さぁぁぁぁぁ────。


雨の音がする。
ざわつく昼休みの教室内、机に伏せていてもその音が分かる。この調子だと、放課後の練習は中止になりそうだ。丁度、今日は病院で検査の日だから都合が良いが……まあ、真田や赤也は勝手に自主練するだろう。こっちは大嫌いな検査だってのに。
少し頭を動かす。湿って、少しひんやりしたそれの冷たさが心地良い。しばらくそのままで。雨音が少し強まったように感じた。

「おーい、幸村ー?」

上から突然声が降ってきた。少しびっくり。ゆっくり顔を上げると、煮卵……じゃない、ジャッカルの顔。手にはドーナツの袋。十中八九、丸井のものだろう。

「やあ、どうしたの?」
「いや、文が『今日の部活が休みか訊いてこい』って……、な」

パシりだった。

「うん、今日は休みだね。この雨だし。でも自主練習は許可するから、やりたい人は残って練習」
「放課後が休みとか久しぶりだな……」
「たまには良いんじゃないかな……まあ、私は病院で検査なんだけど」

少し頬を膨らませて言ってみると、ハハ、と苦笑される。それも人の良さそうな笑みである。だから丸井にパシられるのに……という言葉は、胸の奥に閉まっておく。
その笑顔のまま、ジャッカルが続ける。

「じゃあ仁王喜ぶだろうなー」
「……仁王?」
「ああ。見たい映画があるって言ってたぜ。また、柳生誘って行くんじゃねえかな?」
「柳生と、映画……」

はあああああああああああああああ………………。

幸村が大きく息を吐いた。組んだ両手に顎を乗せていたが、がくん、と崩れ、再び机に突っ伏す。驚いたらしいジャッカルが肩を揺さぶる。

「お、おい?幸村?」
「……じゃっかるにもんだいでぇーす。におーとやぎゅーは、つきあっているでしょぉーかー?」
「え…………」

突然のクイズにジャッカルが硬直する。視線だけ上げると、綺麗に剃られた頭を掻いていた。そして、恐る恐るという風に口を開く。目が合った。

「付き合って……………………ねえの?」
「ぴぃーんぽぉーん……せーいかーい……付き合っていませーん……」
「マジかよ!?」

ジャッカルが叫ぶ。幸村が更に大きな溜息を吐いた。ガタガタ椅子を揺するが、大した気晴らしにならない。むくりと身体を起こし、ジットリとした視線を窓の外に向ける。

「この前もね、『柳生と映画行ってきたんよー』ってすぅぅぅぅっごい笑顔で私に報告してきたんだよ。それでさ、『いいね、ラブラブで。羨ましい』って返した」
「まあ……普通の反応だろうな」
「だろ?なのに仁王ったら、顔真っ赤にして『ううううウチとやぎゅは付き合っとらんがじゃ!!』って全力で否定しやがった。それを後ろで柳生が聞いてたんだけど、ションボリしててさ。それ言ったら『柳生に嫌われた?!』って泣き出すし」
「うわあ……」
「で、試しに柳生にも同じ事訊いてみたら、同じ反応返しやがった」
「うわあ……」
「『そんな……!!わたひと仁王しゃんが……そんな、え?え?』だって!!馬鹿だろあいつ」
「うわあ……」
「私の渾身の声真似はスルーかい?」
「それなりに似てる」
「どうも」

立海テニス部にはプロがいるから仕方ない。

「あの二人がじれった過ぎるの思い出しちゃって死にそう……砂吐きそう……うう……」
「あれで付き合ってねえとか、ただの少女漫画だろ……」
「少女漫画みたいだけど、あれで付き合ってないんだよ」
「あれで付き合ってねえのか」
「あれで付き合ってないんだよ」
「あれで」
「あれで」
「…………」
「……………………」


沈黙。


「……くっつけよう」
「は……?」
「そうだ。簡単なことじゃないか。くっついてないならくっつければ良いんだ」
「お、おい?幸村?」

ぼんやりした感じの幸村。心配したジャッカルが声を掛ける。ゆっくり、こちらを向いた。ニンマリと口角が上がっていく。

「というわけであの二人をくっつける。協力するだろ?ジャッカル」
「え、俺?」

自分を指差し、目を丸くする。幸村の表情は笑顔だが、肝心の目は笑っていない。むしろ暗い。とても暗い。

「元はと言えばお前が原因だからな。お前が仁王が映画見たい〜の下りを話さなければ、私がこんな甘ったるい気持ちを思い出さずに済んだんだからさ。今すごく気分悪い」
「え……でもよ……」
「お前に拒否権は無いよ」
「……おう」

