※死ネタ がたん、ごとん。 私がホームに着いた所で、電車が発車する。終電を逃した瞬間だった。しばらく呆然として立ち尽くした。何せ、初めての経験なのである。 時計を見る。日付を跨いで数分。タクシーに乗る余裕は無い。……どこかで時間を潰すしかないらしい。 踵を返し、改札口に向かう。 ────ぐっ。 「!?」 誰かに手を握られた。終電が去ったホームには、私以外誰もいなかったはずだ。ひんやりとした手の温度に背筋が凍る。こっちを向け、と言わんばかりにそれは私の手を引っ張ってくる。恐る恐る振り向いた。 「やーぎゅ」 ピンクのゴムで結わえた銀髪、猫背、口元のほくろ。 全て見覚えがあるものだった。 「仁王くん……」 「久しぶり、じゃの」 クツクツと喉の奥で愉快そうに笑う。4年前と何も変わっていない。 彼のつむじがよく見える。銀髪の根元は黒かった。私が彼より大きくなってしまったのだと思い知る。 「お前さん、終電逃したんか?」 「ええ。今からどこかで時間を潰す所です」 「なら、しばらく暇やの。付き合うて」 切れ長の琥珀色が私を見据える。その美しい光に吸い込まれる錯覚にとらわれる。 気付けば、私は彼と向かい合って座っていた。 駅のベンチではない。重厚な作りの革張りの座席である。 私達は電車の中にいた。 がたん、ごとん。列車が揺れる。 「どこへ向かっているんです?」 窓の外を眺めながら訊いた。 「んー、教えてほしい?」 「ええ」 「どうしようかのぅ」 「教えてくださいよ」 「やっぱナイショじゃ」 「相変わらず貴方はいじわるですね」 「ピヨ」 はぐらかされるのは分かっていた。だが、こういう無駄とも言える会話を彼とするのが、私は好きだった。 「……引っ越し、するん」 私から視線を逸らし、窓の外を眺めながら彼が言った。ガラス越しに目が合う。……彼の眼差しは、どこか寂しそうだった。 「引っ越し……ですか」 「おん……それだけ言っとく」 そう言ったきり、彼は言葉を発しなかった。私も同様に言葉を口にすることなく、黙ったままでいた。私は彼と共有する沈黙が好きだった。 がたん、ごとん。列車が揺れる。 「お腹、空かん?」 彼が沈黙を破った。その言葉を少し考えてから、小さく頷いた。彼が人に何かを提案する時は、それを望んでいるというサインなのだ。 小さく笑った彼が、私の手を取り立ち上がった。私も立ち上がったが、彼のつむじは見えなかった。私も4年前に戻ったようだった。お互いに立海大付属中の制服を着て、列車の中を歩く。通った車両には誰も乗っていなかった。そしてある一つの車両に辿り着く。 「ここな、食堂車」 そう言って彼が扉を開けた。食堂車もまた、無人であった。 スタッフさえもいない空間なのに、一つのテーブルにだけ、二人分の料理が用意されていた。窓際の席で、外の景色が見えるようになっている。 用意されていたのはブルーベリーソースのかかったパンケーキだった。その隣で、アイスティーがオレンジ色のライトに反射している。 彼と向かい合って座る。 「いただきます」 彼とまたこうして食事が出来るとは、夢にも思っていなかった。 パンケーキの熱で溶けた生クリームを掬い、焼きたてを口に運ぶ。酸味と甘みと共に、幸せを噛みしめる。 ふと彼を見る。小さく切ったパンケーキを小さな口に運んでいる。口元が動く度に動くほくろは、まるで生きているようだった。その口元にソースが付いていた ──無意識にハンカチで、それを拭っていた。 彼は驚いて少しの間固まっていたが、すぐに猫のような笑みを浮かべる。 「相変わらず、おまんは紳士じゃのぅ……」 「すみません、つい、」 「ええよ、謝らんで……懐かしか」 穏やかに笑む彼の目が、少し光ったような気がした。 からん、からん。アイスティーの氷が音を立てた。 「柳生、外」 彼が外を指差す。そちらに目を向けた ──息を呑んだ。 藍色の空間に、無数の光が瞬く。360°、見渡す限り。 星の海の中を、私達は走っていた。 「……これも、貴方のイリュージョンですか?」 「いんにゃ。見たまんまじゃ」 彼は外を見たままだ。星の光に照らされたその顔は、どこか物憂げである。 「見て」 彼が再び外を指差す。 「ああ……天の川ですか……」 「みるきーうぇい、じゃ」 「……綺麗だ」 白く輝く星達が集まるそれは、星の河が洪水を起こしているようにも見えた。その白は、彼の銀の髪のようだった。 ゆっくりと彼がこちらを向いた。私が微笑むと、彼も微笑んだ ──出会った時からは想像も出来ない、とても優しい笑顔だった。 細められた琥珀に引き寄せられるかのように、私は立ち上がっていた。右手を彼の白い頬に寄せ、そのまま口づけた。 もう二度と感じることは出来ないと思っていた感触が、私の全身に広がった。とても満たされた気分だ。 そっと唇を離すと、彼は少し気まずそうに目を逸らす。