!バレンタイン



これは、ある不思議なお店を訪れたある少女の小さなお話



彼女の不機嫌ほど怖ろしいものはない、シンオウで彼女と関わりのある男性は皆口を揃えていうそうです。しかし、女性からしてみればそんなことはないのです。彼女を妹のように可愛がる大人たちからしてみれば、ただ駄々を捏ねてる子供にしか見えないのか、それとも、やはりこれは男女の違いなのか。性別の壁は物質的にも精神的にも高いものですから。
「どうしたの?そんなにぶすっとしてたら折角可愛いのが台無しよ。ヒカリちゃん」
「……なんでもないです」
考古学者である元チャンピオンのシロナはたまたまヨスガシティに仕事に来ていました。シロナがポケモンセンターの前を通りかかったとき、丁度センターから不機嫌そうな顔をした彼女が出てきて、気に留めたシロナが引きとめ近くのカフェに入ったのです。
窓際の席に座るとシロナはブラックコーヒー、彼女はジンジャーエールを頼みました。店員が飲み物を持ってきたところで口を開いたシロナの言葉に応えた彼女はストローを咥え、ズルズルとジンジャーエールを啜りました。





その店は入り組んだ路地の奥の奥にありました。
こんなところで商売になるのかしら?
シロナから貰ったメモを片手にその店を見上げた彼女は、らしい感想を咄嗟に頭に浮かべました。洋風のおしゃれなこじんまりとした建物、ドアの前のボードに書かれたメニュー、どうやらそのお店はカファのようでした。彼女は金色のドアノブに手をかけ、店に入りました。狭い店内には丸いテーブルがひとつと椅子がふたつ。開いたスペースやカウンターには雑貨が並べられ、その空間だけ雑貨屋のような雰囲気をしていました。店員も客もおらず、彼女のブーツが床を踏む音だけが響いていました。





「コウキくんと喧嘩でもしたの?バレンタインも近いのに相変わらずねぇ。今回はどっちの所為なのかしら」
シロナがそういうと、どうやら図星だったようで彼女がテーブルをバァンと勢いよく叩きました。
「あいつの所為ですよ!あの鈍感無神経……ああ、もう!思い出しただけでも腹が立ってくる!」
「何があったの?」
常にニコニコ微笑んでいるシロナに彼女は「聴いてくれますか?」と言ってから事の経緯を話し始めました。
「昨日のことなんですけど、久し振りにコンテストに出るって聴いたからジュンとヨスガまで行ったんです。演技自体はよかったし、優勝したのでお祝いに帰りに3人でご飯食べに行かないかってなったんです。最近なかなか揃うこともなかったですしね。それで、コウキに連絡入れたんですけどなかなか電話に出なくて様子を見に行ったら女の子に囲まれてお喋りしてたんですよ!それで、あたしたちを見つけたあいつの一言目、なんだと思います?『何か用?』だけですよ!彼女の目の前で女の子に囲まれて楽しそうに笑顔でお喋りしててですよ!もうちょっと慌てたりしてくれたらあたしも何も思わないのに……ていうか、あたしが来た時点で女の子たちを掻き分けてでも傍に寄ってきて『来てくれたんだ、ありがとう』くらい言いなさいよ!」
噛みもせずにこれだけの台詞をいえたことにシロナは感服したようですが、そのような素振りは見せず話を続けました。
「それで?ヒカリちゃんはどうしたの?」
「……一発ビンタして1人で帰りました」
自分のこととなると彼女の声のトーンが下がったので、きっと彼女は自分にも非があることを少しはわかっているようですが、それを簡単に認めないのが彼女の性格だったりするのです。
「相変わらずね。まあ、コウキくんも悪いけどヒカリちゃんにも非はある感じね」
「でも、これは」
彼女が言いかけたとき、シロナのポケギアが鳴りました。





