仁王くんに手を引かれて廊下を歩く。 目の前で銀色のしっぽが揺れている。毛先が彼の背負うテニスバッグに擦れてサラサラ音が鳴る。 12月の夕方となると校内は暗い。夕闇が迫る中、蛍光灯の下を二人で歩いていく。 「お誕生日プレゼントは何がいいですか?」 私がそう訊くと、彼は少し驚いたような顔をした。それから難しい顔をして考え込む。普段見せない彼の表情が新鮮だ。フフ、と私が笑うと、不思議そうに首を傾げた。 その日、仁王くんは一日中難しそうな顔をしていた。お昼ご飯を食べている時も、廊下ですれ違った時も、放課後の部活の時も。それがあまりに続くものだから、真田くんが本気で心配していたのが面白かった。 「柳生」 部活が終わった後の帰り道、隣にいた仁王くんが私の耳へ口を持っていく。 「欲しいもん、決まったナリ」 「まあ。何でしょう?」 「……当日まで、ナイショじゃ」 そう言って彼はいつものように悪戯っぽく笑って、結局教えてくれなかった。 鍵を開ける音が廊下に響く。吹奏楽部が帰った後の音楽室はガランとしていた。 彼がその奥のグランドピアノの方へ近づいていく。革張りの椅子を引き、ここに座れと言わんばかりにポンポンとそれを叩く。私が座ると、満足げにニコニコ笑う。 「……まさか、これが欲しかったものですか?」 「おん。そうじゃき」 私は素直に驚いた。呆気にとられて彼の顔を見つめる。 「……どしたん」 「いえ……仁王くんは音楽が嫌いと思っていたので……」 「んー……別に嫌いなわけじゃなかよ。人前で歌ったり演奏したりが苦手なだけじゃ」 そう言えば、前にジャズが好きだと言っていたような気がする。 仁王くんが近くにあった椅子を引き、背もたれに肘をつく。 「やぁぎゅ、弾いて」 嬉しそうに、まるで美しいものを見ているかのように、仁王くんは微笑む。 ……ジャズのレパートリーは無いけれど、彼の好きそうな曲を。 軽く息を吸い込み、鍵盤に指を乗せた。 ピアノの音が冷たい空気を伝って、校内に響き渡った。 すっかり暗くなってしまった帰り道、仁王くんと手を繋いで帰る。 仁王くんはさっきから私の弾いたピアノのメロディーを口ずさんでいる。どうやら気に入ってもらえたようだ。彼の吐息が藍色の空間に白く浮かび上がる。 「なァ、さっきの曲のタイトル、何?」 「『主よ、人の望みの喜びよ』、バッハの作曲です」 「ふぅん……」 「折角の仁王くんが選曲を任せてくれたので」 「?何か意味があったんか?」 「ええ」 私がそう言うと、「教えてくんしゃい」とせがまれる。どうしましょう、と言うと、拗ねたように頬を膨らませ、繋いだ手をブンブン振る。子供っぽい仕草がどうしようもなく可愛くて、もっと困らせてみたかったけれど、今日は彼の誕生日なのだ。我慢、がまん。 「聖母マリアの処女懐胎の話は知っていますか?」 「あー……天使がお告げしに来るやつかの?『おめでとう、恵まれた方よ。』って言う」 「ええ。マリアの元に遣わされた大天使ガブリエルは、まだ夫を持っていなかった彼女にこう言います。『恐れるな、マリアよ。あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたは身籠って男の子を産むでしょう。』──その時のお告げで身籠ったのが、イエス──俗に言うキリストですね」 「……それが、さっきの曲と関係あるがか?」 「その、聖母マリアが大天使ガブリエルからお告げを受けたとされる日に、この『主よ、人の望みの喜びよ』が含まれるカンタータが発表されたんです」 「……!」 仁王くんの目が少し見開いた。察しの良い彼だ。私の意図に気付いたらしい。 「少しニュアンスは違うかもしれませんが……聖母マリアがイエスを身籠られたことと、貴方の誕生を掛けてみました。神の祝福も望めると思ったので」 「……賢い奴の考え方じゃのぅ」 「まあ、ありがとうございます」 私が笑うと、しばらく仁王くんが静かになった。すると急に立ち止まる。私の足も止まった。この前そうしたように、彼の口が耳元に近づく。そっと見た彼の頬は、寒さのせいなのか赤い。 「……ちゅー、してくんしゃい」 「あらあら。欲張りさん」 「……誕生日じゃもん。欲張りたいがじゃ」 そう言ってぷっくり頬を膨らませる姿が可愛い。その頬を両手で挟むと、みるみるしぼんでいった。甘えた色を見せる彼の琥珀を見据えた。薄い唇をなぞると、恥ずかしそうに彼が笑った。 「……また、柳生のピアノ、聴きたいナリ」 「ええ、貴方のためなら喜んで」 伏せられた彼の長い睫毛を見つめながら、その顔に唇を寄せた。 ペテン師にカンタータを 2013.12.4 . |