ぱちっ、と火花が散るようだった。視界が急速に狭まり、それから弾けるようにひらく。幼い日から今日までのことが濁流のように次々と思い出され、僕を飲み込んだ。砂浜、浅瀬の魚、笑顔、漁火、塩の味、森、動物、死の祈り、草いきれ、黒煙、朽ちた柵、神のこと、雨、道、知りたかったこと、石畳、血の色、空、生の喜び、花、それから、それから……。
 その中でひときわ鮮やかだったのは、やはりあの人だった。あの人とは初めて会った時から上下というか、そういう立場に収まることを決め付けられていた。上司と部下といっていいのだろうか、あの上下関係は。僕は世話係のような気分だったけれど、あの人の方はきっとそうは思っていなかっただろう。あの人の命令はいつも理不尽で、いや、命令というか、無茶なお願い事という感じで、それでも僕はそれに従わざるを得なかった。だってそうしないと散々文句を言われるし、ひどい時は拳が襲ってくる。だから僕はちょっとだけ嫌なそぶりをしてみせて、それからしぶしぶといったふうにお願いをこなすようにしていた。僕たちの関係はそういうものだった。
 今思うと、あの人のお願いをきくのはそこまで嫌じゃなかったのかもしれない。だってお願いをこなしたら、あの人はとても満足そうな顔をするのだ。あの顔は……好きだった。そうだ。好きだった。嫌々いうことをきくという体を装ってはいたけれど、僕は、ああ、つまり、そういうことだったのかもしれない。

 ……あの人とは、本当に色んな場所を旅したなあ。夜の街路を全力疾走した時もあったし、山岳地帯で野犬に襲われた時もあった。ああ、戦う時、僕はいつもあの人の後姿を見ていたんだな。ん? あ、でも、沼地で殺人魚と混戦になったときは、背中合わせになったっけ……。じゃあ向かい合ったのはどんな時だ? ……食事かな。あの人と僕の好物は高確率でかぶってて、油断していると奪われる……あー、トトネキの素揚げ、また食べたいな……一人二匹までって言われてたのに、あの人、僕のを一匹持って行くし……すぐ食べるし。あれは許せない。許せない? ……許せないかなあ。あの人、美味しそうに食べる。なあ。幸せそう。満足そう。……僕は、やっぱり、あの人のあの顔が……。

 夜中の、見張り番……、轍をたどる……朝、……水を覗く……剣は白銀……、霧の日の……首、寒さ……指……僕はあの人の温度をどれだけ……。

 ばつん。
 そこで、もう一度火花が弾けた。曲刀のなめらかな刃が首の左側面から右胸にかけてを走る。やがて燃えるような熱をはらんだ激痛が来るだろう。不思議と怖くはなかった。でも、あの人に何も伝えられないのが少し残念だ。あの人の期待にこたえたかった、あの人に認めて欲しかった、あの人を幸福にさせたかった、あの人は、僕は、僕の、ああ、あの人の、願いを……。



「申し上げます。ダグルイール要塞近辺での作戦行動を行っていた第一偵察部隊は、"西の蛇"傭兵団と交戦、拠点から撤退しました」
「被害は」
「死者1名、傷者8名、行方不明者2名となっています。傷者のうち1名はいまだ昏睡状態にあるようです」
「部隊長は」
「……行方不明となっています」
 報告する兵の声がふるえた。ブロントもほんの一瞬だけ、口元を硬くした。しかしすぐに、唇をほどく。
「作戦のほうは」
「既に完了していたとのことです」
 ブロントが頷きを返すと、伝令兵は一礼して下がった。部屋の扉が完全に沈黙すると、ブロントはふっと溜息のように笑った。
「まあ、お前なら、やるよなあ……」
 その表情は、かの部隊長の求めたそれとは、少しだけ違っていた。