寒くて目が覚めた。
 は……と吐き出した呼気が白く浮いた。ああ、やっぱり、すごく冷えてるわ。
 外を確認したい。自分の毛布を肩に背中に腹に腕にと巻き付けたまま起き上がる。ついでに、ゆるく一つ結いにした自分の紅い髪も、襟巻よろしく首に巻き付けておく。
 体温の高いリンと、それにしがみつくようにして眠っているテミを踏んづけないように、そうっと天幕を横切る。足を差し入れた靴が氷のように冷えていて後悔したけれど、後戻りはしない。だって何か聞こえるじゃない――幽かな旋律、仄かな抑揚。これは歌?
 天幕の合わせのまじないを解いて外に滑り出る。踏んだ土がシャリッと音を立てたのと反対に、歌は止んだ。
「やめるの?」
 声をかけると、雪よりも淡いルファは唇をきゅっと吊り上げた。
「ええ、あまり達者でないものを聴かせるのは、私も恥ずかしいですからね」
「練習してたわけでもないでしょ」
「おやご明察」
「それくらいわかるわよ」
 ルファの足元の地面が下草ごと凍りついていた。ルファを軸として、冷気が放射状に広がっている。冷気……いいえ、私が感じ取ったのは冷気というより魔力の残さに近い。ルファは、ただ歌っていたわけではない。
「魔力の不定愁訴、エルフにもあるのね」
「……」
 図星だったのか、ルファは一言もない。目が笑っていない。作り笑顔ならもっと上手くしてくれないかしら?

 魔力の不定愁訴は、魔法の種火となる体内魔力を蓄積しすぎると稀に発生する、様々な悪性の症状の総称だ。魔力に関係するものだから、必然、より高度な魔法を操る者ほど、この不調の規模は大きくなる。
 誰にでも起こり得ることだから対策はそれなりに考えられてきたけれど、結局は「貯めた魔力を消費する」のが手っ取り早くて効果も高い。
 もちろん、私だって例外ではない。薬学と魔法の研究に打ち込んでいた時は、貯めるだけ貯めて使い途を失った魔力を発散させるために、普段は断るような頼まれごとを引き受けたりもした。畑の焼き入れや、小さな工房の炉心の研磨などを。
 でも、エルフに私のような人間と同じ症状があるかどうかは知らなかった。だってエルフって、身内のことに関しては異様に口が固いんだから。今まで誰も知りようがなかったんだわ。エルフは普通、人間よりも高度な魔法を使う生き物だから、そもそも不定愁訴なんて起こらない体のつくりなのだとか言う魔法使いもいたし。

「まあ、私たちエルフの魔力許容量があなたがたの少々貧弱なそれとは比べ物にならないのは承知でおっしゃっているのでしょうから、ええ、その通りですとお答えしてさしあげますね」
 黙りこくっていたルファが一気にしゃべりだした。ペースを奪ってうやむやにする気? その手には乗らないわよ。
「そうね、歌で魔力を流しだすなんて器用だわ」
 でも効率悪いんじゃない、という言葉は呑んでおいた。
「なんらの目的もなく魔法を編むのは気が乗らないでしょう」
「それは分からないでもないわね」
「あなたの貧乏性由来の同感は嬉しくないですねぇ」
 なによ。確かに、どうせなら役立つように使いたいわよねって思ってるけど。
「あんたね、言わせておけば……は、は、はっくしょん!」
「おやおや寒そうですね」
「だ、誰のせいよ誰の……あっ!? まさか今朝の冷えってルファ、あんたのせい?!」
「はぁ、やるならもっと大規模にやります」
 じゃあなんだってこんなに冷えてるのよ、と不満をぶつけかけて、ふと思い出した。暦はもう風季闇月。こんな時期に北を目指してくれば、寒くなるのは当たり前だわ。私たち、そんなに長く旅してきたんだ。

「ねえ、熱を広げるように歌えないの」
「唐突ですね?」
「できないならできないで、別に構わないわ」
「まぁ、できなくもないですが」
「それじゃあやってみせて」
 しつこくねだっても、ルファは中々うんと言わない。できないまではいかなくても、苦手なんじゃないかしら。
「でも良いのですか?」
「え?」
「火はあなたの担当かと」
「……」
 やってみせろ、ということらしい。私がどうやって魔力を排出するのか見せてみろと。
 確かに、最近は大きな戦闘もなく、強力な魔法も必要なかったから、私も少し持て余している。でも……。
「あなたの言う通り貧乏性なのよね、私。もうちょっと取っておくわ」
 本当はそんな理由じゃない。あんな、綺麗な魔力の軌跡を聞かされ、見せられた後で……ただ無目的に魔法を発動するだけの、暴力に近いやり方を見せるのは気が引ける。それに私は、他の方法なんて試したこともない。
 だって使ってしまうのが一番合理的じゃないの。正しいはず……でも、だったらなんでこんなに気後れしているのよ。
「教えて差し上げましょうか」
 一瞬、理解が追い付かなかった。今、教えるって言ったわ。
 いや、ルファのことなんだから、見返りにとんでもないものを要求してくるに決まっている。私が断るしかないようなのを。
 そう思ったのに、私の口からは、
「本当に?」
 無邪気な言葉がこぼれてしまった。

「本当ですとも。ご安心ください。別にあなたが特定の植物を加工して魔法に応用している技術に興味があったりするわけではありませんからね。ええ、そうですとも。」
「興味津々じゃないの……」
 ああもう、やっぱりだわ。でも、残念。自分の研究にこだわって秘匿する魔法使いばかりじゃないのよ。
「いいわよ、別に。いくらでも教えてあげるわ」
 堂々と言い放ってやると、ルファは一瞬面食らったようだ。
「……毛布でぐるぐる巻きの方に格好をつけられましてもねぇ」
「今さらいいのよそんなことは!」
 寒いからこうしてるんじゃない。さっさと暖めてくれればいいのよ。
 わざとらしく震えてみせると、ルファはようやく、分かりましたと言葉にした。一呼吸。長い耳へ、長い髪をさらりとかける。
「それでは、お手本を」
 そして、柔らかな声が流れ始めた。



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「魔力の不定愁訴」はテンミリクエストのイベントカードから。ゲーム内では、マナを貯めた状態で不定愁訴を起こすと最悪ゲームオーバーになるのです。
致死の可能性。めっちゃいいじゃん……??
※テンミリクエストとは、フィンディルさんが企画なさった、チャットでできるボードゲームです。詳しくはこちらへどうぞ!→甘美なテンミリ(チャット会場)