マサゴタウンの砂浜には少年が2人、海に向かって座っていました。ビーダルを撫でているジュンとは違って、白衣を着た彼には真っ黒なオーラが纏っているようでした。
「聴いてくれるよね、ジュン」
「俺に拒否権は無しか」
「ヒカリと喧嘩した」
「知ってる。コウキが豪快なビンタを喰らった現場に居合わせてしまったからな」
彼が落ち込んでいる原因は彼女との喧嘩のようでした。その時の光景を思い出しながら言ったジュンは、あの時の彼女が彼の頬を叩いた音が聞こえた気がして、その恐ろしさに身震いをしました。
「今年のバレンタインは終わった……」
「おばさんと妹ちゃんからは貰ったんだろ?」
「それとこれとは話が別なんだってえええええ」
「お前も馬鹿だなあ。『僕が悪かった。ごめんなさい』ってさっさと謝りに行けばいいのに」
「行ったよ。ていうか行ってる。2時間おきくらいでヒカリんちに行ってる。でもいないんだよおおおおおお」
「お前ストーカーだったのか。知らなかった」
「待て。決してストーカーではない。これについては電話もでない、家にもいないヒカリにも非があると思うんだ!」
「責任転嫁はいけないんだぞ」
「だってえええええええ」
ジュンはビーダルが自分の背後に回ってきたので、その艶やかな毛並みの上に倒れました。今まで海ばかりだった視界に木々の緑が映り、更にいつの間にか自分達のずっと後ろに立っていたある人物まで見たようで、バッと起き上がりビーダルをボールに収めました。
「俺そろそろ帰るな」
「なにゆえ」
「たまには早く帰って親孝行もいいだろ。ていうか俺はとばっちりを受けたくない、じゃ!」
「は?何のこ…………」
立ち上がり町の方へ戻るジュンを彼は引きとめる声をかけながら後ろを振り返りました。そして、自分のずっと後ろに立っていた人物を見て、まさに血の気が引いてくように顔が真っ青になりました。ジュンは彼女が立っている位置まで行くと何やら声をかけ、彼女は海の方へと歩いていきました。その時、彼は思ったそうです。『やばい、死ぬ』と。





「ごめんね」と言ったシロナはポケギアを手に取り、電話の向こう側へ仕事の顔で話しました。通話を止めるとシロナは申し訳なさそうな顔をしました。
「ごめんなさい。もう私行かなくちゃ」
「あ、はい……お仕事あるのにすみません」
「いいのよ、引き留めたのは私だもの。そうだ…………ヒカリちゃん、ここに行ってみたら?」
シロナはテーブルに置かれていたナプキンを一枚取り、ある住所を書いて彼女に渡しました。彼女はじっとその住所を見て、どこなのか考えてるようです。
「お店ですか?」
「ええ、きっと素直になれないヒカリちゃんの力になってくれるわ」
「……素直になれないわけじゃないです!」
「ふふ、そうかしら?それじゃあね、ヒカリちゃん」
「……はい、また」





入口から真っ直ぐ進んだ彼女の前には、一冊の絵本がカウンターに置かれていました。『お持ち帰りください』
――強要。文章は優しいし字もかわいい、けれど雰囲気だけは重かった。これを持って帰らなければこの店からは出さないとでもいうような。
彼女は絵本を取って表紙を捲りました。それは絵本のような料理本でした。彼女はすぐに本を閉じ、来た道を戻っていきました。コツコツというブーツが床を蹴る音は入ってきた時の恐る恐る進む不安の音は一切ありませんでした。





