小説 | ナノ

龍の嫁御 4


 
祝 晴雨(ジュウ チンユィ)
火 雪華(フォ シュエファ)
ソラ





 晴雨は朝食をとると、いつも散歩に出掛ける。中庭が広く、いくつもあるので毎日少しずつ探検しても全く飽きない。足が向くままにあっちへ行き、こっちへ行き。結構楽しんでいるのだが、その間にソラは中庭の出入口にある東屋の椅子へ座っていることが多い。「ついていくと気が散るでしょうから」と言って、中庭探検にはついてこない。

 今日もひとりで芝生の上をほてほてと歩いていた。
 すれ違う警備兵が挨拶をしてくれる。いつもは言葉を交わすのだが、今日は何となくよそよそしい。挨拶だけで足早に去って行ってしまう。どうしたのだろう? 首を傾げて、しかし足を止めずに歩いていた。
 季節の花が咲いている。心では見ないような、色とりどりの大輪の花が咲いていてとても美しい。柊の方が少し温暖なようで木々が元気に緑の葉をつけていた。間もなく暑くなるだろう、と思わせる太陽の照りつけ具合を見ても、柊の夏は暑そうである。
 とある大きな花の前で足を止めた。
 咲き誇る紫が美しくてついついじっくり見てしまったのだが、見たことのないきれいな花で、よく見れば内側で紫から黄色に変化していた。きれいだなあ、ソラも見たことあるかなと思うが、摘んでしまえばきっと枯れてしまう。呼びに行こうか。
 そう考えたとき、後ろでかさりと音がした。

 遅い。
 いつもなら、大体同じくらいの時間には戻ってくるのに。ソラの手元で懐中時計がかちかちと鳴る。文字盤が示す時間はもう大幅に過ぎているので、さすがに心配になってきた。
 最初は珍しいものでも見つけたのだろうか、と思ったが、それでもこんなに遅いのはおかしい。立ち上がり、足早に中庭を横切る。花壇が見えてきた。いかにも晴雨の目を引きそうな、様々な花が咲いている。いない。中庭を見渡しても、兵がときおり行き来する程度。

「……晴雨さん」

 近場にいた兵を捕まえて聞いてみたが、見かけはしたけれどそこにいた、と皆一様に花壇を示す。やはりここにいたのだ、しかし、どこへ。厳重な警備が施されている中庭には、王族と許可を得た者しか入ることができない決まりになっている。柊の警備を潜り抜けて他者が侵入するのは不可能だ。
 とすれば――ソラは走って、宮殿へ戻った。

 好奇心でついてきてしまったけれど、これで良かったんだろうか。
 晴雨は椅子に座っていた。普段は敷物に置いたクッションに座っているので、未だに椅子というものに慣れない。座面は柔らかくていかにも高級な細工があるのだが、今の晴雨は気付かない。目の前にいる人に目を注いでいるからである。

「晴雨どの、そう硬くならずともよい。楽にしなさい」

 そう言われても、と膝の上に置いた手をぎゅうと握る。まさか二人きりだと思わなかった、と言えば雪華とソラは許してくれるだろうか。
 目の前の男性はにこにこと笑っている。真顔だと厳めしいが、笑うと愛嬌があって可愛らしく感じる顔。右眉から目を通り、唇の横まで続く大きな傷痕が目を引いてしまうが、非常に整った顔立ちであることは変わりなかった。肌が浅黒いのは日焼けのせいだろう。卓の上で手を組み、にこやかに晴雨を見つめている。眼差しは穏やかだが、じっくり観察されているような気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。
 身に着けているのは王族を表す紫の衣装で、先程見た花の色に酷似していた。きれいで鮮やか紫が、相手によく似合っている。

「王宮暮らしは慣れただろうか。何か不便していることはないか」
「不便はないです」
「それは何よりだ。怖い人間や意地の悪い者もいないと良いのだが」
「いません。みんないい人です」

 それを聞いて嬉しそうに笑う。あのう、と躊躇いながら口にする。

「陛下、少しお伺いしても?」
「好きなだけ」

 許可を得たので、はい、と頷く。目の前にいるのは雪華の父、柊を背負う王さまである。

「どうしておれが……わたしが」
「好きに話して構わない」
「……おれ、が、選ばれたのでしょうか。殿下のお嫁さんと聞いているのですが」
「率直に言えば、繋がりがほしかったからだ。隣国でありながらほぼ鎖国状態の心と交流を持つのは容易なことではないから、何か掴みになるものが必要だった」
「人質、と最初には聞いていたのですけれど」
「それは翻訳の違いによるものだと判断している」
「……今のままでよろしいのでしょうか」
「雪華がいきいきしているから、今のままがより良い状態だと思っている。晴雨どのは何か問題が?」

