抱きしめることすらできない


※暗くて重い



不意に、意識が引き戻された。

なんだか異様に体が重い。風邪でも引いたんだろうか。ひどい寒気もする。
耳元で声がする。たぶん阿伏兎の声だ。
今朝もまた寝坊してしまった私を起こしにきてくれたのか。
ごめんね阿伏兎。でもまだ眠いよ。体の調子も悪いみたいだし、今日はもう少し寝かせてよ。

目を閉じたままいくら二度寝を決めようとしても、それでも声は止まない。阿伏兎が必死に何か言っている。しぬな、って。
重いまぶたをこじ開けてみたら、滲んだ視界の中に、阿伏兎を見つけた。



どうしたのそんなに哀しそうな顔して。
また眉間に皺が寄っているよ。実年齢よりオジサンに見えるから止めなよっていつも言ってるじゃん。

奈紅瑠、奈紅瑠って、阿伏兎は何度も何度も私の名前を呼んでいる。
その声はいつになく激しくて、必死で、まるでシてるとき、みたいな。
やめてよ、恥ずかしいよ。団長もみんなも見てるよ、私たちを。
でも、どうしてみんなそんなに哀しい顔をしてるの。団長。なんで笑ってないの。笑ってよいつもみたいに意地悪そうに。そんな顔されると逆に怖いよ。
ねえ阿伏兎、今日は何だかみんなおかしいね。


目の前の阿伏兎は、相変わらず悲痛な表情で私を見続ける。
その唇はなおも私のことを呼んでいる。けど、阿伏兎の声に被さるように耳元でどくどくという妙な音が聞こえ始めた。
それが自分の鼓動の音だと気付くまで―――私がいるのが自室のベッドの中ではなく、私自身の血に濡れた阿伏兎の腕の中だと気付くまで、もう少し時間がかかった。



ああ、思い出した。
私は吹っ飛んだんだ。



今日が水曜日で、今朝の朝ご飯は蜂蜜をたっぷりかけたトーストで、それにかぶりつきながら、来週にはそろそろ江戸で桜が見頃だから見に行きたいね、って阿伏兎に話していたこと。このクソ忙しいのにしょーがねぇな、我が儘娘は。なんて言いながら、デートを了解してくれた阿伏兎がニヤリと笑ってくれたこと。
沈める目的で降りた星で、今日もたくさんの首をねじ切ったこと。逃げ惑う敵を追っていった先で、強烈な火薬の匂いをかいだこと。あっと思ったとき、突然の閃光があったこと。
そして。




ぽた
頬に、なまぬるい血とは違う冷たいしずくを感じて、沈みかけていた私の意識はまた浮上した。
ひとつ、またひとつと頭上から降ってくる雨。
なんてことはない。それは絶望に顔を歪めた、思えば初めて見る阿伏兎の涙で。
私はようやく、自分が手遅れらしいことに気が付いた。


泣かないで、阿伏兎。
濡れた阿伏兎の頬を撫でようとして、ああ、と思った。


……腕、ないや。


持ち上げようとした左腕は、肩から先が綺麗さっぱりなくなっていた。


おそろいだねえ。
冗談のつもりでそう呟いた。つもりだった。潰れた喉からは、か細い空気がヒュウと抜けていくだけだった。


文字通り千切れた肩の傷口から、真っ赤な血が吹き出しているのが見えた。私から出て行く血液が、耳の中でどくどくと鳴り響く鼓動に合わせて地面を濡らしていくのが、ひどく滑稽だった。
さっきまであれだけ重かった体が、大量に血を失っているためか急速に軽くなっていく。
見えないけどたぶん、腕だけじゃなくて足もだめだ。
嘘みたいに痛みはない。何も感じない。抱きしめてくれる阿伏兎の腕のぬくもりも。


目だけ動かしてもう一度阿伏兎に視線を移す。
泣いているのか怒っているのか、白くかすんでいく視界ではそれさえももう分からない。それでもいまはただ、阿伏兎だけを見ていたい。



ごめんね、阿伏兎。桜、一緒に見たかったな。
桜だけじゃなくて、海も、花火も、紅葉も、雪も、星も。雪解けの中から新しく芽吹く新緑も、何もかも。


しだいに遠くなる阿伏兎の声。わずかなそれさえ、きっとすぐ聞こえなくなってしまう。
もっとたくさん、私の思いを阿伏兎に伝えておけば良かった。私が消えても、それだけは消えてしまわないように。


何よりも愛おしいあなたを、わたしはもう



fin
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