小説 | ナノ

龍の嫁御 3


 
祝 晴雨(ジュウ チンユィ)
火 雪華(フォ シュエファ)
ソラ
范 耀喜(ファン ヤオシー)





 最近、妙に眠い。眠い眠いと思って数えたら、月蝕の時期が近付いてきているらしかった。柊の国では暦が違うということに気付かなかったのが悪いが、ソラにまで「体調が悪そうですが」と言われてしまい、晴雨はおとなしく白状することにした。

「実は、心の国民の血の成す技と言いましょうか……月蝕の日に、一日眠り続けるという習慣? がありまして」
「ほう。それは知りませんでした」
「国中が静かになるから、あんまり外の人には言わないんだ。その間に何か来ても大変だし」
「なるほど……口外しませんからご安心を」
「うん。信頼してる」

 ほわわーと笑う晴雨に、ソラも笑う。
 この祝晴雨という人は非常に明るく、穏やかな人だというのがソラの印象。そして意外と肝が据わっている。
 人質ではなく嫁だった、と聞いてから命の危機がないことに安心したのか、落ち着いて王宮で過ごしている。人を恨むとか怒るとか、そういったようなことには縁がないようにも見えた。

「おれが寝てる間も傍にいてくれる?」
「お望みとあらば!」
「やっぱり寝てるときって怖いから、一緒にいてくれると助かる」
「わかりました。ではずっと一緒にいましょう」

 ずっと一緒にいましょう、の「ず」のときに、たまたま昼の政務を終えたらしい雪華が入ってきてしまった。勢いで全部口にしてしまったが、多大なる誤解をしている顔をしている。「お前たち、いつの間にそんな関係に」という顔である。

「誤解です、殿下」

 誤解なんです、と晴雨も口にした。しかし言えばいうほど怪しくなるというのがこの場合の恐ろしいこと。なので「晴雨さん、言ってしまったほうがいいですよ」と更に怪しくなるようなことを言ってしまう。「!?」顔の雪華に、晴雨がこれこれこういうわけで、と説明をした。

「なるほどな……それも龍が関係しているのか」
「そのようです。言い伝えに、龍は月蝕の時は眠って過ごした、とありますので、多分そのころからのものなのではないかと」
「龍子は実に面白いな。いや、誰にも言わないから安心して寝てくれ」
「ありがとうございます」

 そうして、晴雨が眠る日がやってきた。朝も起きず、次の日の朝まで眠り続ける、と聞いていたのでよかったが、これで何も知らなかったら仮死状態に陥ってしまったと慌てたに違いない。

「何をしても起きないと思う」

 という言葉通り、ふかふかと柔らかな布団に入ったまま動きもしない。目にかかる前髪を払ってやったが、それでもぴくりともしなかった。なるほど、確かにこんなときに敵が攻めてきたら大変なことになろう。国民中が眠っているときだ。やすやすと国を占領されてしまうに違いない。
 次の月蝕の日は、と計算してみると半年先だが、こうして計算できてしまう弱点が心にはあるのだ。とても恐ろしい。

 夜、雪華がやってきた。
 布団に包まっている晴雨の傍で本を読んでいたソラが気付き、頭を下げる。

「晴雨は眠っているか」
「はい。よくお休みです。本当にただ眠っているだけのようなので、ご心配なく」
「そうか……ただ一日のことではあるが、つまらないものだ」

 朝昼夜と必ず晴雨と言葉を交わしていたし、夜は龍の話を聞くのを楽しみにしていたし、よほどつまらないのだろう。雪華がそんなことを口にするのは初めてだったので、ソラはぱちぱち瞬きをする。

「殿下にも人を愛するお心がおありでしたか」
「は? 俺はいつでも皆を愛しているが?」
「そうではなく、個人を」

 こじん、と雪華が繰り返す。ええ、と微笑まれ、上を見た。天井も心の風習に倣い、立て替えてあるので木の梁が組まれているのが見える。

「……嫌っては、いないな」
「特別にお思いでは?」
「……特別、か。そうかもしれない。晴雨と一日言葉が交わせず、笑ってくれないのは、寂しい」

 おやおやとソラに言われ、何かおかしなことを言ったか、と思ったが言っていない。寂しい、と率直な気持ちを口にしただけだ。眠っている晴雨に近付いて、ソラが場所を譲ってくれたのでそこに座る。頬を撫でるともちもちしていた。寝顔は穏やかだが、やはり口を開いてくれないのが寂しく感じてしまう。

「明日までの我慢だ」
「そうですよ。殿下もお眠りになって起きる頃には、晴雨さんも目覚めていらっしゃいます」
「それもそうか。では、今日はここで眠ることにしよう。起きたら一番に顔を見てほしい」

