Honey


ソファに横たわった彼が身じろぎした。
集中して動かしていた手を止めて、膝に乗せた彼の顔をそっと覗き込むと、体調の悪さを物語るような深いシワを眉間に刻んでいる彼と目が合った。

「おはようこざいます」

「……唸?」

まだ焦点が合わないらしい青い目をゴシゴシと擦って、彼は低い声で唸るようにわたしの名前を呼んだ。

「……私、どのくらい眠ってた?」

「わたしが来てからで言えば、15分くらい。その前は分かりませんけど」

「そうか……」

その大きな手のひらで自らの顔を覆って、ハァ、と彼は大きく息を吐いた。
痩せた体にサイズの大きいスーツを着ているせいで、その疲れの濃さがさらに強調されているようにも見えてしまう。
左手にまとめた編み針と編み地をソファの肘掛けの上に置いて、わたしは彼のやわらかな髪を撫でた。

「だいぶお疲れですね」

「うーん、昨日の夜少し無理して活動してしまって、実はあんまり眠れていなくてね」

「今朝のニュースで見ました。全く……無理はしないようにって、いつも言ってるじゃないですか」

うなだれる彼の額に軽くデコピンを打つ。どんなに言ったところで彼が困っている人を見過ごせないのは分かっているけれど。
いて、と苦笑した彼の額をそのまま指先でそっと撫でる。

「ああ、オールマイト、そういえば」

「俊典」

「え」

「ふたりの時は名前、っていつも言ってるだろ」

デコピンお返しするぞ、と悪戯っぽく青い目が笑いかける。
冗談ではない。痩せた体とはいえ200センチ超えの成人男性からのデコピンは勘弁して欲しい。
すみません、と謝ってから、彼……俊典さんの金色の髪に指を差し入れる。

「……俊典さんに、イレイザーから伝言で」

「うん」

「午後の授業、内容はそのままで場所だけグラウンドβに変更だそうです」

「了解。ありがとう」

満足そうに笑った俊典さんの左腕が伸びてきて、わたしの頬に触れた。
筋肉量のせいか、それともいまは寝起きのせいか。彼の体温はいつもわたしより少し高い。
あたたかい手の温度でわたしもつい眠気に誘われそうになってしまう。
ふたりきりの仮眠室は、とても静かだ。

「もう少し眠っていて大丈夫ですよ。昼休みが終わるまでまだ時間ありますから」

「んん……いや、うん」

もごもごと口の中で何か言ったかと思うと、彼はわたしの膝に頭を乗せたまま横向きに体勢を変えた。
頬ずりをするように頭を動かされて、素肌に彼の髪がくすぐったい。
こんなときはヒーロースーツをショートパンツではなくタイツにしておけば良かったと思う。

「……起きるよ。でも太ももがキモチイイからもう少し……」

「……平和の象徴は助平」

「ヒドイ……でも反論出来ない……」

再び目をつむった俊典さんの骨張った頬に、前髪がかかるのをそっとよけてやると、彼は陽だまりの中の猫のように満足そうな息を吐いた。穏やかな様子に自然と口角が緩む。
眠気覚ましに、置きっ放しのままだった編み地と針を両手に持ち直して、わたしは作業を再開した。
淡いブラウンのコットンの糸がやわらかく指を滑って心地がいい。
くるくると針先を動かしていると、編み地の下から声がかけられる。

「今度は何を編んでいるんだい」

「春夏用のニットベストですよ。この前サイズを測らせてもらったでしょう」

「私の?」

「ええ」

「それは嬉しいな」

20センチほど編み進めた編み地の裾から、俊典さんの長い指がのぞいた。
指先でつまんだり撫でたりして、彼は後日自身が身につけることになるそれの肌触りを確かめているようだった。
またその様子は目の前のおもちゃにじゃれつく猫のようにも見えた。

