※[わたしでだれか]様より「愛ですよ、どうですか。」というお題をお借りしました。




「ブロント」
 澄んだ声がした。成分未調整、純粋培養。ただし製造元は不明。そんなイメージ。クロウはそういう男だった。
「なんだ、何か用か」
 なるべく普通の声で。お前のことが苦手だなどと、バレないように。
「これ」
 そう言って奴が差し出したのは、胸を張るかのように精一杯咲く、タンポポだった。
「じゃあ」
 俺が何か反応する間もなく、クロウは強引に俺の手に蒲公英を握らせ、くるりと踵を返して去っていった。(去っていったと言っても、メンバーから離れて次の目的地へのルートを考えている俺のところから、騒がしいテントへと戻っていったというだけのことだが。)
 ……いや、わからん。何の真似だ。人類史上最高に頭の良い俺でもわからん。どういうことだ、これは。この、金色の花。一体どういうつもりで、俺に渡したというのだ。
 無理矢理渡された金色の花は春風に吹かれて、笑うように揺れた。



 このクロウの奇行は、五日ほど前から始まった。何というわけではない。今日と同じように、俺が一人でいる時に、花を渡されるだけだ。すずらん、ヤブケマン、梅の枝、れんぎょう、すみれときて、今日のタンポポ。ただ、そこに一切の無駄な行動がない。 ……つまり、「ブロント」「これ」「じゃあ」以外の言葉が、まったく無い。俺にはわからない。一体、奴がどんな思惑をその腹の内に、綺麗な顔の奥に隠しているのか。
 クロウは最初から、よくわからない奴だった。仲間に引き入れたのは、一ヶ月ほど前か。コロシアムという場所で、俺が奴を倒したのが始まりだったように思う。あの時の奴の、据わりきった生気のない瞳を思い出すと、この俺でさえもゾッとする。 ……それくらい、悲しい嫌な目をしていた。どうして奴を軍に入れたのか、その時の俺の気持ちは今となってはよくわからないが、きっと、二度とあんな目をさせないために俺はそうしたのだ。
「隊長ー! ご飯できましたよー!」
 呼ばれて、ハッと顔を上げる。もう薄っすらと空が暗み始めていた。すぐに日が暮れるだろう。
 足元の地図を畳み、わいわいとうるさいテントへと戻った。



