小説 | ナノ

ぼくの家族は三人です


 
貴理(きり)
良邦(よしくに)
鶯太(おうた)
藤(ふじ)





 授業が終ってから図書館に寄り、課題を済ませて家に帰った。玄関の鍵を開けると、すぐそこにうつぶせで靴も脱がないで寝ている大人の男の姿。思わず溜息。


「良邦、起きて……お酒臭っ……」


 ゆさゆさ身体を揺さぶってみるも酒臭い息を吐いて、うんうん、と言うだけで一向に目が開かない。よれよれの白いシャツに色あせたデニム、使い込まれた革のサンダル。ぺらりと服を捲るとお尻のポケットに、裸のままの万札の束が突っ込まれていた。
 いつもこう。急にいなくなって何週間も帰ってこなくて、大金を持って帰って来る。
 どこで何をしているのか、よく知らない。ただ「法には触れてねえ!」と言うだけ。狭い玄関なので良邦の身体をまたいで、すぐそこの襖を開ける。かばんを放り込み、投げ出された両腕を持って廊下をずるずる進む。


「重い」


 背が高くて、がっちり横幅もある大人。しかも寝ている。
 もっと小さい頃は放置していたけれど、今はなんとか引きずれるようになった。ダイニングキッチンまで来て、向かいの居間へ。座布団を丸めて頭の下に入れ、押入れから毛布を出して身体に掛ける。
 横へしゃがみ、顔を覗き込む。ぐごぐご寝ている、ただのおじさん。夏が始まる前に見たときは短かったぼさぼさの黒髪、夏が終りかけている今はちょっと長い。癖が出てぐるりぐるり複雑にうねうね。指を差し入れると、ちょっと硬い。野良犬の身体を撫でているみたいだ。


「あ、そうだ」


 寝ているおっさんを見ている場合ではない。夕飯の準備をしないと。
 狭いキッチンで冷蔵庫の中を見て、普段よりずっと多めにお米を研ぐ。朝から漬けてある胸肉が今日のメインだ。炊飯器のスイッチを入れて、たまねぎ、にんじん、大根を取り出して千切りにし、水にさらす。
 後ろを見ると、目を覚ます気配もなくすやすや。のんきだなあ、と思いながら、削ぎ切りの胸肉を漬けているチャック付きの袋を取り出した。洗い場の正面にある小さな窓を開けて換気しつつ、香りのいい油をフライパンに出して温めて、そうしながら胸肉に片栗粉をまぶす。つけすぎないように。
 揚げ焼きにしているといい匂い。朝、きっとたくさん胸肉を叩いてくれてあるはずだから柔らかいはずだ。箸で適度にひっくり返しながら、キッチンペーパーの上に焼けたやつを移す。


「いい匂いだー」
「うわっ、びっくりした!」


 わざとらしい低い声と共に、小さな窓の下から急ににゅっと顔が出てきた。危なくフライパンをひっくり返すところだった。


「火、使ってるときはふざけちゃいけません!」
「ごめんごめん」


 けらけら笑う、頭にタオルを巻いてよく日焼けしたオレンジ髪のお兄さん。お兄さんという年齢でないことは自分が一番よく知っているけれど、どう見てもお兄さんだ。愛嬌のあるくりくり猫目に、よく笑う口、白いタンクトップ、作業着。左耳には青い宝石の入ったピアスがきらきら光る。


「良邦、帰って来たよ」
「まじか!」


 ぱっと顔を輝かせ、すぐに窓からいなくなった。玄関ががちゃがちゃ開く音がして、にぎやかな足音がして、後ろで「よしくにー!」と嬉しそうな声がした。ぐえっとウシガエルが潰れたような声がして、ばたんばたんと騒がしい。


「……ただいま、鶯太」
「おかえりっ」


 ちゅっちゅと音が聞こえて、やれやれという気分になる。仲が良くて結構だけれど、同じ空間に子どもがいるのだということもわかってほしい。


「手伝ってよー」
「あっ、ごめんごめん。手ぇ洗ってくるから」


 奥の洗面台にばたばた足音。視線を感じて振り返ると、目を覚ました良邦がじっとこちらを見ていた。


「なに?」
「いや、美少年の短パンはいいなと思ってよ」


 もっくり起き上がり、のそのそやってきて後ろに立つ。大きな手がフライパンを持つぼくの手をすっぽり包んだ。でっかい図体に似合わない、意外と繊細な手。あったかい。上を向くと酒臭かった。でももうなれた。切れ長の目に鷲鼻、唇から覗く歯は他の人より少し鋭くぎざぎざしている。
 体格も立派だし、かっこいいと言えばそうなのかも知れないけど、何を考えているのかよくわかんない。


「飲んだあとに油ものはキツいな」
「帰ってくるって連絡してくれたら、きっと違うもの作ってたよ。あんたが好きな、切り干し大根とか」
「そうか。失敗失敗」
「そうだね」


