キモチ
「……で、何怒ってるの」
開口一番。
部室に入ってきたルフィアが、パソコンの画面を睨みつけている蛭魔に放った台詞だった。
凛としたその声に、蛭魔はちらりと眉を上げてルフィアを見る。
その目には、明らかな苛立ちが光っていた。
「さっきセナやモン太が私のところに泣きついてきたわよ。『蛭魔さんがいつも以上に機嫌悪いみたいで――!』。
……さて、何に対してへそ曲げてるのかしら?」
言いながら、ルフィアはスタスタと蛭魔に歩み寄り、手近にあった椅子を引き寄せると、彼のデスクの隣に陣取った。
同時にふわりと香るムスク。
「毎回毎回困るのよ。どうして私にばかり妖一のお守りがまわってくるわけ?
そりゃあ、いくら"そういう"仲だって言ったってね、普通限度ってものがない?
こう週に何度もじゃあ、こっちだって根を上げたくもなるんだけど」
転がる鈴の音のような声色が、軽やかに言葉を紡ぐ。
何故かそれに蛭魔は、一層顔をしかめた。
「だから、何?どうしてそんな顔するのかって聞いてるの」
声を荒げるでもなく、苛立つでもなく。
言葉は多少乱暴ではあるものの、ルフィアはただただ静かに、蛭魔にそう問いかけた。
「五月蝿ェよ。糞ルフィア」
「答えになってないわよ」
「……だから五月蝿ェって言ってんだろうが。俺は怒ってなんざいねぇんだよ」
「嘘つき妖一。進行形で怒ってるじゃない」
こうして全く臆することなく、言葉で蛭魔と対等に渡り合えるのは、ルフィアくらいかもしれない。
「そうやって拗ねた顔してれば誰だって分かるわよ。……ほら。何怒ってるの?妖一」
これまでの表情を消してふんわりと微笑んだルフィアは、その細い指先で蛭魔の右頬に触れた。
蛭魔の方も、振り払うこともせず、されるがままになっている。
泥門アメフト部の面々が見たら大絶叫するであろうこんな光景も、当事者の二人にとっては日常茶飯事である。
「さて。何に機嫌を損ねたのか、そろそろ教えてくれないかしら、妖一君?」
教師のような口調で言って、ルフィアはくすりと笑う。
その笑顔を見て、蛭魔は小さく呟いた。
「それだ」
「え……?」
思わず目を丸くして聞き返したルフィアには答えず、蛭魔は自らの頬に置かれていたルフィアの手を掴むと、一気に彼女の体を引き寄せた。
「きゃ、」
突然のことに、ルフィアの座っていたキャスター付の椅子は後方へ滑るように弾かれ、ルフィアの身体はちょうど、蛭魔の膝の上に横座りになるように抱き寄せられた。
「ちょっと……突然何よ……?」
困惑したルフィアの視線を正面から受け止めた蛭魔は、黙ってろと低く言い放つとルフィアの首筋に唇を寄せた。
「なっ……妖一……っ!?」
状況を察知したルフィアは慌てて逃げようとしたが、鍛えられた逞しい腕にがっちりと抱き止められては、無理がある。
ピリッとした痛みが続いた後、ルフィア抵抗も虚しく、彼女の首筋には無数の紅い華が咲いた。
「あんたねぇ……!何でこんなとこに付けるのよ」
一気に不機嫌な顔になったルフィアに、蛭魔は初めてニヤリと笑った。
「こうでもしねーと、お前ェはフラフラ危ねぇからな」
「は?何のこと?」
「……お前、昨日他校に偵察行ったっつってたな?」
「行ったわよ?」
「どこ回ったんだ?」
「どこって……」
蛭魔に抱えられたまま、ルフィアは指折り数えて偵察校の名前を挙げていく。
「賊学に、西武も行ったし……あ、今日は神龍寺の阿含君にも会ったわね」
ルフィアが一つ一つ校名を挙げていく度、蛭魔の眉はぴくりとつり上がる。
それに気付いたルフィアは、驚いた様子を隠そうともせず、まじまじと蛭魔を見つめた。
「もしかして……それに怒ってたの?」
「やっと気付きやがったか。糞ルフィア」
しかめっ面の蛭魔は、ルフィアの柔らかな髪に指を絡ませて言った。
「大体、一人で行くんじゃねぇって何度言ったら分かんだよ。しかもいま挙げたとこ、全部タチ悪ィ奴しか居ねえじゃねえか」
ルイ、キッド、阿含……
全員、かなり大っぴらにルフィアを狙っている男たちばかりだ。
阿含に至っては、会えば所構わずルフィアを口説きにかかる。
「昨日もどうせ糞ドレッドに口説かれたんだろーが」
「……当たり。でも、ちゃんと毎回かわしてるわよ?」
「当たり前だろうが。お前は俺の女だ」
「……馬鹿妖一……」
ここまで蛭魔が感情を露わにするのは本当に珍しいことだが、ルフィアはそのことに素直に喜んでいた。
「ありがと、妖一」
快いリップ音と共に、ルフィアは可愛らしいキスを蛭魔に贈る。
「心配しなくていいわ。私だって、妖一以外の人なんてまっぴらだもの」
「……フン」
鼻で笑いつつも、蛭魔の笑顔は先ほどよりもずっと温かいものになっていた。
「……でもね妖一」
「あぁ?」
「男の嫉妬は見苦しいわよ?」
「……五月蝿ェ」
のんびりと、穏やかに。
二人の時間は過ぎていく。
この後、部室の扉を開けてしまった不運なセナが、声にならない悲鳴を挙げて走り去っていったのは言うまでもないだろう―――
fin
侑夜さんへ