水とはまた違う匂い。もっと優しい、柔らかな匂い。


「……慣れてきたな」


 ぽつりと、岸くんが呟く。
 頷いて、棚に置かれている手に手を重ねてみた。するとほんの少し目を見開いて驚いたような顔をして、それから微笑む。岸くんは笑うととても優しい顔になって、印象で忘れていたけれどそういえば端正な顔立ちだったことに改めて気付く。


「……俺、岸くんにしたこと、覚えてない。ごめんね」
「別に、そんなもの。今、こうやって触れるからいい」


 すりすりしてきて、こめかみに口付けてくる。
 ときとき、穏やかに心拍数が上がる。跳ねあがることはもうなくて、ゆっくりと、温められるみたいに。体温が実際に上昇しているのだと思うけれど、もう不愉快ではなかった。


「……かわいい」


 今日もそう言って、岸くんは俺の頬をもう片方の手のひらで包む。


「好きだ」


 唇のすぐ手前で、唇に置くみたいにそっと言葉をのせて、それを拭きこむように口づける。目を閉じてそれを受けた。まるで当たり前のことのように。この数日間でどうして俺はここまで受け入れられるようになったのだろう。岸くんが、噂と違って穏やかで優しくて静かだから、だろうか。

 このまえ、俺は岸くんに聞いてみた。


「喧嘩が好き?」
「なんだ、噂で聞いたのか」
「うん」
「そんなしょっちゅう喧嘩する相手もいないし、絡んでくる奴もいねえよ。たまにそういうことがあったってだけで、何倍にも増して広がってるだけだ」
「そうなんだ……」
「そもそもそういうことは好かねえ。面白くねえし。顔が怖くて身体がでかいからって、迷惑な話だ」
「……いつも遅刻早退するのは?」
「……夜中まで本読んでることがほとんどだな」


 ときどき散歩をしていてふらふらと朝まで歩いていたりもするらしい。
 喧嘩が嫌いで、本が好きで、散歩が好きで、早寝早起きは苦手。

 キスをしてから岸くんは、お前は、と聞いてきた。


「俺は、坂本が好きだけど、お前は」
「……たぶん、すき、かな……?」
「煮え切らねえな」
「ごめんなさい」
「嫌いじゃないなら、まあ、いいか」


 大きな手のひらで頭を撫でられて心地が良い。そっと抱きしめられて、肩へ額を寄せ、目を閉じた。





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