 ためらいためらい、家に帰りたいんです、とぽつり、零した。王さまが、ふむ、と頷く。

「その気持ちももっともだ。突然の話でさぞ驚いたことだろうし、満足に別れが言えなかった相手も大勢いるのではないか?」
「はい。先日、友人が来てくれたのですが、余計……その、寂しく、なってしまいまして」
「そうか……そうだな。少し検討させてもらう。それからの返事でも構わないだろうか」
「はい」

 王さまは、晴雨を元気づけるように優しく微笑んだ。

「遅くなるかもしれないが、かならず返事はする。気長に待っていてほしい」

 その言葉が、雪華との血の繋がりを確かに感じさせた。優しさに恵まれているのに、と思うとなんとなく胸が痛くて、ひどくわがままを言っているような気がしてしまう。けれど寂しいのも真実だ。
 考えていると、ぽろぽろと正体のわからない涙が出てきてしまった。

「そんなに心細かったか。気付かなくてすまなかった」

 立ち上がった王さまが、そうっと晴雨を抱きしめた。紫の衣装へ寄り掛かるようにさせられ、後頭部の辺りを撫でられる。その手つきがあまりに優しかったので、この王さまは愛情があるんだな、と思い、父親を思い出して余計に泣けてきてしまう。
 しくしく泣く晴雨を励ましてくれていた王さまの声が、不意に止んだ。

「……お前は何をしているんだ」

 冷え冷えとした声が、部屋に響いた。
 雪華のものだと気付くのが少し遅くなったほどに、声が違う。最初に会ったときの声とも、普段の声とも全く違っていた。

「父に向かってお前はないだろう、雪華」
「人の嫁御を腕に抱き、泣かすとはいい趣味だな? 父よ」

 違うんです、と言いたかったが喉が締まって声が出ない。出ているものをいきなりは止められなくて、ひく、と動くと雪華の手が伸びてきた。ぐいと王さまから引き剥がす。

「晴雨、この男に何をされた? 意地悪されたのか」
「意地悪とは心外だな。お前にも意地悪したことはないはずだが」
「それが晴雨を泣かさない理由にはならん」

 困ったなあ、と全く困っていなさそうな王さまののんびりした声。雪華の腕に抱かれ、晴雨はようやく泣き止むことができた。

「ちがうんです、陛下は、おれの望みを聞いてくれただけで」
「望み? 俺には言えなかったのか」
「……言い辛くて」
「なんでも言って構わない。余計な遠慮はするものではないぞ、晴雨」

 よいしょ、と腕に抱き上げられた。身長差と体重差があるとはいえ、こんな軽々と抱き上げられるとは思わなくてぱちくり、瞬き。細身に見えたが腕は立派なのが服越しにわかる。

「ソラが心配している。部屋に戻るぞ。いいな?」

 優しい指先が目尻に溜まっていた涙の雫を払う。こくりと頷くと、挨拶をする暇もなくさっさと部屋から連れ出されてしまった。雪華の頭越しに、王さまがひらひらと手を振っているのが見えた。振り返すのは畏れ多くて、頭を少しだけ下げることしかできなかったけれど。



「晴雨さん、心配しましたよ」

 想像の百倍、ソラが心配していた。今にも泣き出しそうな顔で、雪華に連れ帰られた晴雨に駆け寄ってくる。

「目が真っ赤です。どうされたんですか」
「親父に泣かされていた」
「陛下が、一体何を」
「わからん。あのすけべは何をするかわかったものではない」

 すけべ。その言葉だけが頭に残ってしまう。いつもの自室、敷物の上に下ろされたのでクッションに座った。なんだかどっと疲れたし、久々に泣いたせいか頭が痛い。いてて、とこめかみを押さえると血相を変えたソラに布団へ押し込まれてしまった。素早い。いつもの数倍素早い動き。

「大丈夫です」
「休んでください。陛下にお会いして疲れたでしょう。あの方と一対一は非常に疲れますから」
「……いい人、だったよ」
「いい人というのは突然一対一で会わないものだ。自分の立場をわかっている者を言う。あれはいい人じゃない。ばかなんだ」
「そうでしょうか……」
「ああ、そうだ。今度から何も気にしないで、一番に俺に相談してほしい。難しければソラでもいい。できそうか?」
「がんばります」
「そうしてくれ」

 頬を撫でられる。その手つきがあまりに王さまと似ていたので笑うと、首を傾げて雪華がどうしたと言う。

「なんでもありません」
「さっそく隠し事か。よくないな」

 優しい声が、晴雨を叱った。
 




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