 おやおやぁ、とまたソラがにやにやする。ばかにしているのか、と言うと「いえ、殿下のお心に感動しているだけです」とわかるようなわからないようなことを言われてしまった。
 ソラが敷いてくれた布団へ横になり、じっと寝ている晴雨を見つめる。
 朝になればちゃんと動いてくれるだろうか。なんだか不安になってしまった。

「……あら、殿下だ。珍しい、まだ寝てる……」

 龍の話が白熱しすぎてたびたび晴雨の部屋で夜を明かすことがあったが、今日は雪華より先に起きることができた。日は昇っているので、もう朝なのだろう。目覚めたし。と思いつつ、上半身を起こして身体を伸ばす。がちがちと固まっていて腰が痛い。

「今日は散歩に出よう」

 迷子になるから、ソラに付き添ってもらわなくては。そんなことを思っていたら、ぐっと腕がのびてきて晴雨の腰に巻き付いた。

「おわ」
「……目覚めたか」
「はい。元気いっぱいです! おはようございます、殿下」

 おはよう、と返されるが、雪華の顔はどことなく不満げだ。どうしたんです、と腕を撫でると温かかった。

「晴雨がいない一日は長く感じた」
「そうですか。おれも、殿下の夢を少し見ていました。心で一緒に、伝説を聞く夢でした」
「それは最高の夢だな。俺もいつか実現したい」
「ぜひ。きっと父が喜びます」

 喜んでくれるだろうか。軍事侵攻されるんでは、と思われないだろうか。雪華は生まれて初めて、自分の身分に不安を感じていた。しかし頷く。龍の話をその場所で聞けたらどんなにいいだろうか、という思いと、晴雨の故郷を見てみたいという思いと。外交以外であまり興味がなかった他国に初めて興味がわいた瞬間でもあった。

「朝は? 食べるだろう」
「お腹がすきました」
「ではソラに伝えねば。しかしもう少しこうしていたい」
「お好きなように」

 穏やかに笑う晴雨のお腹がぐう、と派手に鳴るまで、雪華はずっと抱きしめていた。

「今日の夜から龍のお話を再開しましょうね」
「よろしく頼む。昼から聞いていたいくらいだ……」
「お仕事、なさらないと」
「わかっている」

 ああ、行きたくない。行かなければなりませんよ。
 そんな会話をしながら。


 夢の中で心に帰る夢を見た。雪華に詳しくは言えなかったが、とても懐かしくて嬉しい気持ちになってしまったのだ。父や祖父母に会い、友人たちと会い。急に国を出たので満足にあいさつもできなかった相手がいる。
 普段、ソラや雪華などが親切にしてくれるのであまり深刻に感じたことはなかったが、寂しい、と一度自覚してしまうと常に少しの寂しさが心の中に居座る。散歩をしていても、部屋で本を読んでいても、雪華やソラと話していても、なんとなくの違和感。言葉の少しの違いや文化の違いなどが気になってしまうようになった。

 それに疲れ始めた、ある日。
 夜、龍の話を終えると、いつもならばそのまま部屋へ帰るかその場で眠る雪華が、目を覚ましてその場所から動かなかった。

「どうしたんですか。今日のお話、終わりましたよ」

 雪華が、余計なことかもしれないが、と前置きしたうえで、言う。

「最近、ソラとよく話していた。晴雨の元気がないと」
「あ……すみません、そう見えましたか」
「謝ることはない。蝕の日からこちら、少し沈んだように見えて」

 だから、と言葉を切る。なぜか少し気まずそうにしていた。

「晴雨の承諾も得ずに心へ連絡を取った。現在、一切は俺に任されている。家も国も関係ないことだから安心してほしい。俺個人の親書という形で送っておいた。すぐに返事が来て、出立したと聞いている」
「誰が……?」
「友人だそうだ。范耀喜と書いてあったな。今回は乗り物を用意しておいたから、早く着くと思う。明日にでも。様子を見ていて、対応が遅くなって申し訳ないと思っている」
「ありがとうございます。耀喜が来てくれるんですね……すごく、嬉しいです」

 とても嬉しそうに笑うので、ちくり、雪華の心が痛くなる。やはり故郷の友人には敵わないのだろうか――そんな風に考えて、いや、人の立場は比べる物じゃない。と思いながらもちくちくは消えなかった。しかし晴雨の顔を見ればそのようなことは言えない。異国の地でひとり努力している姿を見ているのもあり、余計なことは言わなかった。

