縛り:病院×手袋×嘆く




 窓の外は一面の銀世界だった。雪に反射した光はその輝きをいっそう強くして、部屋に飛びこんでくる。病室。窓際のベッドの上で、枕とクッションに背中を預ける男がいる。白いシーツの中、白い病院着に身を包んだ、彼の名前はブロント。窓から入った光が長い金髪に当たって、きらきらと万華鏡のように砕け光っていた。群青の目がこちらに向く。
「どうしたクロウ、そんなとこで突っ立ってよ。寒いからさっさとドア閉めろよな」
 明るく、あっけらかんとした声だ。空元気というふうでもない。この、病院という場所には似つかわしくない明るさだ。
 からからと静かにすべるドアを後ろ手に閉め、俺は彼のいるベッドに近付く。
「菓子は食べるか」
「おー、食べる食べる」
「カステラとケーキがある」
「へー、女受けするチョイスだな」
「そうか?」
 言いながら、土産の箱を近くのテーブルに置く。ブロントはおかしそうに笑っている。
「出たよ、無自覚モテ男発言。あ、俺カステラな」
「わかった」
 手袋を外して、それも机に置く。俺が菓子の箱を開く間、ブロントはそれに手を伸ばし、弄びはじめた。
「合皮か」
「ああ」
「でもカッコイイなこれ」
「安物だぞ」
「お前が着けてると高級品ぽく見える」
「褒めてるのか?」
「当ったり前だろ」
 そこらのデパートで安く売られている大量生産品。黒っぽい合皮の手袋で、内側はパイル地。大して珍しくもないそれを、ブロントは面白そうにひねくり回している。ブロントの思考は、俺にはあまりよくわからない。
 わからないから、返事をせずに、開封したカステラを手渡す。ブロントは手袋を膝の上に放り出し、カステラにとびついた。あまり血色のよくない唇が、黄金色のカステラに触れる。そこから視線をはがして、プラスチックのフォークを手に取った。ケーキをもぐもぐと咀嚼していると、ブロントは「おっ」と感嘆の声をあげた。
「うめぇな。どこのだコレ」
「駅前のスイーツ店だ」
 答えてから、しまったと思う。
「へー、新しい店でもできたのか?」
「ん……ああ」
 話を続けようとするブロントへ適当に相槌をうちながら、俺は自分の馬鹿さ加減に呆れていた。病室の外に出られない人間に、外界の変化を見せつけるようなものを買うなんて、間抜けにもほどがある。いつも同じ土産ではつまらないだろうと、新しい店のものをと思ったのだが……考えが甘かった。
「クロウってさあ」
 どうやって誤魔化すか頭を悩ませていると、ブロントの声が降ってきた。視線をあげれば、いつになく柔らかい笑みを浮かべた彼の姿がある。
「良い奴だよなあ」
「?」
「こんなに見舞いに来てくれんの、お前だけだぜ」
 そう言ったブロントの笑顔はとても朗らかなものだった。少なくとも、病室から出ることもままならない病人の浮かべる表情ではない。
「おいこら、なんでお前がそんな顔すんだよ」
 骨の目立つようになった拳で、肩を小突かれた。
「別に何も」
「お前の方がよっぽどつらそうなんだもんなあ」
 息が詰まるような心地がした。つとめて平静にしていたのに、ブロントにはすべて見透かされてしまっている。
 幼少期、ブロントと一緒に野山を走り回って遊んだことを今でもよく覚えている。お互い成長した後も、屋外で体を動かして交流することが多かった。そんなブロントが今、病室から一歩も出ることができない。その苦しみに比べれば、俺の気持ちなんてちっぽけなものだ。
「ブロントくんの方がよっぽど苦しいはずなのに、気を遣わせて申し訳ないー、とか思ってるだろ」
 まただ。
「笑うな」
「いや、無茶だろ、クロウお前マジわかりやすい」
 俺をわかりやすいなんて評するのはブロントくらいだ。ブロントだからだ。

 刻限が近付いていた。窓から降る光が、シーツを長方形に切り取る。影の中で、ブロントはまた俺の手袋を弄んでいた。
 食べ終えた菓子の包みを片付けて、席を立つ。手袋を寄越せと言うと、ブロントは一瞬目を伏せた。それから思い切ったように言葉を吐き出す。
「これ、片方もらってもいいか?」
 その時の彼は見たこともない表情をしていた。俺の語彙にはない、俺の知らない顔をしていた。あるいは、様々な感情が複雑に入り混じって、元のそれがなんだったのかわからなくなったような。
 それでも、彼が冗談を言っていないことくらいはわかった。
「ああ、構わない」
 返す声は自分で思うより掠れていた。俺はまたあの表情を見せているのだろうか。
「ん、サンキュな」
 ブロントが、今度は笑った。白い病院着の襟元が寒々しくて、今度の差し入れは防寒着にしようと思った。
 ブロントの手の中で、安物の手袋がくしゃくしゃになっている。