時計が0時丁度になると同時に、携帯電話が鳴り出した。
部屋に響く『乙女の祈り』。この着信音に設定している人物は一人しかいない。
新着メールが一件。差出人、仁王雅治。


『誕生日おめでとう』


ただ、それだけの文章。絵文字も何も使われていない簡単な内容のメール。けど、それが彼からのメールというだけで、私の心は躍る。
毎年送ってくれる内容は変わらない。以前、メールはあまり好きじゃないと言っていたのを思い出す。メールが来る度に返信義務がくっついてくる感じ、縛られている感じが嫌らしい。

「あんなもん、業務連絡用で十分じゃ」

少し拗ねた表情でそう言った。彼らしいと思う。
そんなメール嫌いの彼だが、毎年律儀に同じ文面のメールをくれる。誰よりも先に、0時丁度に。彼より早く私にお祝いの電子文書をくれる人物は未だ現れていない。そこに彼のプライドと意地を感じる。そんな彼を可愛いと思うし、何より愛おしい。

遅れて何件かメールを受信したが、どれも開かず、彼のくれた言葉を眺める。

『仁王くん』のフォルダの中に保護されたメールは、今日のものを含めて7件。彼が電子文書でお祝いの言葉をくれるようになってからの数字だった。時の流れは早い、なんて言ったら年寄りくさいだろうか。でも、あの頃よりは大人になった。彼は来年で大学を卒業する。まだ2年残る私より先に社会に出るのだ。少し寂しく思う。彼が先に社会に出てしまったら、ますます彼と過ごす時間は少なくなってしまうから。

立海大附属中学を卒業して、私は外部の進学校へ進んだ。その高校に通い、今は国立大学の医学部に通っている。
外部受験を決意するまで、たくさん悩んだ。医療の道へ進みたい、けど、彼と一緒にいたい。初めて味わった苦しみだった。あのジレンマの苦みは今も忘れられない。食事も喉も通らず、ただ悩んで悩んで、悩むだけで。とても苦しかった。
人に相談はしなかった。元々相談、といった類のものが私は苦手だった。あれは相手に意見を求めているのではなく、ただ“相談“という形式をとった愚痴を零すだけのものだと思っていたからだ。それ以前に、自分の内側に干渉されることが苦手だった。愚痴なら一人でも零せるし、誰にも干渉されない。そうしたらいつの日か、私は全てを抱え込んでしまっていた。それに気付いた時、私は倒れた。確か進路相談を控えた日のことだったと思う。
保健室で寝ていると、彼がやってきた。心配そうに二つの琥珀が私を見つめていた。最初は寝不足だ何だと、もっともらしい言い訳を並べていたが、彼は何も言わなかった。
見抜かれていたのだ。嘘つき上手の彼は、嘘を見破るのも上手い。
そこで限界がきた。
相談なんてものじゃなかった。自暴自棄で滅茶苦茶で矛盾だらけなただの愚痴だった。ああ、何てみっともないんだろう。冷静に自分を客観視する私がいた。内側に抱えていたもの全てを吐き出してしまった。

「やぎゅう」

ふと、彼が私を抱き締めた。彼に“抱き締められた”のはこれが初めてだったと思う。抱き心地が良い、と言って彼はよく私にくっついていたが、それはどちらかと言うと“抱きついてきた“だったから。
初めて感じる彼の腕の中は、彼の身体は、何も言わずに私の頭を撫でる手は、私より大きかった。そして暖かい。
涙が出た。拭っても拭っても、溢れて止まらなかった。そのうち私は声を上げて泣いた。あんなに大声で泣いたのは初めてのことだと思う。元々涙腺は決して脆い方では無かったし、何より感情を露わにして大声で泣くなんてみっともない、と心のどこかで思っていたからだろう。

「俺、寂しくない。じゃけ、柳生はやりたいことやりんしゃい」

赤くなった目を冷やす私の横で、彼がそう言った。
強がりだ。すぐに分かった。俯いて私の方を見ようとしていないし、何よりとても小さな声だったから。
彼はとても寂しがり屋なのだ。ついでに言うとかなり泣き虫である。
そんな彼がこう言うなんて、すごく勇気のいったことだと思う。そうでも言わないといけないぐらい、私が憔悴しきっていたからだろうか。

「寂しくない。全然、寂しくない」

まるで自分に言い聞かせるかのように──いや実際言い聞かせていた──そう彼は繰り返していた。

深緑のズボンに、小さな水玉模様。

「仁王くん……」
「やぎゅう……」

いつの間にか、仁王くんは泣いていた。そしていつものように、私が仁王くんを抱き締めていた。
さっきの男らしい仁王くんは何処へやら。

「さみしくない、さみしくない…………俺は、さみしくない」

泣きながらも、彼はそう言い続けた。私は彼が泣き止むまで、その髪を撫で続けた。


「……ありがとう、仁王くん」


彼が泣き止み、完全に日が暮れた頃。
私の中で、答えは決まっていた。


それ以来、彼は嫌いと言っていた業務連絡以外のメールを、毎年決まった日、決まった時間にくれる。他の人に聞いてみたが、彼からそういったメールを貰っているのは私だけらしい。小さなことだったが、私はとても嬉しかった。

「柳生だけの特権じゃ」

私が訊けば、きっと彼はそう言うのだろう。

気がつくと、私の誕生日から30分ほど時が流れていた。思い出に浸りすぎていた。もう寝なければ。寝不足なんて論外だ。
部屋の明かりを落とす前に、クローゼットを開ける。
コバルトブルーのワンピースに、白いカーディガン。
机の上には、コンタクトレンズと、彼がくれたシュシュとネックレス。

朝になったら、彼と出掛ける。会うのは3ヶ月ぶりだろうか。大学生は意外と忙しいのだ。

布団に潜り込み、目を閉じる。まぶたの裏に映る彼の顔。
胸が高鳴る。笑みが零れた。



彼に会ったら、思い切り抱き締めてもらおう。






beautiful day









2013.10.19
.