テントの布を透かして降る夜明けの光を、閉じた目の奥でとらえ、ブロントは今日も目を覚ました。昨日良い水場が見つかったおかげで、野宿だというのにテントの中はあまり汗臭くない。
「悪くないな」
ブロントは機嫌よく体を起こし、適当にブーツへ足を突っ込む。まだ寝ている仲間への遠慮など一切感じられない足音を立てながら、テントの隅に置いた自分の荷袋へ向かった。内ポケットから藍色の髪紐と木製の櫛を取り出し、そのままテントを出る。
朝の澄んだ外気を吸いながら髪を結いあげるのが彼の日課である。さらさらした金髪に櫛が通っていく感覚で、彼は朝を感じるのだ。ぶらぶらとテントの周りを散策したり、さてどの方角に進むのだったかと考えたりしながら、いつもの位置に髪をまとめ、髪紐でくくる。――ぶちん。
「……ん?」
 不吉な音に、ブロントは眉をひそめた。まとめたはずの髪が、首を伝ってさらさらと落ちてくる。左右の手にはそれぞれ、元々の長さの半分になってしまった髪紐が、無残にしなだれていた。

「何してんのよ」
 女子テントの側から、マゼンダが歩いてきた。髪紐を手に突っ立っているブロントの姿を不審に思ったようだ。
「ああ、紐が切れちまってな」
 ブロントは真っ二つになった紐をぷらぷらと振ってみせた。マゼンダが「うわ」と目を細める。
「すごい千切れ方ね。どんだけ替えてなかったのよ無精者」
「お前嫌味言う時いっつもその顔になるな」
「今それ関係ないじゃないっ」
 一瞬で目尻を釣り上げたマゼンダのきいきい声を聞いているのかいないのか、ブロントの目線はまた紐に戻っていった。つられて、マゼンダもその紐の様子をまじまじと見つめる。
「気に入ってたし、大切に使ってるつもりだったんだがなー」
「まあ、この房飾りとかオシャレだしね」
「わかってるじゃないかマゼンダよ」
「そういう反応ウザいわよ」
「それでずっとこれだけ使ってきたからなー」
「聞きなさいよ!」
 都合の良い部分だけ聞いてんじゃないわよ、と言おうとしたマゼンダは、ブロントの顔を見てその言葉を飲み込む。何、しゅんとしちゃってんのかしら。似合わないんだけど。どんな言葉をかけて良いかわからず、マゼンダは顔をしかめてその紐を睨んだ。その様子に気付いたブロントが目をぱちくりさせる。
「おいマゼンダ、怖い顔になってるぞ。……元からだっけ?」
「燃すわよ」
「せめてレアで頼む」
「バカじゃないの」
 ブロントのおどけた言葉への反応も薄い。
 こいつは手強いな、とブロントは少しばかり真面目になってマゼンダを見た。ブロントになんやかんやと声をかけていたくせに、彼女自身の髪は緩くひとつにまとめられているだけで、普段のツインテールとは程遠いだらしなさだ。恐らく彼女もこれから髪を結ぶところだったのだろう。
「そういえばマゼンダも髪おろしたままだな」
「ん、私もこれからよ」
「結構長いな」
「そりゃあんたに比べたら長いわよ」
 マゼンダは「だから何?」と言いたげな顔でブロントを見上げた。しかし彼の腕が真正面から抱きしめるような形に伸びてきて、思わず目を見開く。肩の上を通り、耳の下から後頭部の辺りに収まった手が、赤い髪をすくうように持ち上げた。触れているのかいないのかよくわからない微妙な熱が耳を掠め、くすぐったいようなそうでないようなその感覚に、マゼンダの手足が一気に強張る。思っていたよりもずっと近い位置にブロントの腕や胸、顔があった。
「こんな風になってるのか」
 ブロントは合点がいったと言わんばかりにふんふんと頷いている。
「高い位置で結うと、少し短く見えるんだな」
 そう、ブロントは、マゼンダの髪を「いつもの位置」に持ち上げているのだった。マゼンダの顔がかっと紅潮する。
「そ……んなの、当たり前よ!」
「うおっと、殴ることないだろ」
「どうせ避けるじゃないっ」
 マゼンダはやっとのことで腕を振り回し、ブロントを遠ざけた。そういう問題なのか、と神妙な顔をしているブロントをぎろりと睨んだマゼンダは、そこで自分が握っているもののことを思い出す。
「ちょっとそこ座って」
 顔を俯かせたマゼンダが、昨夜焚火を囲んだ場所を指し示した。
「ここか?」
「そうよ」
「こうか」
「あっち向いてよ」
「なんでだ」
「いいから言う通りにしなさいよ!」
 中々思い通りに動いてくれないブロントに、マゼンダの理不尽な怒号が飛ぶ。ブロントは不思議そうな顔のまま、マゼンダに背を向けるようにして座りこんだ。
「じっとしてなさいよ」
 マゼンダはぶっきらぼうな声で言うと、ブロントの髪に手を差し入れた。細い指先が髪をまとめていくのがわかり、ブロントは「ああ」とつぶやく。
「結ってくれるのか」
「私のリボンじゃ不満なの?」
「いや全然。嬉しいって」
「あっそう」
 髪を梳く手の温度が心地よく、ブロントは目を閉じて微笑んだ。マゼンダの手は小さいが、素晴らしく器用に動く。髪が引っ張られる痛みもほとんどない。しゅるしゅる、布の擦れる音を最後に、マゼンダの手は離れていった。
「はい終わり」
「ん、ありがとう」
 肩をポンと叩かれ、ブロントは立ち上がる。軽く頭を振ると、髪がさらさらと動く気配があった。マゼンダが悪戯っぽく笑う。
「いつもよりちょっと高い位置に結ってみたわ」
「本当だ、何か面白いな」
「あはは、髪だけ女の子みたいで可愛いわね」
 今度は無邪気に笑った。ブロントもつられて笑う。マゼンダは、たまに笑うのが可愛い。

「私もしばらくポニーテールにしようかな」
 マゼンダが自分の髪をつまんで揺らす。ブロントは目をぱちくりさせた。
「リボン、もう何組か持ってただろ」
「私、今はこのリボンが気に入ってるから」
 マゼンダは、ブロントの髪を束ねたものと対になるリボンを手のひらに乗せ、柔らかく微笑んでいる。へえ、と腑に落ちない顔で首を捻っているブロントの頭で、可憐なリボンだけがマゼンダの気持ちを知っていた。