柳生の機嫌が悪い。
見るからに不機嫌で見るからにイライラしていて見るからにヘソを曲げていた。
今世紀最大の仏頂面で、紳士サマは眼鏡越しにコートの方を睨んでいる。

「なァん、柳生。赤也と何かあったんか。膝カックンでもされたんか」
「…………」

無視か。無視ですかコノヤロウ。気を遣った私が馬鹿みたいじゃないか。
腹が立ったので踵を蹴ってやった。ただジロリと私を見る。無言の圧力とはまた嫌な手を使う。

「お前さんが機嫌悪いと、ウチもやりづらいんじゃが」
「…………」
「今すぐ機嫌直せとは言わんけどな、せめて返事くらいはしてくれんかの」
「…………」
「やぎゅー?聞こえとう?」
「…………」
「もしもーし、ひろしさーん」
「…………」

ダメだこりゃ。この様子じゃ今日一日は私を無視してくるだろう、こいつは。
そう結論が出たので、こいつの傍にいる必要は無い。多分。通訳がいるならその時に呼ばれるだろうし。何も言わないとはいえ、明らかに機嫌が悪い人間の傍にいるというのは中々疲れるものなのである。
ベンチから立ち上がり、伸びをする。コートが空くまで部室で寝ていよう。夜更かしをしていたのでとても眠いのだ。

――――ぐっ。

柳生に背を向けた途端、腕を掴まれた。柳生に。
強い力で引き戻され、再びベンチに座る形となった。

「あの、柳生さん?」

相変わらず柳生は何も言わない。腕も離してくれない。下から覗き込んだ表情は変わらず仏頂面である。

「……ウチ、何かした?」

もしかしたら、と思い尋ねてみた。
すぐに舌打ちが返ってきた。ご名答。
腕を掴む力がまた強くなる。私がしでかしたことに、相当お冠のようだった。

「なあ、謝るから返事くらいはしてくれん?」
「…………」

また無視ですか、柳生さん。
気に障ることをしてしまったのなら、それは私に非があるけども、いい加減返事くらいはしてほしいものだ。
腹が立ったので今度は足を踏んづけた。



予想通り、柳生の機嫌が直ることは無かった。部活が終わっても相変わらず拗ねた様子だ。あれから一言も言葉を発していない。柳が呆れていたから相当のことだ。

「帰る?」

そう尋ねると、無言で左手が差し出された。こっちは見ていない。半ば呆れつつ握り返すと、また舌打ち。

「それ、癖になるけ、やめた方がええよ」
「…………フン」

あー、はい、そうですか。紳士は廃業なされたんですね、ひろしさん。
寒くて暗い中、手を繋いで帰る、というのはもっと甘いシチュエーションだと思うのだが、今ここには甘さのカケラもない。拷問に近い。鞄の中で、紙袋が音を立てた。どうしたらいいのか。柳生は喋らないし、私も喋りにくい。非常に気まずい。
……柳生比呂士という人間は、こんなに面倒くさい恋人だっただろうか。

「私思うんですけどね、バレンタインデーってホントにくだらないですよね」

は?

「恋人同士が愛を確かめ合う日とか言ってますけど、そういう日にしか愛は確かめられないんでしょうかね。普段からお互いを知り合って確かめ合って深めておけばいいでしょうに。イベントに頼らなくては恋人とやっていけないのならさっさと別れてしまえばいいと思うんですよ私。それに義理チョコだけじゃなく今度は友チョコやら逆チョコやら訳が分かりません。そんなのただのチョコレート配布行事じゃないですか。どんだけチョコレート配りたいんですか。歯医者さんウホウホじゃないですか。まんまとお菓子メーカーの意図に乗せられてますよね、馬鹿みたいですよね。この時期になるとどこのお店もピンク一色ですし?猿でも出来る〜みたいなキャッチフレーズの手作りキットがやたら並んでますし?何で女子って手作りにこだわるんでしょうかね。良く出来た既製品があるんだからそっちの方が良いと思うんですよ。想いが伝わるからとか言ってますけど伝わりませんよ。重いだけですから。それに好きでも何でも無い人間からの手作りなんて気持ち悪いだけですからね。あとホワイトデーなんて海外にありませんからね。留学生の方言ってましたよ、オーストラリアの。日本は行事多すぎるんですよ全く。誰もが浮かれてカーニバルとか言っちゃってますけどそれはあなた方の頭の中だけだって気付きませんかね、世間は!」
「……………………」

今度は私が黙る番だった。呆気に取られた、と言う方が正しいか。
まあよくこれだけまくし立てたものだ。ずっと黙ってたのは、これを考えていたから?……それは無いか。

「だから私、もうバレンタインデーとか知りませんから。勝手にやっててください」
「え?チョコいらんの?」

柳生の口が止まった。物凄い形相で私を見てくる。

「…………あるんですか?」
「そりゃ……バレンタインじゃし」
「だっ……だったらもっと早く渡しに来てくださいよ!」
「はあ?」

急に怒り出した柳生に、私も腹が立ってきた。今までずっとだんまりで、ずっとこっちを無視してきたくせに。

「いつでも渡すタイミングはあったでしょう?どうして来なかったんです?!」
「よう言うのう!朝は手荷物検査、昼は委員会でおらんかったくせに!」
「休み時間に来れば良かったじゃないですか!」
「そんなんしたら目立つじゃろ!ウチがそういう注目浴びんの嫌いなんはおまんがよう知っとるじゃろうが!」
「じゃあ部活前はどうです?時間あったでしょう?」
「その時点でお前さんの機嫌最悪やったが!あんな状態の人間にチョコなんて渡せるかボケ!」
「機嫌直しに、とかは思わなかったんですか?!」
「思うかァ!渡したら踏みつぶされそうな感じやったじゃろ!」
「しませんよそんなこと!」

チリンチリン。

自転車に乗ったおじいさんが、ベルを鳴らして私達の横を通り過ぎる。そこで気付く。
住宅街のど真ん中にいた。顔の温度が一気に上昇していく。街灯の下、柳生の顔もどんどん赤くなっていった。

「……すいません。頭に血が昇りました」
「いや……ウチも大人げなかった」

ひとまずお互い冷静になると、再び歩き出す。
喋らない、というか、喋れない。さっきまでポンポン出ていた言葉はみんな引っ込んでしまった。

「……チョコ、いる?」
「いります」

住宅街を抜けた所で訊いた。すぐ差し出された左手に、鞄の中の紙袋を渡す。
中を見た柳生が珍しそうな顔をする。ニヤニヤしている所を見ると、それなりに嬉しいらしい。喜んでもらえたのなら……まあいいだろう。

「手作りですか。しかもトリュフ」
「去年手作りじゃのうて、誰かさんが機嫌直してくれんかったからのぅ」
「まあいいでしょう。貴女の手作りと既製品以外のトリュフなんて気持ち悪くて食べられません」
「そこはウチの手作りだけでええじゃろ」
「嘘はつきたくないんです」
「それがもう既に嘘じゃ」
 

寒くて暗い帰り道。
まあまあ甘い、バレンタイン。









2014.2.14
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