 どたどた足音が戻ってきて


「あっ、貴理ちゃんずるい! 良邦といちゃいちゃしてる」
「してません。冷蔵庫からキャベツ出して刻んで、お父さん」
「はぁい」
「あんたは父親じゃなくて良邦」


 背後でがぱりと冷蔵庫が開く音。褐色の手でむんずとキャベツを掴んで、ぼくの隣に立ってまな板と包丁を取り、刻む。頭に巻いてあったタオルは消えて、今は長めの髪を後ろでひとつに縛っている。
 その背後に移動した良邦は、また懲りもせずにお父さんにセクハラを始めた。


「あ、ちょっと、包丁使ってるんだけど」
「いいだろ、少しくらい」


 腰を撫でられてくすぐったそうに、でも嬉しそうに笑うお父さん。そのこめかみのあたりに口付けたり抱きしめてみたり、目を覆いたくなるくらいの幸せぶり。

 ちょうど炊けたご飯、山盛り野菜にお漬物、夜食べるといいらしい納豆、揚げた鶏肉、お父さんが仕事先の人から貰ってきた山菜とじゃがいもの煮たやつ。
 ダイニングテーブルに並べて、冷蔵庫の前の椅子にお父さん、隣にぼく、お父さんの前に良邦。いただきます、と手を合わせて箸を動かす。


「お父さん、ご飯つぶついてる」
「え、どこ?」
「ここ」


 ぼくが取ってあげようとしたら、にゅっと長い腕が伸びてきて頬についていたそれを奪い取った。お父さんはきゅんとした顔をしているし、良邦は無駄に偉そうな顔。むっと唇を尖らせると、お父さんが頭をなでてくれた。


「教えてくれてありがとう」
「うん」


 それでぼくの機嫌は元通り。聞かれるままに、今日は学校で何をしたかと話をする。ときどき前のおじさんから横槍を入れられて睨みつけつつ、お父さんにたくさん聞いてもらった。
 それから建築現場で働いているお父さんの仕事の話をちょっと聞いて、二人一緒に前を見る。


「なんだよ」
「良邦は?」
「どこで何してたの?」


 しかし何も答えない。しらっと顔を他所に向け、いつの間にか独り占めしている山菜の煮物をぱくぱく食べるばかり。


「教えてくれたっていいだろー」
「そのうちな」
「いつもそればっかり! お前昔からそうだよなー」
「そんな俺でも好きなんだろ」
「うんっ!」


 ぼくが物心ついたときからお父さんはお父さんで、良邦は良邦。自然と三人で暮らしていた。けれど良邦がどんな仕事をしているのか、高校生のときから恋人のお父さんも知らないのだそうだ。
 謎が深まる良邦。うさんくさいし、だらしないし、よくわかんない。お父さんが気にしてあげないと髭も剃らないし髪も切らない。でも、家にいるときはさっきみたいにずっといちゃいちゃしたり、ぼくのことも抱っこしてくれたり。優しいから嫌いじゃない。
 嫌いじゃないけど。


「鶯太、あとで一緒に風呂入るか」
「えっ」
「貴理ぃ、今日はもう『お父さん』お休みな。あとは俺の鶯太だから」
「えー!」
「さんざんっぱらふたりでいたろ? ちょっとくれよ」
「……いいけど」
「ありがとな」


 ふっと笑うと、やっぱりかっこいい。大人って感じだ。
 お父さんは真っ赤になって困った顔で、でもちょっと嬉しそうに「ごめん、貴理」と言って頭をなでてくれた。良邦にくっつかれて幸せそうなお父さんを見るのが好きだから譲ってあげるわけであって、別に良邦を喜ばせるためじゃないんだから。


「ごめん、貴理」
「ううん、お父さんが良邦といるときの幸せそうな姿、すきだよ」
「明日は一緒にいような」
「うん」


 お泊りの準備をして玄関で見送られ、夜の道をとっとこ五分、お父さんのお兄さんのお家へ行く。後片付けはお父さんたちに任せよう。
 それにぼくはお父さんのお兄さんが大好きだから、お泊りは、毎回嬉しい。


「いらっしゃい、貴理ちゃん」


 お父さんと違って真っ黒髪にめがね、きちんと歳をとっているお兄さん。ぎゅっと抱きつくと優しく頭を撫でて、額にキスをしてくれた。
 中に招き入れられ、ソファに座るとすぐに抱きしめられる。


「良邦、帰って来たんだ」
「うん」
「お父さん取られちゃって寂しい?」
「ううん、あ、ちょっとだけ。でも、」
「?」
「……藤くんに会えるから、嬉しい」


 ぽぽっと頬が赤くなったのが解る。綺麗な指が顎に優しく触れて上を向かせて、キスをしてくれる。「俺も嬉しいよ」と笑って、膝に乗せてくれた。





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