「なに、してるんだ」
 搾り出した声はみっともなく震えていた。声だけじゃない。このでかい図体も、がたがたと。短い髪の先がちりちりと焦げているのかと錯覚するほど。
 しかし、俺が声をかけた男は動揺したふうでもなく、ゆっくり顔を上げた。何も感じていないかのような、くすんだ赤い双眸が、一回、二回と、まばたく。悪寒が背筋を駆け上がって、言い表せない恐怖が、泥のように脳に溜まる。逃げなければと思うと同時に、恐怖にあてられてぞくぞくと、悪い好奇心が心を包む。
 すると、それまで黙っていた男が、少し長い銀髪をさらりと揺らして、ゆっくりと口を開いた。その唇があり得ないほど真っ赤なのは、まさか口紅を塗ったわけではあるまい。いけない。これは。いけない。
「愛しているんだ」
 防衛本能が遮断し損ねた言葉が、耳の奥に滑り込んで、そして弾けた。いっそ妖艶なほどに熱を孕んだ、低い声。愛しているのだと。何を、お前は。だって、それは。
「うッ、ぶ、ぉあ゛、」
 やっとまともな嘔吐感がやってきた。口を押さえてその場にへたり込む。酸っぱいものが体の奥から込み上げてきて、ゴプ、とそれが指の間から吹き出して、ボタボタと地面に落ちる。夕食に食べたカレーライスだろうか。テミの。おいしかったな。
 胃液の鼻をつく匂いに混じって、ねっとりと濃い、鉄の匂いが漂ってくる。男が息を吐くごとに、少し身じろぐごとに。そのマントにも、それは飛び散っているだろうか。真っ赤なマントは、きっと更に赤く、赤く、ぬれて、落ちていくのだ。どこまでも。俺が追いつけない場所まで。追いついてはいけない場所まで。
「……愛しているんだ」
 もう一度、噛み締めるように、言い聞かせるように、男がそう言った。もう、俺は理解していた。男が覆い被さった、もう何も言わない、"もの"を、"愛して"いるのだ、と。
 男の腕の影から溢れ出た、豊かな金色の髪が風に揺れた。