彼女は彼の隣に腰を下ろしました。眉間に皺を寄せた彼女に彼は何を言うべきか、何を言われるかと思考を巡らせますが考えれば考えるほど思考は停止し、結局沈黙に耐え切れなかったようで何も考えずに口を開きました。
「あの、ヒカ」
「ごめん」
「…………へ?」
彼女は沈黙を破ることに戸惑っていたようで、彼が話を始めたことにより口を開きました。彼女の言葉に面食らった彼は間抜けな声を出してしまいました。
「あたし、すぐ手が出るから……何もいわずにビンタしたの、悪かったわ」
思っても見なかった彼女からの謝罪に彼は『僕の方が悪かったんだ』というべきだとわかってはいても、言葉にはならず、頬が緩み噴き出しました。
「……何よ」
怪訝そうに彼女は唇を尖らしました。
何故こんなにも彼女はかわいいんだろう。だって、反則でしょ、これ。
「素直なヒカリって変」
「…………殴られたいの?」
「ほらー、またそうやってすぐ手出そうとする。ダメだよ、もうちょっと温厚におおらかにならなきゃ」
「充分おおらかよ。あーあ、折角チョコ持ってきてあげたのに」
「えっ!?」
彼女は鞄からピンクの包装紙に包まれパンジーをあしらった箱を取り出しました。
「結構うまくできたんだよね。自分で食べようかな」
「嘘!ヒカリさん超優しい!世界一心広い!」
「ったく、相変わらず調子いいわね」
そう言いながら、彼女は突きつけるように彼にそれを渡し、手にした彼はまるで壊れ物を扱うかのように両手で持ちました。パンジーが瞳に映る。その花は、まるで彼女が普段見せない素直な部分を表しているようでした。
これはきっと彼女が意図的にしたもの。
「…………」
「何?」
彼はその意味にちゃんと気付いていました。
「ありがと、ヒカリ、大好き」
ぎゅう、と彼女を抱き締めた彼は小さく呟きました。
何故こんなにも彼は泣き出しそうな声をするのだろう。
彼女は彼の背中に腕を回しました。
そう、彼は幸せな時ほど泣きそうなのだ。
「……あのさ、コウ」
「この前はごめんね」
彼女の言葉を遮るように彼は謝罪の言葉を呟きました。そして、続けて言った彼の言葉に彼女は「ばか」と返して少しだけ彼を抱き締めました。



彼女の不機嫌ほど怖いものはない、という話は最初にしましたね。でも、ある一部の人にとってそれは彼女の女の子らしい一面を見ることのできる唯一の手段でもあるらしいです。
「また、ぶすっとしちゃって……。今回はどうしたの、またコウキくん?」
ズイの遺跡で調査をしていたシロナは同じポケモンリーグで働くオーバからの連絡にサバイバルエリアの勝負処へ飛びました。そこでは、ジム戦では見せないような本気のデンジと般若の如くの形相をした彼女がバトルをしていました。その様はただのバトルとは思えないほど周囲に被害を出していて、止めに入ったオーバやジムリーダーたちが怪我を負うほどのものでした。
こんなバトル、この2人以外できる人なんていないわね。
溜息を吐きながら、シロナはガブリアスの逆鱗を2人にお見舞いさせました。
「何で怒ってるのわからないんですけど、むかつくんです!」
「あるわよねぇ、そういうこと」
「でも、デンジさんとバトルしたらちょっとスッキリしました」
「物は壊れてるし、怪我人出てるけど、それはよかったわ。ところで、あのお店行った?」
「行きましたよ。あの絵本役に立ちました。でも、まるで今のあたしの状況をわかってるかのような内容で、すごい驚きました。不思議なお店ですね」
シロナの言葉に思い出したように彼女はあの店で手にした絵本の感想をいいました。般若の形相は、もう微塵もありません。
「そう、不思議なお店なのよ。私も若い頃に行ったきりなんだけどね。あの絵本の内容って、ひとつひとつ違うみたいなのよ。ヒカリちゃんが貰ったものには何が書いてあった?」
「ガトーショコラのレシピとパンジーの花言葉です」
「パンジー?」
「はい。その……花言葉とかでバレンタインの花だそうで」
彼女は少し言葉を詰まらせながら言いました。どうやら、花言葉を言うのを避けようとしてるようです。シロナもそれがわかったのか、深く追求はしませんでした。
「そうね、あのコウキくんなら花言葉くらいわかるわよね」
「そういうことです」
シロナが紅茶の入ったカップに口をつけたのを見て、彼女も思い出したように自分の前に置かれているカップを手に取りました。
「じゃあ、落ち着いたところでコウキくんと仲直りしてきたら?」
カップを持つ手を固まらせて、彼女は眉間に皺を作りました。
「今回は絶対に私からは謝りませんから!」
だから、素直になりなさいと言ってるのに。
シロナは苦笑いを浮かべてカップを置きました。


これはたくさんの愛の中のひとつのお話。知っていますか?パンジーの花言葉を。パンジーの花言葉は「私を想って下さい」。ふふ、なんとも彼女らしいですよね。え?私ですか?私はこの店の店長ですよ。このバレンタインという日に恋する乙女の悩みを叶える小さなカフェの店長です。そうですね……来年はあなたも来てみてください。あなたの求める答えが用意されてるかもしれません。それでは、また来年。ハッピーバレンタイン。



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