10
「リカード、お前ももう行って良いぞ」
何を話すのだろうかと皆が固唾を飲んでいた矢先、不意にパックアルファがリカードを見つめては言う。
それに名指しされたリカードは、目を見開いた。
「な、なぜですか、パックアルファ」
そう困惑しきった声を出し、いいえ。と首を振って残るような素振りをしたが、しかしパックアルファは小さく微笑んでは、何もお前が戦力にならないというわけではない。というように口を開いた。
「お前はすぐにでも洗礼式に行かねばならないだろう? ……ロアンの為にも。その為の準備をしなさい」
そう少しだけからかいが含んだ声で言うパックアルファに周りも笑い、それから顔を赤くしたリカードを見て、シュナも笑った。
群れを持って暮らす人々には、いくら第二性でアルファとなろうが、成人として認めてもらえる『洗礼式』を終えなければオメガに求愛すら出来ないという、古くからのしきたりがある。
求愛とはアルファが意中のオメガに番いになってくれと愛を示す為三つの贈り物をそのオメガにする事であり、それをオメガが受け入れれば、晴れて番いになる事が出来るのだ。
その古くからの慣わしを大事にするシュナの群れはもちろんその求愛も大事にしており、だからこそリカードが十七歳となった今、すぐにでも『洗礼式』に行きたいと思っている事は、群れの誰しもが知っている周知の事実だった。
幼馴染みであり、ずっと一緒に暮らしてきた、シュナの兄でありオメガである、ロアン。そのロアンの事をリカードは幼い頃からずっと好いており、そしてロアンもまた、リカードからの求愛を待ち続けている。
だからこそ、ロアンの為にも洗礼式への準備が最優先だろう。と暗にからかわれていて、それを理解したリカードは、パックアルファに、そしてそれを抜きにしてもロアンの父親にそう言われてしまった事に顔を真っ赤にしては気恥ずかしそうにしながらも、しかしそれから頷いては会議小屋をそっと出て行った。
「ははっ、あいつらはほんとに見ていてじれったいからな。さっさとくっついてもらわないとかなわん」
「そうですね」
「ははっ」
若いアルファとオメガをからかいながらも温かく見守っている皆が、穏やかに笑った、あと。
それから、脱線してしまったがそろそろ本題の話をしよう。と姿勢を正したパックアルファに、皆も今一度居住いを正しては、パックアルファを見た。
そうして何の音もしなくなった部屋の中、ゆっくりとパックアルファが口を開いた。
「まず、シュナよ」
「はい」
「本当に良く無事に戻ってきてくれた。そして私はお前の行動を誇りに思う。良く頑張ったな」
「……ありがとうございます」
「その勇気に我々が続かねば、アルファの名折れであろう。よって、今なお残されている者を我々で救出するべく、直ぐにでも向かう準備をするのだ」
重々しく深い声で言い切る、パックアルファ。
その言葉に皆が頷き、そしてシュナも表情を明るくさせながら、この群れのパックアルファに、そして父に尊敬の念を抱きつつしっかりと深く頷いたのだった。
***
それからはあっという間で、不道徳なその群れのアルファを討つべく討伐隊が組まれる事となり、パックアルファ、そしてシュナ、それから叔父二人の合計四人でシュナが洗礼式を行っていた場所へと、向かう事が決まった。
それは翌日の早朝直ぐ様出発する予定だが、しかし夜はそれでもシュナの帰省と新しい群れの仲間を祝うために群れの広場で宴が開かれ、とても和やかで幸福に満ちていた。
笑い合う人々の声。
宴に相応しい、数々の料理達。
輝く月に、パチパチと灯る焚き火の音。
太鼓を打ち鳴らし、踊る陽気な仲間達。
森が火の灯りでゆらゆらと橙色に輝き、風がそよそよとそよぐ、心地好い夜。
それはシュナに、本当に帰ってきたのだ。という安堵を与え、それからシュナは太い丸太に腰掛ける自分の隣にぴったりと寄り添ってくるノアを、見た。
「あははっ!!」
踊る仲間の輪に、もう既に溶け込んでいるテアがウォルと一緒に踊っている。
それを見て笑い声をあげるノアの顔を焚き火の灯りが照らし、長い睫毛が煌めき、愛らしいまろい頬はふっくらとしていて、シュナは目を細めた。
「あはは、シュナさん、見て!」
「……テアは随分と陽気な奴なんだな」
「テアは誰とでも仲良くなれるんです」
弟を自慢するノアの弾む声。
それが耳に心地好く、シュナが無意識にその細い腰に腕を回す。
そうすればノアもすっぽりと腕の中に収まるようシュナの肩に頭を預け、二人は続く宴に皆と同じよう、声をあげて笑った。
──その日の、夜遅く。
ようやく宴が終わる頃、ウォルはすっかり懐いたテアとも共に寝たいらしく、母と父と一緒に寝ている小屋で一緒に寝よう。とせがむよう、テアの腕を引っ張っていた。
「俺もそこで寝て良いの?」
「もちろん! テアさんと寝たい!」
「俺もウォルと寝たい」
テアの言葉に大きな瞳をキラキラと輝かせたウォルが、じゃあ早く行こう! と熱心にテアの腕を引っ張る。
その子どもじみた仕草にテアも嬉しそうにし、だがそれからシュナの隣に居るノアを見た。
「ノアも早く!」
「えっ? 俺も良いの?」
「良いも何も俺達は二人で一つでしょ、ノア。ノアも一緒で良いよね? ウォル」
「もちろんです! ノアさんも一緒に寝てくれたら嬉しいです!」
