小説 | ナノ

めぐむとひかる 5


 
めぐむ
亮 熙(りょう ひかる)





 最近、ちょっとした変化が起きている。
 熙が早く帰ってくるようになったり、お土産を持ってきてくれるようになったり、ご飯を作ることに挑戦したり、休みの日に出かけたり。対象はすべてめぐむで、一緒に何かやることに目覚めたようだ。
 周りは急に熙があれこれと始めたので、自分たちは首にされるのではないかとどきどきしていたようだったが、めぐむが話に回って、少し恥ずかしそうに「ぼくと何かするのが楽しくていらっしゃるみたいなんです」と言うものだから、使用人たちは微笑んでそれを見守ることにした。休日の台所から聞こえてくる華やかな子どもの声。そのほとんどが「あっひかるさま、ひかるさま、手が危ないです」とか「ひかるさま、それは危ないです。多いです」などの注意を促すことだったが。
 平日でも早く帰ってくれば、めぐむを伴い食事に行くこともある。行先は様々だったが、特に最近はめぐむが一番にこにこと食べていた洋食の店が多い。

 今日もふたりで食事に来ていた。件の洋食店の個室、白いテーブルクロスがかけられた長方形のテーブル。向かい合うことなくふたり並んで、まるで肩を寄せ合うように座っている。その脇には常にめぐむの傍にいる氷魚の姿が今日もある。

 華奢なめぐむの肩と、しっかりした熙の肩。洋服と和服の肩が、触れ合っては離れる。
 有名な亮家の当主とその伴侶が来たとあって、配膳係も緊張気味だ。何かあってはいけないと、震える手で慎重に料理を置く。


「ひかるさま」
「なんです」


 子どもの声が呼ぶだけで、配膳係の肩が震える。
 何かあったかと。


「とってもおいしいですね」
「そうですか」


 息を吐く配膳係。辛うじて「作っている者に伝えておきます」とだけ言えた。すると、めぐむがにっこり笑って「お願いします。とってもおいしいです」と弾んだ声で言ったので思わず微笑んでしまった。途端にぎろりと冷ややかに睨み付けてきた亮熙。比較的穏やかな人間だと聞いていたが、どうしてか急に怒ってしまったようだ。凍り付く配膳係。表情が強張ったのを見て首を傾げるめぐむ。傍らを見て、ぱっと普段の表情に変わった熙の顔を見て、ますます首を傾げた。
 逃げるように次の料理を取りに行った配膳係。
 三人だけになった部屋で、熙がめぐむの肩を抱いた。


「誰にでもにこにこするものではありません」
「おいしい料理を食べれば誰だってにこにこしてしまいます」


 むにむに、自分の頬を揉みながらめぐむが言う。
 その小さな手に手を重ね、上を向かせて目を合わせた。きれいな煕の、切れ長な目にめぐむが映る。


「ひかるさまは違うんですか」
「……わたしがにこにこするのは、めぐむが可愛らしいと思ったときだけです」


 頬を赤く染めためぐむ。ぽうぽうと熱くなった頬を再びふわふわの手のひらが包む。


「ひかるさまがそんなことをおっしゃるとは思いませんでした」
「わたしもたまには口に出しますよ、思っていることを」
「思ってらっしゃるんですか」
「ええ。普段から、いつも、常に」


 熙の表情は変わらない。けれど、ほんの少しだけ笑った。めぐむや氷魚にだけわかるような、小さな変化。珍しいことだ。優しい微笑みにめぐむも笑う。花が咲いたような妻の笑顔に、熙の心がとても明るくなった。表情はほとんど変わらないが。
 さてその時、またもあの配膳係が戻ってきた。
 入った瞬間再び顔が凍り付く。いかにも仲良くおしゃべりしていましたという雰囲気の夫婦に、やっちゃったね、というような空気を出している傍付き。あまりの恐ろしさに身までが凍る。


「あ、ひかるさま、次のお料理ですよ」


 それを溶かしてくれたのは幼い妻の声。ぱっと置いて空いた皿を持ち、さっと出て行く配膳係。
 熙としては引き続き話をしたかったけれど、食事に釘付けの妻を見て諦めた。


「冷めないうちにいただきましょう」
「おいしそうな卵焼きです」
「これはオムレツですよ、めぐむ」
「おむれつ……卵焼きではないのですか」
「……まあ同じでしょうか」


 そんな会話をしながら、熙の手が器用に取り分ける。これも最近のことで、今までは氷魚がすべてやっていた。それを任せなくなったのは、熙がめぐむと風呂に入った次の日から。


「このトマトソースおいしいですね」
「普通が一番おいしいのかもしれませんね。めぐむと同じです」
「?」
「普段の顔が一番良い」


 ぼふり、とまた真っ赤になっためぐむ。今日の熙はすべてを出し惜しみしないつもりのようだ。何かいいことでもあったのだろうか、なかったけれど言ってくれるのだろうか。幼い心があれこれ考え、やがて、嬉しいからいいか、という結論に達した。
 次々と運ばれてくる料理をおいしいと言ってぱくぱく食べるめぐむ。
 その横顔を見て熙は、いつか自分もこんな顔をさせたいものだ、と考えていた。自らの危なっかしく拙い手料理が、上達することを信じて。





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