NO、と言えない所が、テニス部員の辛い所である。ゆっくりジャッカルが頷くと、今度は本物の笑顔を見せる幸村。ジャッカルが腕に抱えていた(丸井の)ドーナツを一つ奪い取ると、袋を開け、かぶりつく。みるみるうちに無くなっていくストロベリーチョコレートコーティングのドーナツを見つめる。たらり、冷や汗が流れるが、幸村は気付かない。最後の一口をごくん、と飲み込むと、バッと立ち上がる。

「よし、早速放課後に決行だ。色々細かいことは私が決めておくから、お前は身一つで来れば良いよ」
「おう……」

意気揚々と教室を出て行く幸村を見送ると、腕の中に残ったドーナツを見る。

「…………」

そっと十字を切ると、丸井の待つ3年B組へと足を運んだ。


それから数分後、丸井の奇声とジャッカルの悲鳴が、三年生の教室全体に響き渡った。











来たる放課後。
やけにウキウキした幸村と、既にボロボロのジャッカルが、階段の陰で二人を待ち構えていた。

「お互いの気持ちにちょっとでも気付けば良いんだよ、あの二人は。だからさ、そのきっかけを作る」

幸村の考えた作戦はこうである。まず、二人が廊下で鉢合うように誘導する。お互いがそれぞれの姿を確認、程良く近付いた所で幸村が仁王の背中を押す。ふらついた仁王を柳生が抱き留めた所を、幸村が適当に冷やかす。やけにざっくりとした内容だが、幸村は自信満々である。

「『本当に仲が良いねー』とか言っておけば、お互い赤くなる確率89%(データ提供・柳)。しばらくして仁王が柳生を映画に誘い、柳生が承諾する確率92%(データ提供・柳)。あとは二人の流れにまかせる。おっけー?」
「……俺がいる意味、あるか?」
「いや、特に。ただの気晴らし。拒否権は無い」
「そうかよ」

もうこっちもヤケクソである。今は神の子のご意思に従うしかない。

「蓮二のデータだから信憑性はある。けど、外れたらイップス」

数枚のメモ用紙をピラピラさせ、キャッキャと恐ろしいことを言う。ジャッカルはただ、我がテニス部の参謀の無事を祈るしか出来ない。

「あ、仁王来た」
「こっちも来たぜ」

二人の姿を確認すると、階段横の掃除用具入れの陰に隠れる。

ぺったん、ぺったん。

仁王のスリッパの音が廊下に響く。雨の日だから余計にである。
  
「あ、やぎゅう」
「おや、仁王さん」

「良い具合に出会ったね」

幸村が立ち上がる。向かいの柳生の視界に入らないように、そっと仁王の後ろにつく。柳生は気付いていない。流石神の子というべきか。テニス以外でも、彼女の身体能力は高い。
ジャッカルもそっと立ち上がり、今にも階段を下りてきた風を装う。
柳生と仁王の距離を確認したジャッカルが、幸村にゴーサインを出した────時だった。


「おいコラてめえジャッカル」


背後から聞こえた低い声。突然のそれに、飛び出そうとしていた幸村、歩いていた柳生と仁王、その他の生徒の動きも止まった。冷や汗がダラダラ流れているジャッカルが、ゆっくり、振り返った。

「ふ、文……」
「あたしに先帰れだなんて、随分偉くなったな。ジャッカルのくせに」

赤いポニーテールをゆらゆらさせながら、丸井が近付いてくる。いつも愛くるしい笑顔が広がっているその顔は、今は憤怒に染まっていた。

「購買からすぐ帰って来ねえし、頼んだドーナツはいっこ足りねえし、あたし置いて行っちまうし……お前今日生意気。おかしい」

言葉だけ見れば可愛いが、地の底から響いてくるような低い声で言われているため、命の危険しか感じない。両手を突き出し、ジャッカルは丸井を止めようとする。柳の五感のためにも。

「お、落ち着け!何もお前を一人にしようなんて考えてねえから!俺はただ、待たせたら悪いと思って……」
「てめえの意見なんざ誰も聞いてねえよハゲ」

ギロリとこちらを睨み付ける紫に、一瞬身がすくむ。これほどまで怒っている丸井は見たことがない。正直ものすごく怖い。今すぐ背を向けて逃げたい。だが、男として退けないものがあるのである。

