「帰りたくないです」 夜のデートも終わりを迎える頃。 場所は街中、公衆の面前。 突然柳生が私を抱き締めて言った。 いきなりどうした。周囲の視線が一気に私達に向く。 ちょっと、というか、かなり恥ずかしい。人前、ということも勿論あるのだが……普段柳生はこのように人前でスキンシップを取ってくるような奴じゃない。 柳生の背中に手を回す。優しくさすると、首元に顔を埋めてきた。 「どうしたん?急に」 「ごめんなさい……ただ、帰りたくないんです」 「自分の家にか?」 「いいえ……何処にも」 二人になりたいんです。 私に回る腕の力が強くなる。 甘え──にしてはテンションが低い。何かを怖がっているようにも見える。 本当にどうしたんだ。変なものでも食べたか。いや、さっきのイタリア料理店は悪くない。きっと。 とにかく、このまま街中で抱き合っているわけにもいかない。何とか柳生の腕を解き、その手を取って、場を後にした。 どこにも帰りたくない。二人になりたい。 滅多に我が儘を言わない柳生がこうも言うなんて珍しい。いや、今日はホワイトデーだ。もしかしたら、何かあるのかも。だからこう言っているのかもしれない。うん、きっとそうだ。 「二人になれる場所、のぅ……」 「……仁王さん、」 柳生が立ち止まった。前を歩いていた私も立ち止まり、振り返る。柳生が向こうを指差していた。そっちにあったものを見て、しばらく呆然としてしまった。 煌々と光るネオン、無駄に豪華な外装、派手な看板。 俗に言うラブホテルだった。 柳生と“そういうこと”をするのは初めてでは無かったが……こんなにストレートに示されるのは初めてだ。 「……あそこに、行くの?」 「ダメですか……?」 そんな捨てられた子犬みたいな目で見られても……。 私も別に嫌だというわけではないから、柳生の望むまま、ホテルに入る。なるべくシンプルな部屋を選び(私が恥ずかしいだけだ)、狭いエレベーターに乗り込む。部屋に着くまで、私達は手を繋いだままだった。見上げた柳生の顔はどこか物憂げだ。 ピンク色の廊下を歩き、渡された鍵でドアを開けた。……シンプルと言えばシンプルだが、やはりピンクの部屋だった。何となく気恥ずかしい。 バタン、とドアが閉まる。それと同時に後ろから柳生に抱き締められた。 「や、やぎゅ……?」 「雅さん」 「へっ……」 急に耳元で名前を呼ばれ、肩が跳ねる。柳生の息が首筋に掛かった。 おいおい、いきなりかよ。シャワーくらい浴びさせてほしい。 「あ、あの……」 「ごめんなさい、雅さん」 「は、はい?」 「ごめんなさい……」 何故彼は謝っているのか。私に対して何を謝っているのか。 首元に回る腕を叩く。抱き締める力が余計強くなった。 「……今日、ホワイトデーじゃないですか」 「え?ああ……」 やっぱりそう来たか。お返しを期待していないわけでもないが……それにしては柳生の顔は暗い。 「ごめんなさい。私、何もお返し用意できてないんです」 なるほど。そういうことか。 かなり意外だった。こういうことには人一倍敏感な柳生が珍しい。 ただそうなのか、と思っていただけなのだが、柳生は私の機嫌を損ねたと思ったらしい。抱き締める力は更に強くなる。何なら少し痛いくらいだ。 「貴女には美味しいチョコレートをいただきましたし……それ以上のものを、と思ったんですが、何をお返しすればいいのか分からなくて……何も返さずに帰るのも嫌で……」 「別に見返り求めておまんにあげたわけじゃないがよ?そがいに気にせんでも……」 「いえ、それはいけません。気持ちには気持ちで答えないと……」 まあ、何というか……律儀な奴だ。それだけ私が愛されているってことか?自分で言って恥ずかしいけれど。 「比呂士」 抱き締められたまま、彼を見上げる。申し訳なさそうな表情を浮かべる顔に手を伸ばした。 「よう考えてみんしゃい。今日のデート、前の時からどれくらい経っとる?」 「三ヵ月、です」 「そうじゃ。お前さんは忙しいからのぅ」 「すみません……」 いや、謝ってほしいわけじゃないから。 「そんな忙しいお前さんが、ちゃんとホワイトデーに休み取って、ウチに一日付き合うてくれたんが、ホントに嬉しかったんじゃが」 その途端、比呂士の顔が歪む。ブラウンの目に涙が溜まっていく。 比呂士は意外と涙腺が脆い。犬と子供と貧乏がテーマの映画だったらこいつは確実に泣く。今はそんなことはどうでもいいか。 「今年のお返しはそれにせんか?ウチはそれでええの」 「ですが……」 「んもう、」 ちょっと背伸びしてキスで黙らせる。いつもより少し長めのキス。 唇を離してニッコリ微笑んでやると、柔らかくはにかんだ。 二人一緒にベッドに倒れこむ。安っぽい作りのそれが重みでギシギシ唸った。何てことない光景だがそれが何だかおかしくて。顔を見合わせて笑った。 もう一度キスをする。今度は比呂士から。 明日も早いの?と聞きそうになった。だが、今はそんなことを聞くべきではない。 一度はこいつも朝寝坊して、しわくちゃの服で出勤してみればいい。全てが完璧である必要なんてないのだから。 たまにはこんな夜も、いいじゃないか。 2014.3.14 . |