キラキラとした瞳で見つめてくる二人に、しかしノアがちらりとシュナを見る。
それからポツリと、ノアが呟いた。
「……お、俺はもう少し起きとく。後で行くね」
少しだけ上擦った声で気恥ずかしそうに俯きながら言ったノアに、二人が少しだけ残念そうな顔をする。
だがそれから二人は顔を合わせふふっと笑い、ひらひらと手を振った。
「じゃあ先に寝るね。あとでねノア」
「場所は分かりますよね?」
「うん」
「「じゃあおやすみなさい、シュナ(兄)さん」」
最後二人は声を揃えてシュナに挨拶をしてから、シュナも以前までそこで過ごしていた小屋の方へと手を繋ぎ向かって行った。
「眠くないのか?」
「まだ、大丈夫です」
「そうか」
「……シュナさんはもう一人小屋があるんですよね?」
「ああ」
「じゃあやっぱりまだ寝ません。起きてます」
その言葉はまるで、まだ一緒に居たいから。と言っているように聞こえ、シュナは思わず弛んだ頬のまま、腰を握る手にそっと力を込めた。
洗礼式のあと群れに戻ったアルファは、自分だけの小屋を持つ。
そのしきたりに例に漏れず、シュナも群れの仲間が一年かけて作ってくれていた自分だけの小屋を、先ほど見せてもらったばかりである。
木造の暖かな温もりがある小屋の中には、柔らかなベッドと小さな机、それから色々な物が置けるようにと設置された大きな棚。その小屋はとても素晴らしく、シュナは洗礼式の間ずっと草木や藁を集めた上でしか寝ていなかった事がどれほど辛かったかを思い出しながら、そして早朝に出発する為に自分もそろそろベッドで横にならないといけない。とノアを見た。
「……ノア、俺と一緒に寝るか?」
「えっ」
シュナの問いかけに、ノアが大きな瞳を更に丸くしては、シュナを見る。
その溢れそうな瞳にシュナは小さく笑い、もう一度そっとノアの腰に回した腕に、力を込めた。
第二性がまだ出ていない者は、群れの好きな場所で寝ることができる。
それはウォルがしているように父と母と共に寝たり、ベータだけやオメガだけが使っている広い小屋に行く事も出来るという事で。
勿論ベータも成人とみなされる十八歳以上になれば一人の小屋を持てるが、仲間と一緒に居ることを好む性質があるベータは婚姻を結ばない限り一人で小屋を持とうとする者はあまり居らず、そして番いを持たないロアンのようなオメガはより安全の為にオメガだけの小屋で眠るのだ。
なので、その全てに自由に行き来出来るとシュナは言外に示しつつも、ノアの返事を待った。
その申し出にノアは一度目を瞬かせ、しかしそれからひどく幸せそうに微笑んではシュナの服の裾をちんまりと摘まみ、見つめ返した。
「はい。シュナさんと一緒が良い」
そうぽつりと囁かれた声は愛らしく、それにドキリと心臓が跳ねた気がしたが、シュナは肩を一度竦め、問題ないという態度でノアの腰を自身の方へ引き寄せた。
「ふふっ」
「ん?」
「あ、いえ……。明日、テアに怒られちゃうかなって。今まで一度も離れて寝た事なんてないですから」
「……なら無理して俺と寝なくても大丈夫だが……」
「いえ、こういうのも楽しいです。ずっと二人だけだったから」
「……」
「だから神経を尖らせなくても良くて、優しい人だけしかいない今が、新鮮で楽しくて、幸せでワクワクしてるんです。それはテアも一緒の気持ちだと思いますし、俺達にとっても良いことだと思うから」
二人ぼっちだった世界が、一気に広がった事。
その変化はあまりにも大きいが、それが嬉しいのだ。と言うよう笑うノアは、あまりにも可憐で美しく。
それにシュナは息を飲み、それから優しく微笑んでは立ち上がった。
「じゃあ行こう」
「はい」
手を差し出せば、少しの迷いもなくシュナの手を握り返す、ノア。
それから二人は手を繋ぎながら、シュナの新しい小屋へと、向かった。
そうして二人は真新しい木の匂いが籠る小屋の中、ランタンの灯りを消したあと、シュナのベッドの上で丸まった。
シュナはノアの頭の下に腕を通し、ノアはシュナの胸に顔を寄せ、まるでずっと昔からこうであったかのように向かい合い、抱き合う二人。
「おやすみなさい、シュナさん」
「……おやすみ、ノア」
そう囁きあったあと、母が昔してくれたように、すりすりとノアの髪の毛に鼻先を押し付け愛情表現をするシュナ。
そこからふわりと香るのは桃の匂いで、癒しを求めシュナがすんすんと無意識に匂いを嗅げば、そんなシュナに擽ったそうに微笑みながらも、ノアもシュナの胸元に鼻先をくっつけた。
それからすりすりと胸を鼻で擦り、信頼を示しては、シュナの匂いに満足したようノアがゆっくりと目を閉じる。
それは子猫のように愛らしく、出会ってから未だ一ヶ月も経っていないというのが嘘のよう、空いていたピースがぴったりとハマるような心地好さに微睡みながら、二人はゆっくりと眠りに落ちていった。
それはシュナにとってこの一年間の中でようやく何の心配や不安や緊張もないただただ穏やかな眠りであり、ノアの温かな体温と柔い肌の気持ち良さを感じながら、シュナは桃の木の下で静かにただただぼんやりと過ごす、とても幸せな夢を見た気がした。
[ 11/141 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
[ top ]