柳生の誕生日を知ったのは一週間ほど前のことだった。
誕生日を知ったからどうってことは無い。部活でペアを組んでいるとはいえ、私達はそれほど親しくない。寧ろ仲は悪い。
毎日形だけの挨拶を交わし、悪態をつきながら朝練をこなす。廊下ですれ違っても互いに一瞥するだけ。どこかの仲良し幼馴染みダブルスみたいに一緒に昼食を取ったりしない。放課後の部活が始まるまで、私達はほぼ他人だ。
誕生日当日になっても、彼に対しての私の態度は変わらない。いつものように、今まで通り。
廊下で女子からプレゼントを受け取っている所を素通りし、私は屋上に向かう。次の授業は音楽なのだ。やってられるか、あんなもん。終わるまで寝ていた方がよっぽど有意義だ。
カーディガンのポケットに両手を突っ込む。左手でカサリと音がする。それを取り出してみると、琥珀色の飴が手の平で転がっていた。
さっき丸井にもらったものである。今日は奴の機嫌がやたら良くて、ニコニコしながら私に投げて寄越したのだ。明日は雪でも降るんじゃないだろうか。寒いのはごめんだ。
階段をだらだら登りながら、包装を破き、琥珀色のそれを口に放り込む。
ああ、甘い。口いっぱいに蜂蜜を流し込まされたような感じだ。私が甘いものをあまり好まないから、そう感じるだけかもしれないが。
重いドアを開け、すぐ隣にある錆びた梯子を上る。この給水塔の陰で寝るのが私のお気に入りだ。どこからでも死角になっているため、誰にも邪魔されず、ゆっくり眠ることが出来る。
ごろりと寝転び、空を仰ぐ。綿菓子のような雲に手が届きそうな錯覚を覚える。この空が好き。瞼を閉じると、風の音が耳を通り抜ける。どこか歌っているように聞こえるそれが心地良い。ちょっと気持ち良くなって、鼻歌なんて歌ってみる。

「楽しそうですね」

急に声が降ってきた。すぐに目を開けると、さっきまで廊下で女子とキャイキャイしていたはずの、柳生。

「どうも」

無機質な表情と、冷淡な瞳が私を見つめる。さっきプレゼントと受け取っていた時の穏やかな笑みなど無い。柳生の中身は実際こんなものである。あまり笑わないし、かなり性格が悪い。

「悪い人ですねえ、貴女は。授業をサボって昼寝だなんて、良いご身分ですね」
「何じゃ。そがいな嫌み言うためだけにウチのこと追っかけて来たんか?暇人」
「暇人とは失礼ですね。貴女のためを思ってわざわざ来て差し上げたのですよ?」
「上から目線のお節介なんざいらんわ」
「おや、いつから私と貴女は対等になったのでしょう。初耳ですね」

ああ、本当に性格が悪い。紳士なんて絶対嘘だ。詐欺師以上に詐欺師だ、こいつ。
そんなことを考えながら、口の中で飴を転がす。甘ったるい。

「……何食べてるんです?」
「飴じゃ。丸井にもろうたん」
「へえ……」

何やら意味深な表情を湛えている。丸井にもらったというのが疑わしいのだろうか。どうでもいいだろう、そんなの。

少し背中が痛くなってきたので、体勢を変えた。柳生に背を向ける形になる。

「ねえ、仁王さん」

背を向けた途端、柳生が話し掛けてくる。面倒くさいのでそのまま話す。

「何じゃ」
「今日、何の日か知ってます?」

お前の誕生日。
……と言いかけたがやめた。こいつに直接教えてもらったわけでもないし。変に思われても嫌だ。

「んー……あ、職員会議で部活が休みなんか?」
「残念。はずれです」

クスクス柳生が笑い出した。それもやけに楽しそうに。私の適当な答えがそんなにツボだったのだろうか。だとしたら、こいつのお笑いのセンスを疑う。どこにそんな笑う要素があるというのか。

「あのですね、仁王さん」

その言葉と同時に、強制的に柳生の方を向かされる。結構な力で向かされたため、ちょっと肩が痛い。舌打ちしようとしたが──口が半開きのまま止まってしまった。
柳生の顔が目の前にあった。ニヤリ、意地の悪い笑みを浮かべる柳生。