「遅くなったのもドーナツ足りなかったのも先帰ろうとしたのも全部俺が悪かったから!今は落ち着け、な?」

丸井の両肩に手を置き、なだめる。丸井は何も言わず、ただ俯いている。少しその肩が震えているように見えた。

「明日もドーナツ買ってやるし、一緒に帰るからさ。落ち着けよ」
「じゃっかる……」

丸井が顔を上げた。その顔は────全くの無表情だった。
ヒョイ、と178センチが浮いた。浮かせたのは丸井である。両手でジャッカルを持ち上げ、投げた。


「ふざけんじゃねえぞてめええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!」
「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!?????????」

あり得ないことだが、低空を平行に飛んでいくブラジリアンハーフ。
その先には、仁王。

「! 仁王!避けて!」
「へっ…………きゃあ?!」
「仁王さん!」

幸村と柳生が叫んだが、少し遅かった。膝裏を直撃したジャッカル。それが仁王のバランスを崩す。
結果的に、幸村が押さずとも、仁王は転んだ。計画とは違う所は、柳生から一歩離れている所だった。

「ぎゃうんっ」

頭から豪快にすっ転んだ仁王。奇妙な声を上げる。
すぐに幸村が駆け寄ろうとしたが、彼の方が早かった。

「仁王さん!大丈夫ですか?!」

サッ、と柳生が仁王を抱き起こす。転んだ拍子にぶつけたようで、額が赤かった。痛そうにそこを押さえる。柳生がハンカチを差し出すと、少し恥ずかしそうに受け取る。

「大丈夫かい?仁王」

一拍遅れて幸村も駆け寄った。ハンカチで額を抑えながらコクコク頷く。

「念の為、保健室に行きましょう。立てますか?」
「んー……うわっ、」

柳生に手を引かれ立ち上がるが、ぐらり、ふらついてしまう。幸村に肩を支えられるが、足下がおぼつかない。

「……失礼」
「へ……ひゃあ!?」

ふわり、仁王の身体が抱き上げられる。突然のことに、仁王の顔が真っ赤になっていく。

「やぎゅっ、その、ウチ重いから……!」
「そんなことありませんから、少し静かにしていて下さい」

そう言って仁王を抱き直す。一瞬身体が浮き、驚いた仁王が柳生の首に抱きつく。自分のしたことに更に赤くなる仁王だったが、もう既に柳生は歩き出していた。
廊下にいた他の生徒の冷やかしを受けながら、その姿は小さくなっていく。

「……取り敢えず、結果オーライかな?」

私も後で保健室に行こう。
そう思うと、未だじゃれ合っている赤髪とブラジリアンハーフ目掛け、右の拳を振り上げた。












「仁王、入るよ?」
「幸村……」

ガラガラと保健室の扉を開けると、椅子に座った仁王が出迎える。額には小さく切った湿布が貼られていた。

「大丈夫かい?」
「おん、やぎゅーが手当してくれたき、心配なかよ」
「ごめんね……」
「? 何で幸村が謝りゆうが?」
「まあ、色々と……」

原因は丸井とジャッカルだが、言い出しっぺとして、罪悪感が無いわけでも無いのである。
仁王は不思議そうこちらを見ていた。

「この後は二人で映画かい?」
「お、おん……柳生と、映画……」

ピンク色の頬で嬉しそうに、でも少し恥ずかしそうに言う。
何を見るのか訪ねると、最近話題の恋愛映画のタイトルを挙げた。このリア充共め。

「あ、あんな、幸村!」
「? 何?」

俯いて、指先を摺り合わせる仁王。しばらくそうしていたが、少し不安げに、幸村の目を見る。

「……柳生がの、映画見た後、話あるち言うとったんじゃけど……」
「…………!!」
「これって、ウチのこと、嫌いに……」
「仁王!!!!!」
「ひっ?!」

突然名前を呼ばれ、両手を掴まれ、仁王が固まる。

「な、何……?」
「いいかい?その答え、絶対ぜったいネガティブなものじゃないから!ちゃんと考えて、冷静に、返事するんだよ?!」
「え?答え……?え?」

混乱する仁王に構わず、幸村は握る力を強めた。そしてそれを自分の額にくっつける。

「大丈夫、お前は大丈夫。大丈夫だから」
「ゆきむら……?」

仁王が首を傾げる。それを見て、フッと微笑んだ。

「じゃあね」

仁王に別れを告げると、保健室を出た。昇降口に向かう途中、柳生と会う。すれ違う瞬間、耳元で囁いた。

「頑張れよ」

柳生の息を呑む音が聞こえた。きっとその顔は真っ赤だろう。振り返ることなく、クスクス笑いながら足を進めた。明日が楽しみだ。


もし、私の予想が外れていたら?


「まずは、外周200周かな」













Thanks 20000 hit!!!!








2013.8.2
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