小さく頬を掻く手を取り、その指先にキスを落とした。それに観念したかのように、彼がこちらを見た。金色に光る琥珀が美しい。 「仁王くん……」 その先に続ける言葉は無かった。ふと、彼を呼びたくなったのだ。そう言ったら、きっと彼は恥ずかしそうに笑うのだ。 がたん。と、音がして、車両が揺れた。列車が止まったらしい。 「……着いたみたいじゃの」 そう言ってゆっくり立ち上がる。私と手を繋いだままで。私も立ち上がった。手を繋いだまま、さっき来た通路を戻った。 その途中、列車のドアが一つ、開いていた。彼を見る。穏やかな笑みを湛えたまま、私の先を歩く。 降りた先は、砂浜だった。彼はどんどん歩いていく。 さく、さく。二人分、4つの足跡が跡となる。 潮の音が微かに聞こえた。それはどんどん大きくなっていく。 ざぁん、ざぁん。 砂浜の向こうには、海があった。 空を見上げる。藍色の空、白い星達。この世界は夜だ。 彼は、黙ったままだ。 「仁王くん、」 「ここが、俺の引っ越し先」 私の言葉を遮り、彼が ──仁王くんが、そう言った。 「やっとな、ここ、見つけたん。ええじゃろ?この星。海、あるし……立海思い出す」 どこからか吹いた風が、私達の髪を掬う。仁王くんの髪がサラサラ流れる。さっき見た天の川を思い出した。 「柳生」 仁王くんが私を呼ぶ。横を向けば、仁王くんがいる。 ピンクのゴムで結わえた銀髪、猫背、口元のほくろ。 何一つ変わっていない。変わるはずがない。 「ありがと」 何故今そんなことを言うんです。貴方は今ここにいるじゃないですか。 彼は、貴方は、仁王くんは、私の最愛の人は、今、ここにいるのに。 どうして。 「4年前と同じことを言うんですか……!!」 私は思わず彼を抱き締めていて。目からは只々涙が流れた。両腕で感じる。仁王くんはここにいる。私の腕の中にいる。 その身体は変わらず細い。抱き上げたら軽いのだろうか。 頬に銀髪が当たる。ふわふわしたそれを猫のようだ、と言ったら、貴方は少し嬉しそうに笑った。金色の琥珀を猫のように細めて。彼独特のコロンが香った。 それが最後の会話だった。 彼は失われてしまった。 私の世界から、消えてしまった。 「やぎゅう……」 「やっと会えたのに……もう貴方を失わずに済んだと思ったのに……どうしてっ……」 子どものように泣きじゃくる私の髪を、仁王くんが撫でる。 大嫌いだったこの茶色の髪を、貴方は綺麗だと言ってくれましたね。 柳生の髪は、紅茶の色。 歌うように言ってくれた時、私はとても嬉しかったんですよ? そうですか、と私はその場ではそう言ったけれど、嬉しくて、嬉しくて。私が家に帰って泣いていたことを、貴方は知らないでしょうね。 「行かないでください……っ、私の傍にいてください……いなくならないで……っ!」 「柳生」 呼ばれた名前にハッとする。少しだけ、腕の力を弱めて、仁王くんを、見た。 「ここな、柳生のこと、よう見えるんじゃ。みんなのことも」 だいじょうぶ。 小さい子どもをあやすように、少し骨張った手が、私の背中を優しくさすった。寂しげな瞳に私が映る。 「なぁ、柳生。 もう泣かんで。 笑って。 そんで生きて。 俺の分まで。 死ぬまで生きて。 そんで、笑いながら、死んで」 「……むちゃくちゃですね」 いつも人を食ったような笑みを浮かべて。やることなすこと破綻していて。それでいて器用だから、何事もなかったかのように全てこなしてしまう。まさにイリュージョンだ。 貴方らしいです。仁王くん。 ゆっくりと、彼に絡めていた腕を解く。 仁王くんと、向き合う。 ピンクのゴムで結わえた銀髪、猫背、口元のほくろ。 私が愛した、今でも愛している人。 「仁王くん」 「柳生」 お互いに小指を出して、絡め合う。 「また、会いましょう」 「約束じゃ」 するり、指が離れる。 「さよなら、柳生」 「さよなら、仁王くん」 そっと、彼の顔が近づいた。唇に熱を感じる……彼からのキスなんて、初めてだ。目を閉じた。 唇が離れると、彼は ──仁王くんは、私が大好きな笑顔を見せるのだ。 ごぅ、と、汽笛の音が聞こえた。 駅のホームで、私はいつの間にか眠ってしまっていた。時計を見た。とっくに終電は行ってしまっていた。駅員が駆け寄ってくるのが見えた。歩いて帰ることにする。今夜は星が綺麗に見える。 「…………」 あれは夢だったのだろうか。 あんなに近くで、彼を感じていたのに。 額に少し、汗が滲んでいた。ハンカチを取り出す。 「…………!」 薄いブルーのハンカチに付いた、ブルーベリーソース。 全身に何かがこみ上げてきた。 甘いようで、少し苦くて、苦しくて嬉しい、とても愛おしい。 そんな何か。 「また、会いましょうね」 会えるのなら、あの列車の中で。 さよならカムパネルラ 2013.6.20 . |