「今日、私、誕生日なんです」

「だから、何か下さいよ」

まさかのまさかだった。まさか本人から直接言ってくるなんて。
そんなキャラだったか柳生比呂士。
そこまでしてプレゼントが欲しいか柳生比呂士。
仲良くない奴からも祝ってほしいか柳生比呂士。
本人に祝う気なんて更々無いのは分かっているだろうに……。

「ねえ、仁王さん」

妙に色を含んだ声で言ってくる。私をからかっているつもりなのか。眼鏡の奥の瞳は相変わらず鋭い。
正直、私はこの目が苦手だった。普段は眼鏡で隠れているからいいものの、剥き出しのこの目で見られると、何だかゾワゾワするのだ。
だから、つい目を逸らしてしまう。が、柳生に阻まれる。奴の両手が私の頬を包み、奴の炯眼が更に近付いた。

「な、何……」
「私達、仮にもダブルスペアでしょう?何かくれてもいいじゃありませんか」

そう言って、自分の額を私のものにくっつけた。少しでも動いたら、キスしてしまいそうなぐらい、近い。
何だこれは。まるで私達が恋人みたいじゃないか。
震える声を絞り出す。何故だろう。心臓がうるさい。

「ち、近い……」
「別に良いでしょう?私の貴女の仲じゃないですか」
「はあ?」

いきなりなんだ、こいつは。
毎日形だけの挨拶を交わし、悪態をつきながら朝練をこなし、廊下ですれ違っても互いに一瞥するだけ、どこかの仲良し幼馴染みダブルスみたいに一緒に昼食を取ったりしない、放課後の部活が始まるまでほぼ他人の関係のどこが“私と貴女の仲”だ?

「貴女が私をどう思っているかは知りませんが、私は貴方が好きですよ」
「はあ?」

本当にどうしたこいつ。柳生が私を好き?馬鹿げてる。

「冗談ならもっと笑えるもん考えんしゃい……」
「冗談なんかじゃありません。私は本気ですよ」
「そんな無機質な表情で言われてものぅ……」
「ほう……つまり証拠を見せてみろと?」
「……そういうことになるかの」
「いいでしょう」

……何だか話が変な方向に向かっている。
──と思った時、唇に柔らかいものが触れた。眼鏡のブリッヂが鼻の頭に触れて冷たい。それだけ柳生の顔が近くにある。それに加え、唇のこの感触。すぐに状況を理解した。体温が一気に上昇するのが分かった。

「っ、んっ……」

柳生の胸を押すが、びくともしない。叩いてみると、頭を固定された。逃げられない。
にゅるりと柳生の舌が侵入してきた。私の口内を犯し始める。舌を吸われ、歯茎をなぞられ。唾液のピチャピチャした音がいやらしい。
何で私は今、あまり仲良くない相方に突然告白された挙げ句、こんな濃厚なキスをしているのだろう(ちなみにファーストキスだった)。もう訳が分からない。頭がボンヤリする。
散々口内を犯しまくっていた舌が、私が舐めていた飴を掠め取った。それと同時に、唇が離れる。キスの余韻を残すかのように、お互いの口が銀色の糸で繋がっていた。蜂蜜の味が少し薄らいだ。
柳生が舌を出した。その上には、琥珀色の飴玉。すぐにそれを口に仕舞うと、一気に噛み砕いた。

「ごちそうさま」

いたずらっぽい笑みを浮かべ、私の口元に触れる。唾液が垂れていたようだ。
力が抜けた身体を、柳生に起こされる。そしてそのまま、腕の中。我が家で使っているものとは別の洗剤の香りがした。柳生の腕は温かい。

「好きです、仁王さん。誕生日プレゼントとして、私と付き合ってください」
「何じゃそら……」

どんな告白の仕方だ。紳士が聞いてあきれる。こいつは本物の馬鹿だと思う。
段取りとか色々すっ飛ばしてるし……何かもうどうでもいい。

「……好きにしたらええがよ」
「ありがとうございます」

他の女子に見せるものとは違うような、また違う笑みを浮かべる柳生。頭を撫でる感覚が気持ち良い。

……何てファーストキスだ、馬鹿野郎。

キスと蜂蜜の余韻に浸りながら、柳生の胸に頭を預けた。















2013.10.19
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