縛り:洋間×タオル×寂しい


 ぴかぴかして、落ち着かない部屋だ。
 精巧な絵画が隅々まで描かれた天井を見あげて、ミドリはそんなふうに思った。彼女は絹を張った長椅子に寝転んでいた。長椅子の足は華奢にくびれているし、足元の絨毯はふかふかと柔らかいし、隣の卓は完璧に丸くてつやつやしているし……豪奢な部屋には違いなかった。何もかもが美しく飾り立てられて、きらびやかだった。
 しかしミドリには、それらが何もかも寂しいものに見えた。この家具や道具は、人間のむき出しの感情に触れたことはないのだろう。だってそんなことをしたら壊れてしまう。

 ミドリは目を閉じて、彼女の故郷を思った。少し脚が歪んだ椅子、開け放たれて草の匂いを運ぶ窓、草を編んだかごは尻のところが破れている。土のむき出した床、宴に揺れる食卓、木をくりぬいたボウルが壁にぶつかって跳ね返る。そして傷んだ家具も家も、いずれ朽ちて森に帰る。それがミドリにとっての正しい「物」だった。

 目を開け、寝返りを打つと、相変わらずぴかぴかと静かに光る室内が目に飛び込んできた。あの繊細なつくりの棚は、ミドリが飛び乗ったり乱暴に開け閉めしたりすれば、すぐにガタがくるのだろう。そうしたらあの男は怒るのだろうか、とミドリは考えた。この完璧に美しい部屋の中で、ミドリだけが異質に脈打っていた。暴れ出したい衝動がミドリの中で高まっていく。全部壊してやろうか。躍動が限界に達しようとしたその時、部屋の扉が開いた。
「ミドリ」
 硬質な声は部屋に馴染んで、美しかった。ミドリは体を起こして扉の方を見遣る。男がいた。白い布を両腕に広げながら、男は部屋を進む。背後で扉がぱたりと閉まった。絨毯のせいか、男には足音がなかった。
「食事の用意が整った」
 男はそれだけを告げると、布を広げた少し滑稽な恰好で、ぴたりとその動きを止めた。ただ目だけが、時折瞬きをしながらミドリを見つめていた。どうやらミドリが動き出すのを待っているらしかった。
「クロウ」
「なんだ」
 ミドリが名前を呼ぶと、男は――クロウは短く答えた。ミドリ首を傾げて微笑むと、続ける。
「ここ、きれいだな」
 彼女には精一杯の褒め言葉だった。そうだ、ここはきれいだ。美しいものばかりが並んで、音もなく凍りついている。クロウに似合う、美しい部屋。それは確かだった。
 クロウは戸惑ったように口元をもごもごさせ、それからミドリの寝そべる椅子のそばに跪いた。彼は広げた布で、ミドリの足先から、優しく丁寧に彼女の体を拭いていく。複雑な模様が描かれた脚、呼吸のたび上下する腹。布を裏返す。褪せた赤い色の布に巻かれ、鼓動する胸。首筋。血の流れる音。鮮やかな緑の髪がクロウの手を滑る。顔。頬には治りかけの傷がひとつ。クロウはそこに触れないよう、布を当てていく。
 ミドリの全身をくまなく拭きあげると、クロウは溜息を落とすように呼吸した。

「ミドリより美しいものはない」

 その言葉が嘘でないことは、クロウの澄んだ深紅の瞳を見れば明らかだった。ミドリは思わず苦笑する。
「お前の考えることは、あたしにはよくわからないね」
「そうか?」
 クロウが首を傾げた。本当に不思議そうなその表情に、ミドリはますます苦笑の色を濃くする。
「さて、飯だって?」
 ミドリは軽やかな動きで立ち上がった。次いでクロウも腰を上げる。
「あたし、魚が食べたいな」
「今夜は羊の肉だと思うぞ」
「残念」
「好きだと思ったのだが」
「嫌いじゃないよ」
「そうか」
 二人が部屋を出ると、豪奢な扉が閉まり、完璧な静寂が辺りに満ちた。