柳生が食堂に行くと、彼女がいた。頬杖をついて、ぼんやり遠くを眺めている。 一つ、大きく深呼吸すると、自分の食事を持って、その前に座る。彼女の瞳がこちらを向いた。 「……何じゃ。柳生か」 「珍しいですね、貴女が食堂にいるなんて」 気怠げに柳生を見つめ、再び遠くを眺める仁王。ふぅ、と溜息を吐いた。 無言になったので、食事を始める。学食のサンドイッチ。柳生のお気に入りのメニューだが、若干ハムが塩辛いのが唯一の欠点だ。アイスティーで緩和する。 チラ、と彼女の方を見る。アイスコーヒーのストローを咥え、ぷくぷく泡を立てていた。相変わらず視線はどこか遠い。 「ああ……別れたんですね」 ゴポォ!!!! すごい音がして、仁王のグラスからコーヒーが溢れ出した。げほげほと噎せ出す。ハンカチを渡そうとしたら、鋭い眼光に牽制される。だが、すぐに俯いてしまった。長い前髪がその顔を隠す。隠したいのは、赤い顔か涙目か。 「その様子だと、フラれたんですね……久賀くんでしたっけ?C組の。今回は長かったですねえ、三ヶ月近…………痛っ」 ガムシロップが飛んできた。彼女がぶん投げたのだ。角が額に直撃する。地味に痛い。 ぽいぽいぽいぽい。 無言のまま、どんどん飛んでくる。 「あほ。ばか。死ね。二度とそん名前出すな」 「痛いです。やめてください」 「何が紳士じゃ。ふざけんな。空気読めデリカシー無し男」 ぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽい。 スティックシュガー、フレッシュミルク、プラスチックのマドラーが次々飛んでくる。順番に受け止めていくが、仁王の手は止まらない。 「いだっ」 コルク製のコースターが鼻に直撃した。今までで一番痛い。思わず机に伏せた。次の攻撃を身構えていたが……至って静かだ。そっちを見ると、仁王が唇を噛みしめている。 柳生は何も言うことなく、飛んできたガムシロップやマドラーをテーブルに置く。軽く息を吐いて、仁王に向き合う。 「三ヶ月前も、ここでこうした覚えがあります。その時も、貴女はぼおっとしていましたよ」 「よう覚えとるのぅ……」 「ええ。貴女が恋人と別れる度にここへ来るので」 彼女が息を呑む音が聞こえた。組まれた細い指を見ると、微かに震えている。 「気付いてませんでした?」 「……別にウチが食堂に来るなんてしょっちゅうやし。別れる時だけとか……」 「別れた後に限ってコーヒー飲んでるんですよ、貴女」 仁王の言葉を遮って柳生が言う。彼女が顔を上げた。複雑な表情をしている。 「貴女、コーヒー嫌いでしょう?どうして、わざわざ嫌いなもの飲んでるんです?」 「……気分」 「その割には減ってませんね。ぷくぷく泡立ててるだけじゃないですか」 「……何なん?さっきから。ウチがフラれたんがそんな面白い?」 さいってい。 そっぽを向き、吐き捨てる。もう、関わってほしくない。彼女が言わずとも分かった。 それでも柳生は続ける。 「決して面白くはありませんよ。ただ、こちらの心中も察してほしいというだけです」 「? どういうこと」 「だってものすごく気まずいじゃないですか。貴女が恋人と別れたどうか分かってしまうんですよ?」 「知らんわ。お前さんが来んかったらええだけじゃろ」 「それはつまり、昼食抜きで残りの二限と鬼のような部活を乗り切れと?」 「そうとは言っとらん」 「私も、これ以上貴女が半泣きでコーヒー飲んでる姿を見たくないんです」 「やったら、ウチに近付かんで、話しかけんかったらええ」 「そうはいきませんよ」 「何で」 「私、貴女のこと好きですし」 仁王の動きが止まった。目を見開いて、信じられないという顔でこちらを見る。 「ふざけんでよ……ウチがフラれたばっかやからって……」 「ふざけてません。本気です」 「ウソ。絶対嘘」 「嘘じゃないです」 「違う。嘘じゃ。柳生がウチのことなんて……」 「仁王さん」 机に乗っていた彼女の右手。その指に自分のそれを絡めた。 「私は、仁王さんが、好きです」 「…………っ、」 「貴女が信じられないのなら、何度でも言いますから」 好きです。信じてください。 柳生が絡めた指の力を強めた。彼女を見る。ゆらゆらと琥珀色が揺れていた。少し開いた唇が震えている。 柳生が微笑んだ。 「本当は三ヶ月前に言おうと思ってたんですけどね。貴女がすぐ恋人を作ってしまったので、言い損ねました」 「……何それ」 仁王の顔がクシャリと歪む。さっき渡し損ねたハンカチを渡す柳生。今度は受け取ってもらえた。スミレ色のそれで、仁王が目頭を押さえる。 「ねえ、仁王さん」 柳生が呼ぶと、顔を上げた。もう涙は止まっていた。 「貴女さえ良ければ、私を恋人にしてほしいんですが」 「……ばか」 涙に濡れた頬で、彼女が笑う。 目の前の細い手首をそっと掴む。こっちの緊張がばれないように、両手でその手を包んだ。 「もう、苦いコーヒーは飲ませませんから」 ブラックコーヒー 2013.8.29 . |