小説 | ナノ

めぐむとひかる


 
少年・めぐむ
当主・亮 熙(りょう ひかる)





 ゆらり、月が隠れた。
 明るい満月に照らされていた部屋が一瞬にして光を失う。代わりに灯されたろうそくの火をぼんやりと見つめるかわいらしい少年。幼い顔を丸い格子窓のほうへ向け、外を見上げるも厚い雲に覆われた空には星すらない。


「つまんない」


 暗い部屋へ目を戻し、ぽつりとこぼす。暗がりに控えているはずの男は一言も話さない。この屋敷に来てから彼と会話をしたこともない。いつも一方的に少年が話すのみ。彼の声を聞けるのは当主がいるときだけなのだそうだ。
 むっつり頬を膨らませた少年、気晴らしなのか、すぐそばにある机の上のノートを開いてがりがりと鉛筆で気持ちを綴る。左利きの少年、鉛筆を持つ手の薬指に光る華奢な銀色の指輪をちらりと見て、むうっと破裂しそうなほど頬を膨らませる。


「結婚してすぐひとりでおいていくなんてひどい」


 ぺしんと鉛筆を白い紙の上に投げて――しゅるしゅると息を吐いた。
 一か月出張だというのをそもそも聞いていなくて、この家に来た翌日の朝、食事にもどこにも現れなかったから使用人に聞いてやっと知ったのであった。予定さえ知らされない。それも仕方のないことなのかもしれないが。
 ぐるりとあたりを見回す。
 この家に来た時に一番広い和室をあてがわれ、必要なものは何でもそろえてくれた。服も着物も布団もお茶碗も、鉛筆もノートもすべて高級品。今まで使っていたものとは全く違う。かといって何か変わるわけでもなく、気付くわけもなく、聞かされて初めて知った。
 今まで貧乏だったので、必要なものが苦労せず手に入るというのはありがたい。でも、何か満たされない。
 頭に浮かぶのはあの端正な顔立ち。普段は無表情で冷たいような仮面のような顔で近づきにくさがあるが、笑うとかわいい。少年の薬指と対になる指輪を持つ人だ。

 初めて会ったのは、一か月前。
 煌びやかなパーティ会場だった。
 お金持ちばかりが集う場所だと聞いただけ、「ただそこにいればいい」「うまくいけば大金が手に入る」と知らない男に施設を連れ出され、ホテルの一室で身体をごしごし洗われいかにも高そうな服を着せられ飾り立てられて放り出された。ただいればいいと言われたけれど、そんな場所に縁がなかったので少年はうろうろ。異様に視線を浴びる気がして怖くなり、ひとまず、窓のそばに身を落ち着けた。

 こっそり見るとグラスを手に談笑する男女。皆年齢層が高く、ほかに自分ほどの年齢の者がちらほらいるが傍らに必ず大人がいる。どうしたものか、カーテンの陰に隠れるようにしていたらそばの椅子に座った人があった。シャツにスラックスという、ほかの人よりはずいぶん地味な格好。面倒くさそうにネクタイを緩め、息を吐く。
 横顔がきれいだった。
 だからついつい見つめてしまって、視線で気付かれたらしい。顔を上げて少年を見る。


「……」


 切れ長の二重の目に黒い瞳。目力が強く、一度見つめられると目をそらすことができない。


「なんですか」


 赤い唇からこぼれたのは低い低い声。ほかの人のように派手な格好をしていないのに見劣りしないのは雰囲気というか顔だちというか、何か華やかな感じがするからだと気付いた。


「……きれいだな、って、思っただけで、別に……」
「じろじろ見るものじゃありませんよ」
「……」


 ぺこりと頭を下げるとその男性は首をかしげた。


「ひとりですか」
「あ、あい」
「誰に連れてこられたのです」
「……わかんないです。あの、施設から、来たんですけど」


 と話すと男性は目を細めた。いかにも気に入らない顔。何か言ってしまったのだろうかとおろりとした少年に首を振る。


「お前、売られましたね」


 子どもを食い物にしている下種な輩め、とつぶやき、ふんと鼻を鳴らす。


「えっ……?」
「そいつは人買いですよ。施設から買って、このパーティに潜り込ませて金持ちにお前を倍以上の値段で売るつもりだったのです」
「え……」
「あの子らもそうです。みんな傍にいる輩にお買い上げされた」


 目で示した先を追う。傍らに大人がいる子どもはみんなそうだ、と言う。


「かわいそうに。このあとどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃありません」


 その無表情で言われると、いかにも恐ろしかった。ぎゅっと厚いカーテンを掴む。男性の目が再び少年へ向けられた。


「どうします? わたしはもう抜けます。施設に戻りたいと言うなら送ってあげますけど」


 よっこらしょ、と、腰を上げる。長めの髪が顔にかかって、それを手で払いのけた。そんな仕草も妙に似合う。じっと見上げる少年の目に気付き、何やら考えるように顎へ指を添える。
 しばらくして口を開いた。


「施設に帰りたいですか」
「……いいえ、嫌な場所でしたから。でも……」
「行く場所がない?」
「はい」
「ならわたしが買ってあげましょう」


 どんな目に遭うか、と、さきほど言ったばかりだ。何が起きるかわからないが、あの口ぶりでは嫌なことをされるに違いない。買われるということはひどいことをするということだろうか。
 カーテンの陰に身を寄せ、いかにもおびえたような顔をする少年。しかし男性は首を横に振る。


