小説 | ナノ

龍の嫁御 2


 
祝 晴雨(ジュウ チンユィ)
火 雪華(フォ シュエファ)
ソラ





「どういうことだ、育伯」
「どういうことだと申しますと」
「晴雨は人質だと思っていたと言っていたが」

 ぱちん、と扇を閉じる音だけがした、静かな空間。老人は首を傾げて「何の話ですかな」と飄々と言ってのけた。雪華の目が細くなり、苛立ちをわずかににじませる。

「あんな子どもを騙してひとりで旅をさせて、申し訳ないと思わないのか」
「畏れながら殿下、心国は隣国ながら謎多き国です。何をどう考えているか、我々柊国は把握しておく必要があるのでは? そのための『人質』は不自然なことではありません」
「だとしたらなぜわたしに『嫁』と言ったのだ? 父もそう思っているだろう」
「陛下も殿下も、同じお考えですからな。少々計略をめぐらせました」
「意思をもって欺いたと」
「国のためです」

 冷たい眼差しに怖がるそぶりも見せず、堂々と言ってのける。この狸め、と雪華は呟いて溜息をついた。柊では紫の次に尊ばれている青を身に着けた老爺は何かを怖がったことなどないのではないか、と思わせるような態度でそこにいるのである。
 これ以上、何を言っても無駄だ。長い間の経験からそう知っているので、もう何も言わないことにした。とりあえず晴雨の身を預けられているので、どう扱ったとして自由なのだろうし、この老人は晴雨を国の掌中に収めたことで満足しているに違いない。これからも嫁として傍に置いても何も言われないだろう。

「……もうよい」

 下がれ、と告げると、狸老人はひょこひょこと政務室を出て行った。はぁー、と深い深い溜息をつく。深海よりも深い場所に沈んでいるかのような疲労感を覚えた。なんとも言えない重さがのしかかってきて、椅子に座ったまま動けない。
 あの日の晴雨もこんな気持ちだったのだろうか。いや、また少し違う気もするが。そんなことを考えていると、開け放したままだった戸からひょこりとソラが顔を覗かせた。異国人で、最側近として傍に置いている元旅人である。なかなか面白いことを考えつくし、よく気が付くので、雪華にとっては欠かせない人材となっている。

「どうした。晴雨に何かあったか」
「晴雨さまなら、今日もご機嫌よろしくお部屋でお過ごしですよ。そのお顔は育伯さまとやりあったお顔ですね」
「あの狸爺は俺が何を言ったところで聞きはしないがな」
「まあまあ。害がなければいいじゃありませんか」

 確かに今はないが、と言いかけて飲み込む。「そうか……」と無理やり答えるとソラはにこりと笑って「今晩、待っているとのことです」と託されたのであろう伝言を置いて下がっていった。それを聞き、疲れが吹っ飛んだような気持ちになる。
 二週間前、いやもう三週間前になろうか。
 この王宮に来たばかりだった晴雨も、雪華の態度や言い方、ソラの存在などから危害を与えられたりしないということを理解してくれたようで、肩の力をようやく抜いてくれるようになった。
 そのうえで、雪華が最初に言った「龍の話をしてほしい」ということを思い出したらしい。

「殿下さえお時間がよろしければ、毎晩少しずつ龍のお話をしましょうか」

 と申し出てくれたのである。雪華にとってはとんでもない幸せであった。
 龍に興味を持つようになってから、どうしても聞きたかった『心国の龍』の話。旅人と出会っても誰も語ってくれず、理由を聞いても「畏れ多いことですから」と言うばかりだった。曰く「龍の正しい神話は龍子である存在の家にのみ伝わっていること」で「その筋にあたるもの以外が話そうとすると口が閉ざされる」のだそうだ。それはそれで神秘的でとても良かったが、雪華としては内容をどうしても聞いてみたかったのである。例え内容が神秘でなくてもいい。『心国の龍』の話を語ってもらえるということだけで夢見心地だ。

 晴雨の疲れが取れたころに始めてほしい、という風に頼んだのだが、今日がどうやらその日らしい。
 龍の話をするならば夜がいい。夜といえば龍、龍といえば夜。

 それを目標に、いつもより更に政務に没頭する雪華だった。



「殿下に伝えてきましたよ」
「ありがとう。おれじゃ、多分まだ王城の中で迷っちゃうから」
「どういたしまして」

 ゆっくり覚えていきましょうね、と言われて頷く。故郷にはこんな広い建物などなかったので、覚えるのも一苦労だ。晴雨が今いる場所が三の丸だと聞かされてめまいがしたのも記憶に新しい。他に一、二、四とあると聞かされている。この建物の中だけで故郷・心国が入ってしまうかもな、と思ったこともあった。さすがにそれはないだろうが、それだけの大きさがある、ということだ。
 廊下も似たような装飾が施されているうえ、戸の見た目も似ている。となれば、自分がうろうろするよりもソラに伝令役になってもらうほうが早いと判断したのである。

