柊の葉に口付けを




暖炉の薪がぱちぱちと燃える音が温かく耳に届く、夕暮れの室内。
だいぶ傾いてきた西日を頼りにするのでは、少し手元の針が覚束なくなってきていた。
窓の外では、それぞれの家に駆けていく子供たちの声。
遠くの方で、時を告げる鐘の音が響いている。
ソファで何かの本を読んでいたアレンが、一つ小さな欠伸をした。


「ルフィア。そろそろ灯りを入れましょうか」

「ん……ありがとうアレン。そうしてくれる?」

「はい。…………わあ!順調みたいですね」


部屋のランプに灯りを入れて戻ってきたアレンは、私の手の中を覗き込んで微笑む。
白い布地に、様々な模様を刺繍したクリスマスタペストリー。

アレンがトランプで稼いでくれている間、大概私は得意の刺繍でお金を都合するようにしている。
今回のタペストリーは、完成次第、街のインテリア用品店に高値で買い取ってもらう約束になっている。

様々な色の糸で刺した、リースやプレゼントの模様もかなり凝ったものにしてあるけれど、なんと行っても中心の大きなクリスマスツリーには力を入れている。
青々とした枝の部分には3種類の色味の異なる緑を使って、オーナメントの金糸銀糸の装飾は、一針一針にひどく根気のいるデザインになっている。

自分としても今回はいつになく凝ったデザインだった。
その分ひどく体力を使うが、やはりそれだけお金の工面が大変という事実があるわけで。
それに、一心に取り組んでいられた方が……何かと気が紛れる。


「それにしても師匠、帰ってきませんね」


ずきり。

悪気のない、ただ変わらない事実を述べただけのアレンの言葉に、針を持った手が止まる。


「もう今日で三日ですよ?全くどこほっつき歩いてるんでしょうかねあの馬鹿師匠は」

「……そう、だね」

「まあまたどうせ女の人の所なんでしょうけどね!僕たちが稼いだお金で!」


戻ったらどうしてくれましょうか……と黒い表情を浮かべるアレンに苦笑して、手元のタペストリーに視線を戻す。
あとは、ツリーの上半分が刺せれば完成する、聖夜のための飾り物。
なのに、こんなにも切ないのは、


「……ルフィア?」


どうかしましたか?と顔を覗き込んでくるアレン。
何も知らないからこその、その毒気のなさが、逆に苦しくて。


「ううん?何でもない。……そろそろご飯のしたくしなきゃね」


そう言って私は、タペストリーを机上に置いてキッチンに立った。


そうして日が落ちて
アレンとささやかな夕食をすませて
食後の紅茶を飲んで
おやすみなさいを交わしても


あの人は、帰って来なかった。





夜も更けてから、しばらく。
さすがにクリスマスが近いこともあって、夜のロンドンは室内でも冷え込みが酷い。
暖炉の傍に場所を移して作業をしていても、足先や指先がかじかんで震える。
そんな中で、一人黙々と針を刺す私。

それとも、帰りを待っているのか。あの人の。


帰らない、あの人。
アレンと私が師匠と呼ぶべき人。
そして
本当は私の愛しい人。


「…………」


夜の帳は、容赦なく不安と悲しみとを誘ってくる。
私の心をゆっくりと、けれど着実に浸食していくそれは、いつしか涙に形を変えて手の中に落ちていた。
時を刻む秒針の音。
あの人が帰らない現実をまざまざと思い知らされているようで。


「…………っ」


目測を誤った針が、深々と指先を突いていた。
思いがけず深い傷口から、みるみるうちに玉のような血が滲み出る。
彼の髪と同じ色をしたそれに。
今度こそ私は、完成間近の布を机に手放して、泣いた。


幼い私を闇の中からすくい上げてくれたあなたは、私に命と力を与えてくれた。
燃えるような赤い髪と、同じ色をしたワインを好むあなたは、私に心を与えてくれた。

そして
口付けを知らない私に、それ以上を教え
恋を知らない私に、愛を擦り込んだ


ねえ、師匠。
あなたがくれる言葉はすべて、その場限りのお遊びなの?
“愛してる”も何もかも、囁いてくれたのは
教えてくれたのはあなたでした。
私にとっての一番は師匠、あなた、だけ。
でも、師匠にとっての一番は、私ではないの?


いまこの瞬間にも、あの人の指が知らない女の人の髪に触れ
あの人の唇が、知らない女の人に愛を囁いているのかと思うと、狂おしさに息が出来なくなる。


「……っ、」


どうか、この嗚咽が隣室のアレンに届きませんように。
彼が気付いて慰められてしまったら、私はきっと、この秘め事を洗いざらい話してしまうから。
その無条件な優しさに、溺れてしまおうとしてしまうから。


残酷な神様へ。
人を愛するということは、こんなにも痛みを伴うことなのですか。
誰かを想うということは、こんなにも苦しいことなのですか。
どうして、私はあの人の一番になれないのですか。


胸に込み上げる問いかけは誰に届くこともなく、私の心を幾重にもがんじがらめに締め付ける。
きりきりと引き裂かれんばかりの痛みに涙して、涙して。
一人泣きはらした私は、いつの間にか眠っていた。





あたたかなゆめをみた
あの人の腕に抱かれて
とろけるような口付けを交わす
あの人の唇が私の名を形作って
そして





「ルフィア。馬鹿、風邪を引くぞ」


浅い眠りから強引に揺り起こされて、腫れて重い瞼を押し開ける。
そこには、三日間待ち望んでいた人の姿があって。


「し、しょう」

「こんな所で寝やがって、馬鹿弟子め。暖炉も消えてるじゃねぇか」


三日ぶりに見る彼は、いつもと変わらず横柄で、口が悪くて。
それでも何一つ変わらないその姿に、乾いたはずの涙がまたこみ上げそうになる。


「あん?何だ、泣いてたのか」


俺の帰りが遅くて泣きべそかいてやがったか、なんて悪びれる風もなくあなたが笑うものだから、ついに涙腺が崩壊する。


「おい、ルフィア」

「ばか……師匠のばか……!」


あとからあとから溢れるその雫は、ひどく熱くて苦しい。
悪かったよ、と抱きしめるあなたの胸から
知らない香水の、香りが、して
すべてを、さとった


「泣くな、ルフィア」

「……ッ、んっ…………」


塞がれる唇。
あやすように、滑り込んでくる舌。
包み込むように、回された腕。
そのすべてが
悲しくて
愛しくて
どうしようもなくて


「ルフィア」

「ほら、もう泣くな」

「愛してるぜ」


うわべだけのことばが
こんなにも、うれしいなんて

こんなにも、
かなしい、なんて


溺れるように押し倒されたソファの脇。
机の上に放り出したタペストリー。
聖夜のための、飾り物。
三日三晩かけて作ったそれは
ツリーのてっぺん、銀色の星を刺せば完成する。
クリスマスツリーの星の飾りをかざったひとは、願いが叶うのだと、それは記憶に残る数少ない母の言葉。


嗚呼
あなたは、私のささやかな願いでさえも
赦してはくれないの

『誰よりも、愛してほしい』

そんな、願いを


fin

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