ざばん、と水中から現れた彼女の姿に、周りの視線が一気に集中した。
長い髪を掻き上げると、飛沫が舞う。黒いセパレートタイプの水着に包まれた身体は、細いながらも美しい曲線を描いていた。容赦ない日差しに金色の瞳が細められる様は、実に艶めかしい。
銀髪から、白い身体へ。垂れて伝っていく水が、陽の光に反射して眩しい。
プールの中から未だ彼女に見惚れる視線とぶつかった。彼女と目が合ってしまい、大学生ぐらいと思われる青年は気まずそうに視線を逸らす。
そんな青年を見て彼女はにやりと微笑む。口許のほくろが弧を描く唇と共に動く光景は、まるで生きているみたいだった。ふっくらとした唇がゆっくり動く。
 
 
『えっち』
 
 
 口許に手を当て、子供っぽく笑う。
 ぽたぽたと水滴を垂らしながら去っていく後ろ姿に、青年は再び目を奪われていた。
 
 
 パラソルが作る日蔭の下、読書をする彼の髪を風が掬った。やや乱れた前髪が掛かる眼は切れ長でいて鋭い。程良く筋肉の付いた身体にシャツを羽織り、真剣に本を読む姿からは禁欲的な色気を感じる。
 その姿に通りすがりの女の子の視線は釘付けだ。彼からしばらく離れた所で、「さっきの人、かっこよかったねえ!」と黄色い声を上げている。
 それをまるで気にすることなく、彼は本のページを捲った──はずが、左手に収まっていた文庫本が消えた。
 
「おい、柳生」

 頭上から降ってきた声に顔を上げる。黒い水着の彼女がこちらを見下ろしていた。彼女の手には、さっきまで読んでいた文庫本。
 
「……返してください。今良い所なんです」
「知るか」
 
 返せとばかりに彼が手を伸ばすが、ひょいと背中に隠してしまう。
 
「彼女放っぽって本読んどる阿呆に返す本なんてないがじゃ」
「……休憩してただけじゃないですか」
「お前さん、ここ来てから一度も水に入っとらんじゃろが」
「……今は読書がしたいんです」
「それじゃ、プール来た意味ないち思うんじゃが」
 
 せっかく水着、新調したんに。
 彼女が水着のフリルを持ち上げ、片頬を膨らませる。彼はこちらと目を合わせようとしない。ただ自分の手を見つめている。
 
「読書したいんなら、図書館でも行ってくりゃええじゃろ」
「それは嫌です」
「我が儘じゃのぅ……」
 
 ふぅ、と彼女が息を吐く。
 しばらくお互い黙ったままだった。無言の二人の横を人が通っていく。男の大半は彼女の姿に見惚れていた。その輩を一人残らず、彼が睨み付ける。
ほんの少し、彼女の方に目線を上げた。水着姿の彼女はとても綺麗だ……だからこそ、だ。
 
 くすり、彼女が笑った。
 
「ほんに、おまんは嫉妬深いのぅ」
 
 その言葉に彼がムッとした表情を見せるが、それを見て彼女はもっと楽しそうに笑いだす。

「残念じゃの。ウチの可愛い水着姿、独り占め出来んくて」
 
 組まれた彼の脚の上に、彼女が腰掛ける。不機嫌そうに結ばれた口許を細い指でなぞる。フン、と鼻を鳴らしそっぽを向く彼。
 フフフ、と笑う彼女だったが、ふと、プールサイドの方を見つめた。二人組の女の子がこちらを見て残念そうな顔をしている。その二人をしばらく何もない瞳で見つめていた。
 再び彼に向き合う。
 
「……のぅ、柳生」
 
 これだけ、言わせて? 
 彼女はそう言うと、耳に掛かった彼の髪を掻き上げ、そっと囁く。
 
「柳生さん、眼鏡無いと意外とかっこええから。モテて困るんよ」
 
 彼は目を見開いて彼女を見つめていた。少し恥ずかしそうに彼女が微笑むと、意地の悪い笑みを浮かべる。
 
「嫉妬深いのはお互い様、ですか」
「そういうことじゃ」
 
 二人で静かに笑い合う。彼の指が彼女の肌を滑る。「あほ」と鼻をつままれた。
 
「……泳ご?」
「ええ、行きましょうか」
 
 腕を組み、日差しの下を歩く。
 その周りには、残念そうな顔した人間がたくさんいたらしい。














2014.8.2
.