拝啓、愛し君へ



庭に、大輪のクチナシの花が咲いた。

初夏の訪れを告げる真っ白な花びらと、甘く鼻孔をくすぐる芳香。
任務に忙殺され、久しぶりに出来た非番。
あいにく彼は非番の日でないことは知っていたから、何をするでもなく、私は縁側に座って一人、静かにその花を見つめていた。
抜けるように晴れた青い空とクチナシの白さとが、心地よいコントラストとなって私の視界にとけ込んだ。

甘い香り。
それはまるで、現世の洋菓子を彷彿とさせるような。

香りの記憶というものはとても鮮明なもので。
死神として生まれ変わってから早何十年。
現世で生きていた頃の記憶はほとんど忘れてしまったけれど、このクチナシの花の香りだけは、今も色褪せること無く私の胸の中に残っていた。

初夏の朝。どこかの家の生け垣に咲く、クチナシの香り。
母に手を引かれながら歩く私に、それはとても新鮮で、あたたかな香りで。
母の手の温もりと、朝の空気と、クチナシ。
私にとってはそう。クチナシは幸せを表す、香り。


「彩ちゃん」

「……春水さん」


ふいに声をかけられて、驚いてクチナシから視線を移す。
私を驚かせようとしたのか、霊圧を消して立っているのは勿論、愛しい彼。
久しぶりに顔を合わせた彼は、いつもと変わらない穏やかな笑み。
久しぶりです、と笑って、けれど、今日は非番じゃないはずでしょうと尋ねたら、うん、まあねえと言葉を濁された。


「もう。また私が七緒ちゃんに叱られるじゃないですか」

「まあ、たまにはいいじゃない。せっかく今日は彩ちゃんが非番だって聞いたからねぇ」


サボりはたまにじゃないんだけどなぁ、と思いながらも。
あまり二人でゆっくり会う時間が取れないことを考慮してくれた彼の言葉が、嬉しくて。つい、今日も彼のサボリを黙認してしまう。


「それにしても、いい香りだねえ。その花かな?」

「ええ。クチナシです。」


ちゃっかりと私の隣に腰を下ろした彼は、白いクチナシの花に視線を向けた。


「ずっと遠くからもこの香りがしていたよ。いい香りだから気になってねぇ。なるほど、彩ちゃんの庭からだったんだね」

「クチナシは香りが強いですからね。でも、この花が咲くと夏が近づいていることを教えてもらっている気がして、すごく嬉しいんです」


クチナシに目をやったままそう言うと、なぜだか横顔に彼の視線を感じて。
見上げると、彼は不思議そうな目でじっと私を見ていた。


「春水さん?……顔に何かついてます?」

「うん?ああ、いや、違うんだ。うーん、なんていうか……」

「…………?」

「何だか彩ちゃん、しばらく会えない間に、いままでよりも……そうだな、いままでにも増して、女性らしくて綺麗に見えるよ。不思議だねえ。何だろう、この感じ」


そう言って彼は、嬉しそうに、そしてゆるやかに私の頬を撫でてくれた。
温かい温度。それは何よりも深い愛情を孕んだ温もり。

嬉しかった。
彼が、私自身でも気が付かなかったような"そのこと”を、敏感に感じ取ってくれたことが。


「そうですね……当ててみて下さい。どうしてなのか」

「うーん、そうだなぁ……紅を替えた?」

「はずれです」

「じゃあ、髪を切ったとか……違うよねぇ」

「残念ながら」

「うーん……分からないな。何かヒントはないのかい?」

「ヒント、ですか……」


目に飛び込んできたのは、そう。
クチナシの真っ白な花。


「……知ってますか?春水さん」

「ん、何だい?」

「クチナシの花言葉は、"幸せを運ぶ”っていうんですよ」

「へえ。いい言葉だね。確かに、ぴったりかも知れないなぁ。……うん?それがヒントかい?」

「ええ」


ああでもない、こうでもないと考え込む彼に苦笑して、私はそっと自分の腹部に手をやった。
感じ取れるのはまだ、私一人分の熱だけ。
いまはまだか細くて、小さな小さな鼓動。
けれど、確かにそこに息づく新たな命のことを


「……あのね、春水さん」


彼の羽織を握って、目線をまっすぐに合わせる。
自然にあふれ出たのは、やわらかな気持ちと、微笑み。


「10週目、だそうです」


彼は、ゆっくり、ゆっくりと目を見開いて。
けれど次の瞬間。
とても強い、だけど優しい力で私を抱きしめてくれた。
万感の想いのこもった、「ありがとう」と共に。

生まれてくる命が抱く記憶も
あたたかなクチナシの香りだったらと、願う。


fin
冴羽久美さんへ
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