※シリーズ1終了後のアナギャ



 第二美術室の戸がからんと滑った。くぐるようにして入ってきたのは真っ黒のライダースに身を包んだ長身の少年。その真っ赤な髪は隠しようもない、ガリレオの称号をもつ天才・逆之上ギャモンである。どういうわけか美術棟を訪ねてきた彼であったが、
「おいアナ? いるか?」
 その呼びかけに応える者は誰もいなかった。ここの主たる美貌の少年は目下留守にしているらしい。ギャモンは少し残念そうに「いねえのか」とつぶやいて、描きかけのままのカンバスを横切り、完成品やらなにやらがばらばらと立て掛けられたゾーンも通りすぎ、窓辺の気持ち良さそうな床に腰を下ろした。少々尻が痛いがまあ問題あるまい……そんな感じの表情を浮かべて、壁に寄りかかり本を開いた。

 それからいくぶん時間が経ったころ、ギャモンが寄りかかる位置の丁度真上にある窓が突然、かたたーんと開いた。続いてさっと影がさし、
「ほえっ」
「アナァーーー?!」
 どんがらがっしゃん、派手な効果音にまみれながら、窓から屋内に飛び込んできた美少年――ダ・ヴィンチの称号をもつ天才、アナ・グラムがギャモンを押し潰した。
「て、て、てめぇアナ! どっから来んだよ?!」
「あーギャモンだー」
「おう、俺が逆之上ギャモン……ってそうじゃねえ!」
 腹の上に落ちてきたアナをとっさに抱きとめたギャモンは後頭部を壁にしたたかにぶつけ涙を浮かべていた。しかしその怒りも、アナにかかればただの挨拶でしかない。ギャモンは早々に叱咤をあきらめた。
「なにしてるのー?」
「見りゃわかんだろ、読書だ読書」
「そっかー!」
 でもでもなんでここにいるの? アナが首を傾げると、ギャモンはげんなりした顔で説明を始めた。
「キュー太郎が新型メカを開発したとかどうとかで、テラスが騒がしくってよ……とばっちり食う前に逃げてきたんだよ」
 多分バカイトあたりが餌食になってんだろ、と付け加えたギャモンは悪い笑みを浮かべている。
 POGやらオルペウスやらの面倒事が片付いてからのギャモンは、くるくるとよく表情を変えるようになった。挑戦的な笑みから真っ赤な照れ顔へ、眠たそうな半目から怒りのつり目へ、めまぐるしく変化するその表情は、アナの目にとてもとても好ましく映った。そう考えているうちにも、ニヤリとあがっていた口角が元に戻り、灰色の瞳が興味深げにアナを覗き込む。
「んで、おめーは何してたんだ? テラスにゃいなかったよな」
「ネコトモに呼ばれてた!」
「お、おお……」
 秋の日差しが降りそそぐアナの顔にはみじんの陰もなく、ギャモンは思わず頷いた。
 アナ・グラムは本人からの言明がない限り、可憐な少女にしか見えない。身も心も男なのだとわかっていても、それを忘れてしまいそうなほど麗しい外見。そんな存在が近距離にいて、しかも過去には絵だけに注がれていたはずの視線がこちらにも向いている(ような気がする)のだ、ドキドキしないほうがおかしいよなあとギャモンは思う。本格的なときめきを覚える前に、腹の上から彼をどかした方がよさそうだ。しかしギャモンが何か声をかける前に、アナがその桜のくちびるを開いた。
「アナが思うに、ここに戻ってきて良かったー」
「あん? アナなら、テラスに行っても巻き込まれずに済むんじゃねえか?」
「んーん、そうじゃないんだなー」
 首を振った拍子に、うなじで一括りにされていた亜麻色の髪がふんわりと揺れた。
「でも、今はそういう意味でいいかもー」
 アナが微笑む。その女神のような笑顔を見ると、わざわざ真意を問うのは無粋に思えてくる。あるいは、ギャモンがアナの真意を恣意的に解釈したいからそう思えるのか。
「お前はほんと……わけわかんねーよな」
「ほえ? そう?」
 わけわかりまくりじゃないかなー、と首をひねっているアナを今度こそ腹の上からどかし、ギャモンは立ち上がった。
「ま、ほとぼりも冷めた頃だろうしよ、俺はテラスに戻るぜ」
「おおー、りょうかーい」
 床にぺったりと座り込んだアナが掴みどころのない声で返事をする。ギャモンはその様子を見て何故かきまり悪そうに頭を掻いた。
「……あー、で、アナ、おめーはどうすんだよ」
 ぶっきらぼうな上に解りにくい"お誘い"だったが、アナにはそれだけで通じたようだった。アナも行くー! 着替えるから待ってー! と急いで服を脱ぎ出したアナから、大慌てで目をそらしたギャモンの頬はほんのりと赤らんでいたとかいないとか。