 抜けるように青い空、ゆっくりと流れる白い雲、限りなく広がる平原、そして仲間たち。何という美しき春の日! ただし戦闘中。
「オラオラオラ邪魔だ邪魔だ邪魔だアアアア! ブロント様ご一行のお通りだアアアア!」
 俺の相棒、細身で繊細でしなやかで、俺の手にしっくりと馴染む相棒は、今日も素晴らしく切れ味が良い。俺の雄叫びに怯えてヨタヨタと二、三歩後ろに下がったゴブリンの首を軽快に吹っ飛ばす。血飛沫を華麗に避けて、……やはり俺は最強だな。前回の戦闘後、ボロッボロになったジルバが『なんでアンタそんなに楽しそうに戦えるんスか!』と言って殴りかかってきたが、別にモンスターを殺すことを楽しんでいるわけではない。自らの技能を発揮し、その前に屈服する獲物を見るのが俺の唯一最大の楽しみなのだ。 ……決して、殺したいなどとは、思っていない。決して。ちなみに、ジルバのことはその後、きつく叱っておいた。拳で。
 トン、と地面に落ちたゴブリンの首を横目に、各々好き勝手に戦うメンバーを見る。皆いつも通り、必死にモンスターと渡り合っている。うむ、今にも死にそうな奴はひとまずいないな。
「危ない!」
 絶叫。ほぼ同時に、巨大な影が俺を飲み込む。反射的に体を捻り、剣で頭上からの襲撃を受け止める。凄まじい重量。その衝撃を受け止めた腕がビリビリと震え、……限界に達した。
「ぐっ」
 圧力に耐え切れずに尻餅をつく。隣に、ゴオオオン、という不気味な音と一緒に、巨大な斧が転がった。起き上がりつつ辺りを見渡せば、手ぶらのオーガにティンクが応戦している。あの褐色の人間モドキ、よりにもよって俺に向かって、斧の投擲だと? 冗談も大概にしろ!
「やめろ」
 飛び出しかけた肩を、グイと掴まれた。思わず振り払うと、そいつの顔が見えた。きっと、さっきの叫びも、こいつの。
「……クロウ」
 奴だった。相変わらず冷たい目だ。 ……しかし、あの時とは確実に、違う。何がとは言い切れないが。
「止めるな、ぶち殺すぞ」
 苛立ちを隠しもせずに言えば、一瞬、クロウの目が揺れた。動揺か、それとも別の何かか。今はどちらでも良い。俺が今したいのは、あの糞みたいなオーガをぶち殺すことだけだ。
「俺は行、く?!」
 オーガの方に向かおうとする体ががくんと後ろに引かれた。
「……怪我を、している」
 取られた腕には、確かに傷が出来ていた。十中八九、先程の衝撃によるものだろう。
「チッ、あのオーガ……! 放せ! 落とし前は手前でつける!」
 いきり立って進もうとしても、捕まえられた手がびくともしない。オーガに向いていた怒りが、段々とクロウにまで飛び火し始めた。
「貴様ふざけ」
「傷が広がると良くない」
 ふざけているのか、という俺の言葉を遮って、クロウが発語した。いや、正確には、言うと同時に、俺を肩の上に担ぎ上げて歩き出した。
「なっ、ちょ、待っ、お、降ろせ!」
 馬鹿か?! 馬鹿なのかこいつは! この程度の傷で!
 喚いても暴れても、腰に回った腕が動かせない。終いには何だか情けなくなって、俺は抵抗をやめた。
「……おい」
「何だ」
「ふざけているのか」
「大真面目だ」
「降ろせ」
「嫌だ」
「何でだ」
「ブロントは絶対にあのオーガに突っ込んでいく」
「当たり前だろうが」
「ティンクに任せておけ」
 そう諭されて、俺はぐっと押し黙った。さっきは完全に、私情で戦場に出ようとしていたのだから、尚更恥ずかしい。頭が冷えれば、馬鹿な行動をしようとしていたのは自分なのだと、わからされてしまう。 ……格好悪いな、俺は。
「ブロントの手は、綺麗だ」
 唐突に、クロウが話し始めた。
「だから、早く傷を治すべきだ」
 いつも通り、俺に口を挟ませる間もなく会話は終了した。こいつといるとペースが乱れる。だから苦手だ。
 モヤモヤとした気分でいると、ふとクロウの後頭、……の髪から覗く耳が目に入った。 ――真っ赤だ。何だこいつは。今の台詞言うの、恥ずかしかったのか。馬鹿か。一人で語って一人で恥ずかしくなったのか。馬鹿だな、本当に馬鹿だな貴様。
 クロウを馬鹿にしている自分自身の顔が燃えるように熱いことも、頭の良い俺のことだ、よく分かっていたさ。



「ブロント」
 キャアアアアア隊長の御手がアアアアアア、と騒ぐテミにどうにか怪我した手を治療してもらい、安静に安静にと言われて仕方なく近くの森を散歩しているところに、また奴が現れた。薄暗い森の中でじっとりと重く暗く、彼の顔にへばりつく銀の髪。何だ、走ったのか。 ……俺を探して? ……馬鹿だな。馬鹿な男だ、貴様は。
「これ」
 クロウはそう言って、俺の目の前にぐん、と手を突き出す。もちろん、花を握り締めている。恥らうように下を向いたピンク色の、華奢な花弁。片栗か。全くどこで見つけてくるのだか。
「じゃ、」
 俺に花を渡そうとした手を、逆に掴む。この一週間、ずっと言えなかったことを言ってやろう。考えるな、考えるなと自分自身に言い聞かせ続けてきたことを。

「あなたは美しい、あなたの助けになりたい、あなたは気品に溢れている、あなたを見つめていたい、あなたへ送る真心の愛、……あなたこそが僕の初恋、だろう?」

 なあクロウ、貴様が言いたかったのは、そういうことなんだろう? 俺の顔はきっと、意地悪そうににやにやと歪んでいたに違いない。とんだ男に惚れたな、クロウ。真っ赤になったクロウから、片栗の花を取り上げて、自分の髪に挿す。
「どうだ、似合うか?」
 茶化すように言えば、クロウはぎこちなく頷いた。
 ……ああ、馬鹿な奴。お前の愛はくすぐったくて、気持ち良い。