「……うん。楽しみだ」

「それは良かった」

手触りを十分に楽しんだのか、彼の指が編み地から帰っていく。
その先を編み進めようとして、しかしわたしの手は動かせなかった。
彼の手が悪戯をするように今度はわたしの足を撫で始めて、手元に集中できなくなってしまったからだ。
手のひら全体で肌を滑るようにしたかと思えば、時折指先だけでツツ、となぞられる。無意識でやっているわけではないのは確かなようだった。

「俊典さん」

「うん」

「くすぐったいです」

「うん」

やんわり諌めても止められない手の動きに、わたしは諦めてため息をついた。どうやら、今日はこれ以上編ませてはもらえなさそうだ。
テーブルに腕を伸ばして、毛糸の入ったバスケットの中から編み針のキャップを取り出し、編み地がほつれないように針の先に取り付けてから、編み地と編み針をまとめてバスケットの中に戻した。
空になった手を、なおも不穏な動きをする俊典さんの手の上に置いて、こらこら、とたしなめる。

「そういう悪戯をするなら、わたしはもう授業の準備に行っちゃいますよ」

「んん、それは困ったな」

置かれたわたしの手を掴み返した俊典さんは、そのままわたしの指に唇を寄せて軽くキスをした。
ちゅ、と指先を吸われて思わずまつ毛を震わせてしまう。
気付かれていませんように。わたしの祈りが届いたのか否か、俊典さんは話題を変えた。

「君は午後、2年生だっけ?」

「……はい。マイクと一緒に2年生の戦闘訓練です。1年生に触発されて、彼らも張り切っていますよ」

「そうか。唸も、怪我しないようにね」

「ふふ。俊典さんほど保健室に通う回数は多くないですよ。ご心配なく」

「手厳しいな……」

ううんと呻いた彼の肩をそっと撫でる。
サイズの合わないスーツ。上等な生地の下、痩せた体に刻まれたあの大きな傷のこと思うと、胸がチクリと痛んだ。
わたしのことよりも、俊典さんにはよっぽど自分のことを大切にして欲しいのに。

「唸」

不意に頬に手を当てられて、膝の上の彼に視線を戻した。

「今夜……君のところに行ってもいいかな」

優しい色をした青い目の中に、わたしが映っている。

「よく眠れないんだ。ひとりきりだと」

「……俊典さん……」

眼下の愛しい人に唇を落としたくなるのを、ぐっと堪えた。いまこれ以上彼を求めると、場所をわきまえられなくなりそうだった。

「……一緒に帰りたいです。俊典さんと」

彼の手を握って、そう答えた。頬が上気しているであろうことが、自分でも分かる。
嬉しそうに微笑んだ俊典さんが、再びわたしの指を口元に持っていって、唇でやわらかく食んだ。
歯を当てずに唇だけで啄ばむように指を吸われ、時折そこに舌がぬるりと這う。
その行為は先ほどのそれよりも甘くて、うなじがびりびりと痺れるようで。

「……この続きは、また今夜」

彼の口角が妖しく上げられると同時に、昼休み終了15分前を告げる予鈴が鳴った。
何事もなかったかのように大きく伸びをしてソファから体を起こした俊典さんは、瞬時にマッスルフォームへと姿を変えた。その拍子にスプリングが重そうな音を立てる。
未だ体を硬直させているわたしに、ニヤリと笑った彼は耳元に唇を寄せて囁いた。

「よく眠れるように、“色々”付き合ってくれよ」

それじゃあまた放課後に、なんて爽やかな笑顔で言い残して、筋骨隆々とした姿になった彼は颯爽と仮眠室から出て行った。
ひとり取り残されたわたしは、熱くなった頬を両手で覆ってソファに倒れ込む。
ソファには俊典さんのぬくもりがしっかりと残っていて、心臓がまた痛いくらいに音を立てた。

「もう……!」

こんな間の抜けた顔で、この後の授業をどうしろというのだろう。
火照った体を抱えて、わたしはひとりソファで身を縮めた。


fin
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