 二人が出会うところは王宮の離れ、一部は一般に公園として解放されているところだ。そちらから入ってもらい、ソラが迎えに行って離れの建物へ入ってもらう、という予定でいる。

「おかしくない?」
「おかしくないですよ。よくお似合いです」

 心と柊の服装は異なる。普段は柊の衣装で過ごしている晴雨が、心から持ってきた服に袖を通していた。頭に同色の布を巻いている姿は久々に見たので、ソラとしてはなんだか少し懐かしい気持ちだ。まだ、来てから四か月ほどしか経っていないというのに。

「それでは、お迎えに行ってきますね」
「うん」

 間もなくして、ソラが戻ってきた。その後ろにあったのは背の高い男性の姿。
 耀喜は、心の国民にしては背が高かった。なので、雪華やソラと同じくらいの身長だ。部屋に入ると腕を広げたので、走ってその腕の中に飛び込む。

「耀喜だ」
「晴雨、久しぶり。いなくなっちゃったときは驚いたけど、元気そうでよかった」

 ぎゅうと熱い抱擁をしている二人を、ソラがにこにこと部屋の端から見ていた。耀喜も頭に布を巻いている。黒い布で髪を隠し、同じ色の服を着て金の帯を締めている姿は精悍で姿勢がとてもいい。

「来てくれてありがとう。座って」
「もう少し」

 ぎゅうと抱いて離したくない、といった様子の耀喜に、晴雨は嬉しそうだった。

「晴雨、大事にしてもらってる? 大丈夫?」
「大丈夫。とってもいい人たち」
「本当に?」
「うん。すごく」

 ちら、とソラを見る視線。

「あれも?」
「こら、人をあれって言わないの。見るからに優しそうでしょ」
「優しそうなやつが優しいとは限らない」
「いつからそんなこと言う子になっちゃったの」
「大好きな人を急にとられたら嫌な人にもなるよ」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめて、満足していないのか椅子に座るのも惜しそうにした。離れたくないというように、卓の上でずっと手を握っている。
 あれこれと話をしていたが、次第に訛りが強くなり言葉自体のやり取りが早くなりすぎてソラにはよくわからない。そもそも、心の訛りはよくわからないのだ。言葉の列には変化がないが、単語単語がだいぶ異なっているように聞こえてくる。
 これは、殿下に報告できることは少なくなりそうだな、と考えていた。とりあえず親密そうだ、ということは言えるけれど。

「……俺も、なんとか王城にいられないかな。ずっと晴雨と一緒にいたいよ」
「耀喜、心配しなくても大丈夫だから」
「だって人質でしょ?」
「それが……なんか違うみたいで? いやよくわかんないんだけど……殿下にはお嫁さんって言われた」

 耀喜がぴたりと固まる。

「よ、よよよよめ……? 嫁って何? 急に何? 殿下って呼ばされてるの? 趣味悪いね」
「殿下は殿下だよ。皇太子だもん、他になんて呼んだらいいの?」
「一万歩譲っても自分の妻に『殿下』なんて言わせないね。気持ち悪っ」
「こーら。もう、すっかり口が悪くなって……」
「嫁って何?」
「ああ、なんかね、行き違い? だって言ってた。人質のつもりはなくて、お嫁さんのつもりだったんだって」

 意味わかんないよなにそれ? そんなことあるわけないでしょ。と言われるが、実際に起こっていることなので何も言いようがなかった。おろ、としてしまった晴雨の手をぎゅうと握ってくる。

「晴雨、一緒に帰ろう?」
「ちょっと難しいかな……帰ったら、お父さんとかによろしく伝えてね」
「……うん。次の機会があったら、お父さん来ると思うから」
「機会があると嬉しい。殿下にお願いしてみるね」

 殿下、と聞くたびに顔をしかめるのでわかりやすい。
 ふふ、と晴雨が笑った。

「ああ、久しぶりに話せて楽しかった。来てくれて本当にありがとう」

 気付けば日暮れが近付いてきていた。早めに宿に戻ってもらわねば、と席を立とうとする。耀喜は離れがたいようで、またぎゅうぎゅう抱きしめて、名残惜しそうに振り返り振り返り、部屋を出ていく。
 しんとした部屋から見送り、ふう、と息を吐く。
 国の最近も知ることができたし、友人や家族にも変わりがないとわかった。それだけでずいぶん安心だ。今回の蝕も無事に乗り切れたようで何よりだ。できたら、蝕のあとに定期的に国の人と会いたいけれど……そう簡単なことでもなさそうなので、言い辛い。表向きは外交がないので難しいだろう。

 帰ることなど夢のまた夢のような気がして、ちょっと遠くなってしまったとわかった故郷が恋しくなるのであった。
 




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