僕の背よりも高く生えた草を掻き分けて、進んでいく。一瞬だけ舌を出して、空気の味を確かめた。何かが微かに焼け焦げる臭いと、嗅ぎ慣れたあの匂い。自然と口の端に笑みが浮かんで、また草を掻き分けて進む。ちょっと長くなってきた前髪が、さらりとおでこを掠めた。
 すると、突然、草むらが拓けて、丁寧に丸く倒してある場所に出た。やっと数体が入れるスペース。その中心に彼がいた。
「ウィー君」
「……そう呼ぶなって前に言っただろ」
 声をかけたら、うんざりしたような声で返された。僕を見下ろす眼差しは煩わしそうで、でも優しくて。だから、甘えたくなっちゃうんだけどな。
「ウィー君あったかい……」
 誰に云うでもなく呟いて、足を伸ばして坐っている彼の太腿に頭を乗せた。ダメージジーンズのざらざらと、剥き出した肌のすべすべにちょっと困惑する。
「おい、オレは枕じゃねえんだぞ」
 苛々した感じで云う彼は、それでも僕の好きなようにさせてくれてる。彼の周囲に時折灯るオレンジの炎と、彼自身の体温が僕には酷くあったかい。見上げると、切れ長な目の端正な顔が仄かに赤くなっていた。それはきっと、熱気のせいなんかじゃない。
「ウィー君、きれい」
 そう言って、彼自身の熱気でゆらゆらと揺れるオレンジの髪に手を伸ばす。かっこつけかは知らないけど、ワックスか何かで立てたその髪は、見た目よりも柔らかい。それを知ってるのは、僕くらいかな。そう考えると、ちょっと自惚れたくもなるよね。
「きれいなんて云われても嬉しくねえんだよ」
 さっきよりも赤みが増した顔で、彼は云った。唇が尖がって、ああ、キス、したいな。そう思ったから、指先で遊ばせていた彼の髪の奥、頭蓋をがしっと掴んで、ぐいっと引き寄せた。
「!?」
 黄色い目がパッと見開いた。あ、結構、睫毛、長い。そう考えながら、彼の薄い唇に自分の唇を重ねる。それは思った通り、熱っぽかった。唇と唇を合わせるだけの単純なキス。暫くそれを続けていたら、彼の膝がぐっと上がって、とうとう僕は地面に放り出された。
 視界に広がるのは彼の炎じゃなくて、スラ君みたいな青空。ああ、これもきれいだけど、ウィー君のきれいさの方が、僕は好きだな。そう考えて、くるん、と半身を引っくり返してうつ伏せになる。草に肘をついて顔を持ち上げ、彼を見た。
「ウィー君」
「な、んだよっ」
 声をかけたら、上擦った声で彼が返した。彼の身体はずるずると後退して、なぎ倒されていない草のところまで下がっている。僕は腰を上げて、四つん這いで彼に近付いた。長い服の裾が草に擦れて、微かな音を立てる。ああ、白いから、草の汁がついちゃうかな。僕が彼の膝に触れようとすると、彼の腰が浮いた。
「逃げるの」
「……逃げねえ」
 単調に聞くと、僅かな沈黙の後、意地を張った言葉が返った。安い挑発に乗ってしまう、単純な彼が好き。彼の膝に手を置いて、足の間に身体を滑り込ませる。そうして顔を近付けたら、案の定僅かに上半身が後ろに引いた。
「嘘吐き」
「な、っっ」
 からかうように云って、草につかれていた彼の腕を払う。当然、バランスが崩れて、彼はどさっと後ろに倒れた。僕は少し上に上がって、彼の頭の両脇に手をついて、彼を覗き込んだ。頬は赤らみ、目は僕の顔や服を行ったり来たりしていて定まらない。明らかに焦っているその様子に、笑みが零れそうになる。ああ、もう、このまま食べてしまおうか。頭から一息に飲み込んで、胃でゆっくりと消化してしまいたい。唐突にそんなことが脳裏を過った。でも、そうしたいのは山々だけど、そうすれば、もう、キスは出来なくなっちゃうから。それはちょっと、じゃないな、かなり、つまらないかな。
「勝手なこと考えてんじゃねえだろうな」
 あれ、彼は読心術が使えたのだろうか。そう思える言葉が向けられた。僕は神妙な顔をして、首を傾げてみせた。
「胡散臭え顔」
 彼が挑発でもするように、云う。酷いなあ、もう。ただ、食べてしまいたいくらい愛しているよと、考えていただけなのに。いつか、本当に食べられる日がくるまで。……ああ、そうか、これを「勝手なこと」って言うのかな。
「うん、食べたいな、って」
「何を」
 笑顔で云うと、拍子抜けしたような顔になられた。ふわふわ、心が柔らかくなるような感覚。
「ウィー君を」
「は、えっ、あ、ば、バカ野郎!」
 即答したら、彼の顔がかあっと赤くなった。あれ、怖がるならまだしも、どうして赤くなっているのかな。……ああ、もしかして、別の意味に受け取ったのかな。うん、そっちが良いかな。何度でも食べれるし、いっぱい、キスもできるもの。そうしよう、かな。
「食べていい?」
「…………………………」
 笑いながら聞いても、答えは返ってこなかった。ああ、違うかな、拒絶は返ってこなかった、かな。僕は笑顔が溢れるのを感じながら、ウィー君のあったかな首筋に顔を埋めた。