 雪華より長く、ソラと過ごしておよそ一か月。
 元は旅人で、今は雪華の下で働いていると語った。まさか自分が王宮暮らしをするとは、と笑っていたが、とても頼れる人である。なんでも知っているし、晴雨からすれば外から来て王宮暮らしを始めた先輩でもある。なので、しらないことをよく教えてくれて、教え方も丁寧で嫌味がない。

 すっかり敷物の上に座る生活に慣れたようで、今日もくつろいでいる。ソラはどうも心国に興味がわいてきたようで、関心が徐々に深まっているようだった。本を読んでは質問をしてくる。が、そのさなかで気付いたよう。

「心は、関係した書物がとても少ないですね」
「観光を受け入れていないわけではないけど、山の上にある国で登山が大変だから」
「確かに……湖を越えて急峻な山があって、とあっては、少し大変かもしれません」
「それでいつの間にか神秘の国になっちゃって」

 なるほど、と頷くソラ。

「でも、観光収入がなくてやっていけるのですか? 柊国もそうですが、貿易と軍備とつり合いが取れているので国が発展しているわけで。心国は軍事施設についてはほぼなく、観光もほとんどないとなればどうやって経済を支えているのでしょうか」

 差し支えなければ。
 そう言われて、晴雨はうーんと首を傾げた。

「ほぼ自給自足でいけるから、だと思う。山の上にある割に土地は豊かだし、水もあるし、鉱山資源もあるし。他国に侵攻する理由もなければ、観光を積極的に打ち出す国柄でもない」
「柊国も豊かですけど、他国を見て危機感などは」
「ないかな……のんびりしてるんだよ、みんな」

 そこに尽きる。他国の状況をあまり深刻に捉えていないのである。晴雨としてはそんなのんびりした風土が好きなのであるが、この世の中にしてはひどくずれているのだろう。
 世間を見ると軍事的な侵略であったりとか制圧、そういった繋がりから生まれる国交や外交などがあるようだ。
 晴雨にも、それがわかっている。そして父親にもわかっていたことであろうが、どうしても魅力的に見えなかったのである。

「国でまかなえてるならそれでもいいと思うし。わざわざ他所とあれこれしなくてもいいかなって」
「穏やかな国だから、晴雨さんのような方がいらっしゃるんでしょうね」
「おれ?」
「穏やかでのんびりした、豊かな方」

 豊かと言われても、ふむ、という感じでよくわからない。けれど褒められているようなので、えへへと笑うとソラも笑った。

 その日の夜。

「殿下、お帰りなさい」
「ああ、ただいま。今日一日、そわそわしてたまらなかった」
「そうですか」

 最初、雪華は何をしても変わらないのだろうなと思ったけれどとんでもないことだった。ころころ表情が変わるし、声もそう。きっとこちらが本当の殿下なのかな、と晴雨は思う。まだまだわからないけれど、外向きの顔じゃなくて本当の顔を見せてくれているような、そんな気がする。
 いそいそとした様子で敷物の上に置いた座布団へ座った。もう寝るだけ、といった格好で来たので、本当に話を聞くつもりで来てくれたらしい。晴雨にとっては嬉しいことだった。

「どういう話をしてもらおうか……なんでも聞きたいという気持ちがあるんだが」
「おれも一日考えていたんですけど、何から話せばいいか」

 いっぱいあるので、と晴雨から聞いて嬉しそうな顔になる。

「たくさんあるのか。そうだな」
「たくさんあります。伝説がいっぱいの国です」
「何から聞けばいいんだろう。やはり祖龍の話だろうか」
「平たく言えば、今の国土の下に龍が埋まっている、という感じでしょうか……心の国は山の上、その山自体が龍の身体だと言われています。その龍が土に還る前に、人の子と成した子どもたちが心の国民だと」
「なるほど。それで、その藍は」
「龍は藍色だったという伝承がありまして。心の国では神聖な色とされていますが、普通はあんまり気にしないです。ちょっと色が違うだけの人です」
「そうなのか?」
「面倒なことを押し付けるときとかに『お前は藍だから』と言われることはあっても、あんまり尊ばれたことはないですね」

 そういえば、ふっと楽しそうに笑う雪華。

「我が国ではありえないことだ」
「心では普通なんですよ、みんな龍の子孫だから」

 今度は不思議そうな顔になる。そうか、と小さな声で言い、特別視しないというのも面白いと続けた。さらりと毛先に触れる。

「こんなに素敵な色なのに、もったいない」

 そのまま指先で頬を撫でられ、ぼわわと真っ赤になる。こうして、雪華はときどきからかってくる。面白いと顔に書いてあるので、単なるからかいだとわかるのだ。
 じろりと晴雨が睨んできた。頬を赤くしたまま。

「……変な事すると、お話はやめにしますよ」
「悪かった」

 ぱっと手が離れていく。それはそれで少し惜しいなと思いながら、続きを話した。

「おやおや?」

 次の日の朝、ソラがやってきた。そこで見たのはふたり仲良く眠る姿。

「昨晩はさぞ、お楽しみだったんでしょうね」

 ふふふと笑う姿を、時計だけが見ていた。
 




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