「わたしには、子どもを痛めつける趣味はありません。心配なく」
「なら……どうして」
「周りが身を固めろとうるさいのですよ。誰でもいいから、と。ここで会ったのも何かの縁でしょうし、お前の顔は見ていて不快になりません。うるさくもなさそうです。一生困らせませんから、わたしと来なさい」
「……」
「まあ、怪しいですかね。来ないならそれでも構いません」


 そう言ってくるりと背を向けた。あわてて、その手を掴む。ちろりと見下ろしてきた男性は、ともに来るということか、と言う。こっくり頷いた。すると男性は、表情を緩めた。笑うと意外とかわいいと知ったのはその時。

 車の中で話をして、月々決まった額を、決まった口座に振り込んでくれるという。その代りに正式に結婚という形をとることを約束させられた。
 会場を出るなり役所に直行、手続きをして、相手の名前も書類に書かれたときに初めて知った。


「亮 熙……りょう、ひかる……」


 亮、といえば有名な名家だ。一族であらゆる場所において権力を握っているという話を少年も耳にしたことがあった。そのことを言うと男性は、こともなげに言った。


「その一族を率いるのはわたしです」


 目が飛び出るほど驚いた。


「心配いりません。お前は……」


 書類に一度目を移して、それから再び、不安そうな顔をしている少年を見る。


「めぐむは、好きにしていればいいです。どこかに行きたければ行けばいいし、家の中も自由に歩き回って構いません。わたしと一緒に何かをする必要もありません」


 そう聞いて安心したのもつかの間、知らない家にひとりでいるというのは結構疲れることだった。

 この夜で、一か月になる。けれど言葉を交わすような相手もあまりいないし、使用人たちや家庭教師はよそよそしいし、どうしたらいいかわからない。気晴らしに部屋の掃除でもしようかと思ったら使用人がすっ飛んできて「お気に召しませんでしたか。申し訳ありません」と涙ながらに土下座されてしまった。それ以来何もしないことにしている。
 施設ではなんでもやらされていたからありがたいと同時に、手持無沙汰だ。


「……ひどい、なんて言っても仕方ないか」


 別に好き合ってこのような関係になったわけではない。相手はただの気まぐれで拾ったに違いないのだから、関係を築こうと思うのが無駄かもしれない。

 はあ、と息を吐く。
 月が、再び出てきた。まぶしいほどの白い光が煌々と部屋を照らす。
すると襖が開いて、姿を見せたのは背の高い男性。月明かりの中に足が入り、身体、顔が見える。


「まだ起きていたのですか。子どもは早く寝るものです」


 一か月ぶりに聞く低い声。ネクタイを緩めながら、向かいに腰を下ろした。


「亮様」
「やめなさい」
「でも使用人のみなさんは『亮様』『亮様』って言ってます」
「それは当主だったりご主人様に対しての呼び方であって、わたしはお前のご主人様になったつもりはありませんよ」
「……名前にこだわらなくても、べつに」
「いけません。名前で呼びなさい。ああ、覚えていませんか」
「……ひかるさま」
「はい」


 にこりと笑う。やっぱりかわいかった。どきっとした少年はぱっと目をそらして、指に嵌る指輪に目を留める。


「……朝起きたら嵌められていたので驚きました」
「結婚と言ったら指輪でしょう」
「ぴったり」
「寝てる間に測らせました。職人を呼びつけて」


 お金持ちに不可能はないと、施設の仲間が言っていたがその通りらしい。
 少年は正座して夫を見上げる。


「あのう」
「なんですか」
「いきなりいなくなるのはやめてください」
「寂しかったですか」
「……それもあります」
「そうだろうと思ったから、早く帰ってきたのですよ。本来はもっと長い予定でした」
「……」
「一応、新婚ですし。気を遣ってみました。いらない世話じゃないようで安心しましたよ」


 同じ指輪が嵌ったごつごつした手が、そっと少年の手を取る。


「めぐむ、わたしは割と縁を大事にするほうです」
「そうですか」
「出会ったのも、何かの縁でしょう。きちんと大切にしようと、今回出張中に決めました」
「……そうですか」
「ええ。もしお前が嫌だったら、最初の話通り定期的に金をやるだけの関係でも構いません。けれど、わたしはお前を知りたいのです。めぐむ」


 その言葉に反対する理由もなかったので、少年は頷いた。


「では、改めてよろしく頼みます」


 自然な動作で肩を引き寄せられ、額に唇が触れる。突然のことで目を瞬かせると「こういうのも関係を築く大切な要素だ」とあっさり言う。
 この家に来て初めて、大きく心が動いた。これからどうなるのか、という不安半分、よくわからない思いが半分よりちょっと少なめ、一緒にいてくれる時間が増えるだろうかという期待ちょこっと、ときめきちょこっと。


 少年が布団へ入って寝てしまうのを見守った当主、机の上のノートに目を留めた。ぱらりと開いてみると日記。子どもらしい字で綴られたそれは正直な気持ちらしかった。一日のことと、不安と、戸惑いに埋め尽くされている。
 今日の日付のところを見ると、寂しい、という字が何回も出てきていた。不慣れな子どもをひとり置いていく配慮のなさに気付いたのはついこの間。少年につけた男からの連絡がきっかけ。


「元気がないようです。亮様のお帰りを待っているのでは」


 寡黙な男ではあるが、面倒見の良さと鋭さは気に入っている。つけて正解だった、と、ノートを閉じながら思った。
 さきほどの言葉に嘘はない。もっと知りたいし、関係を深めたい。率直にものを言うあたりも好ましい、かわいらしい子どもに出会えたのだから。





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