ふと、目が覚めた。テントの布に、寝ずの番の焚き火がちらちらと映っている。テントの入り口近くにジルバが横たわっているのを見ると、今番をしているのはブルースだろう。それならもうすぐ俺の番の筈だ。寝直す必要もないだろう。そう思って体を起こすと、意外なほど近くに、金色の頭があった。
「…………」
 皆寝ている。大きな声は出せない。頭の中だけで、ブロント、と呟く。隊長。リーダー。自称最強の剣士。俺の後に番をする男。……俺が番をすることを、何の懐疑も持たない様子で、決定した男。今、俺の目の前で優美な首筋を晒し、無防備に眠っている男。その唇が軽く開き、ふ、と安らかな寝息を漏らす。
「……!」
 自分が無意識に彼の髪を撫でそうになっていたのに気付き、慌てて手を引っ込めた。何をしようとしているのだ、俺は。握り込んだ指先が冷たい。それとは対称的な、頬の熱さ。胸の奥が切ないような、ぶわりと何かが押し寄せるような、知らない感覚。これは何だ。俺はこれを、知らない。
 触れたい、と。俺は。俺はこの、美しい目をした男、を。うるさいと思った音は、自分自身の心臓の音だった。もしかして聞こえてしまうんじゃないかというぐらいに大きな音で、暴れている。触れたい。触れたいのだ。俺は。このきれいなものに。

 ――「俺」が?

 そう考えた瞬間、頬の熱が急速に失せ、指先は益々冷たくなったように感じた。どうして指先が冷たいのか。まるで濡れたように。元は生温かかった、息が詰まるほどの命を孕んだ何かで、濡れて。俺の手は既に、どんな夜よりもどす黒いのに。
 星を掴むようなものだと、一人、空虚に笑う。
「一人で笑うとは奇特な奴だな」
 突然の声にびくりとして顔を上げると、薄暗闇の中で、一対の青い瞳がじっとこちらを窺っていた。悪戯そうな輝きの奥には、やはり底知れない深淵が揺らめいている。淀んだ、業のような。掬っても掬っても掬い切れぬ、覆い隠された、罪のような。それでも美しいのは何故だろう。
「さては俺の美貌に見とれていたな!」
「……馬鹿を言うな」
 自信満々な様子で美しいのも罪だな、と呟いたブロントに対しては、そう声をかけるのが精一杯だった。本当は、見とれるばかりか、手さえ伸ばしそうになっていたのに。誰も取ってくれる筈がない、この、血まみれの手を。胸の奥が引き絞られるように痛んで、俺は拳に力を込めた。
「本当に面倒のかかる奴だな」
 吐き捨てるように。何を言っているのかよくわからない。俺のどこが面倒なのだと言おうとした瞬間。
「触りたければ触れ」
 傲慢さを隠しもせずに、言い放った。呆然としていると、握り込んでいた手を取られた。そのまま、奴の髪へ。
「…………」
 さらさらとした触り心地の良い金髪。いつもは1本に括ってあるが今は解かれていて、ブロントの顔の周りを流れ、枕の上にゆるゆると広がっている。一種エロティシズムさえ感じさせるそれは、昼間は光を反射して、そうだ、まるで太陽のようにきらきらと輝くのだ。俺はそれをいつも見つめていた。届かないものだと思って。
 彼が太陽なら、自分は夜だと。勝手にそう思っていた。ブロントはこの深い夜にまみれて、俺の汚れた手に触れられてなお、輝く。
「どうだ、綺麗だろう?」
 否定はできなかった。
「俺だけじゃねえ。ブルースもマゼンダもテミもジルバも、みんな、お前になら触らせてやっても構わない」
「メンバーを自分の物みたいに言うんだな」
「何を言っている、お前らは俺のだ」
「…………」
 当然とでも言うような顔つきに、ふっと笑いそうになる。添えられていた手はいつのまにか放されていた。ゆっくり、その髪を撫でる。ブロントがくすぐったそうに目を細めた。流れて行く髪に沿って手を落とし、その頬も撫ぜる。そのまま頭に手を添えるようにして、自然な仕草で、
「おい待て」
 顔をぎゅっと押さえられた。
「何をする」
「こっちの台詞だ。何しようとしてる? ん?」
 キスだと言ったら、顔を押し返す力が強くなった。照れているのか?
「触れていいと言っただろう」
「それとこれとは違う」
「違わない」
「違う」
「違わない」
「ちが、う?!」
 俺の顔を押さえていた手を取ってやんわりと布団に縫いつけ、唇を奪う。軽い、まさに触れるだけのキス。ぱっと離れると、さっきまで俺の頭があった場所を、押さえ付けたのとは反対の拳がぶうんと通り過ぎた。
「危ない奴だな」
「それはお前だ!」
 ちょっとだけ目を釣り上げて怒ってみせるブロントが、なんだか可愛く思えてくる。手の届く、俺の太陽。俺が引き落とそうとしても落ちない、絶対の。俺がいくら触れたって、変わりなどしないのなら。
「また、触れていいか」
 ブロントは一瞬目を開き、次の瞬間には、口元をにやりと歪ませた。
「随分欲張りだなクロウ」
 お前が俺をそうさせたくせに。何も求めなかった俺を。責任を取れ。責任を。
 金色の髪をひと房掬ってキスをすると、奴はくっ、と喉を鳴らして笑った。