※真幸♀、ブンジロ♀要素あり





跡部景吾と私は所謂恋人という関係にあったが、だからといって彼の全てを私は知っている訳ではなかった。付き合い始めて日が浅い訳じゃない。恋人らしいことはそれなりにしてきたし、恋人としてそれなりの段階は踏んできた。未だお互い名字呼びではあるが。
頭が良い、顔も良い。テニスの実力はトップクラスで、誰もがうらやむ跡部財閥の跡取り息子といった完全無欠の男。どこの物語から出てきたんだという男。

私の恋人は特殊過ぎる。

何でも持っている跡部景吾に、私は何をあげれば良いというのか。

何が彼を喜ばせるのか分からない。


「それでも誕生日パーティーには出席するんだね」
「そりゃ、のぅ……」

跡部グループのホテルの屋上。やたら広いバルコニーで涼む。会場ではクラシックの生演奏と出席者の歓談が聞こえる。茶色の髪が一瞬見えた。今日の主役である。
ここは静かだ。ざわつく会場から空間ごと切り離されたかのよう。風が気持ちいい。私が溜息をつくと、隣に座る幸村がクスクス笑う。黄色いドレスを身に纏った姿が人々の視線を集めている。

「仁王ってさ、結構繊細だよね」
「失礼な奴じゃの……見るからに繊細じゃろ、雅ちゃんは」
「俺様ナルシスト野郎との交際が未だ続いてる時点でお前は繊細じゃないと思うな」
「……何か跡部に恨みでもあるんか」
「べっつに〜?」

真っ赤なドリンクが幸村の白い肌に映える。来年になれば、彼女が飲むそれはお洒落なカクテルになるのだろう。その頃には私もウーロン茶では無く、ワイングラスを傾けているかもしれない。私達が酒に強かったらの話だが。

「跡部とはまあ、腐れ縁だね。これまでに好意なんか抱いたこと無いし抱く訳無いしあれとまともに恋愛出来る輩が現れるなんて夢にも思わなかったよ」
「お前さん、絶対跡部のこと嫌いじゃろ」
「アハ。あんまり跡部のこと褒めると、真田が拗ねるんだ」
「あ、そう……」
「まあ、あれに褒める所なんて無いだろうけどさ」
「おまんら何があった」

跡部に対しての毒の量が異常だ。真田にでもここまできつくは無いだろうに。にも関わらず、どこか生き生きしている幸村に若干戦慄を覚えた。
空になったグラスの氷が溶けて音を立てた。涼しい音が響く。

「当日になってから言うのも馬鹿みたいというか馬鹿だけどさ、お前がくれたものなら何でも喜ぶと思うよ、跡部」
「……丸井にも同じこと言われたぜよ」
「仲良いなあ、お前ら」

いっそ丸井と付き合えば良かったんじゃないのかい?
ニッコリ笑い、意地悪なことを言う。丸井には可愛い眠り姫がいることは知っているだろうに。

「じゃあ何も用意してないの?」
「それは流石に失礼じゃろ……用意はしとるよ、一応」

膝に乗せたハンドバックのチェーンをキュッと握る。クロムのそれが、漏れる会場の光に鈍く反射した。バッグの中で、カタンと音を立てるそれ。
跡部からしたら、質の悪い安物だろう。喜んでもらえる確証なんて無い。もう一つ、溜息。
ふーん。と、幸村が頬杖をついてこちらを見る。首を傾げ、何か考えている目。恐らく、さっさと渡せばいいのに。とでも思っているのだろう。それが出来たら苦労はしない。
少し肌寒くなってきた。ひんやりした風に、微かに金木犀が香る。

どこから香っているのだろう……。

興味が湧き、立ち上がって手すり越しに下を見てみる。
その時、一陣の風が吹いて、私が羽織っていたストールをさらった。藍色の空に舞いあがったかと思うと、一気に下へ落ちていった。

「っ、やば……」

あのストールは姉から借りたものなのである。万が一無くしてしまったら……鉄拳制裁じゃ済まないだろう。我が姉は真田より遥かに暴力的だ。
ホテル前に植えられた木に引っかかったのを確認すると、急いでエレベーターの方へと向かった。ハイヒールじゃ走れない。
イライラしながらエレベーターの到着を待つ。
やっと来たそれに乗り込み、1階のボタンを押した。ゆっくり扉が閉まる。

「──っ、おっと」
「っ、!」

扉が閉まる直前にエレベーターに乗り込む人影。ブザーも何も鳴らず、そいつと二人きりになった。彼の茶髪が揺れる。

「よう」
「跡部……」

私を一瞥すると、壁にもたれる。それだけでまあ何とも様になるものだ。黒いスーツを見事着こなしている。本当に私の恋人なんだろうかと少々疑わしい。嘘だけど。
そんな跡部だが、アルコールが入っているのか、どこか上機嫌だ。頬も紅潮しているし、鼻歌まで歌っている。大丈夫だろうか……。
そうやって見ていると、目が合ってしまう。すると急に真顔になり、私に近付いてくる跡部。ドン。という音と共に、視界が揺らぐ。背中に壁、目の前に跡部の顔。顔が近いのが少し恥ずかしいが、これが噂の壁ドンか、と思えるぐらいには冷静だった。壁と跡部に挟まれ、彼を見上げるしか出来ない。エレベーターは静かに降りていく。

「……仁王」
「な、何……?」
「浮気か?」
「はァ?」

あまりにストレートな問いかけに、思わず彼を睨んでしまった。跡部は変わらず真面目な顔だ。

「浮気って……何でウチが」
「アーン?パーティー抜け出して外行くお前がおかしいんだろうが」
「それは……ストール飛ばされたき……」
「知るか」

カチンときた。無言で胸を押し、突き飛ばす。が、すぐに腕を掴まれた。振り解こうとも、ビクともしない。

「離して……」
「俺のことが嫌いか?」
「え?」
「俺様の所に来ねえし、来る気配も無かっただろうが」
「あ……」

思い返してみると今、初めて跡部と喋っている。プレゼントを渡すかどうかに悩み過ぎていたせいだろう。「誕生日おめでとう」すら、彼に言っていない。
何も言わず、パーティーを抜け出そうとする恋人。勘違いされるのも当然だ。
すると急に申し訳なくなってくる。ごめん。そんな言葉しか出てこない。思わず俯くと、腕が解放された。お互い無言である。とても気まずいのに、まだ、エレベーターは到着しない。

「……何でお前が傍にいねえんだよ。今日は俺様の誕生日だろうが」

そう、跡部が言葉を漏らした。そっと見上げると、どこか辛そうな目でこちらを見つめていた。
ああ、何て顔をさせてしまっているのだろう……。
胸中に沸き上がる感情の名前は分からない。ただ腕を伸ばし、跡部を抱き締めた。彼の髪の毛が、剥き出しの首に掛かってくすぐったい。

「……ごめんな」
「……別に謝ってほしい訳じゃねえ…………『お誕生日おめでとうございます』ぐらい、言え」

少し照れた風に、彼が言った。表情は見えないが、それがどこか可愛くて笑みが零れる。

「……誕生日、おめでと」
「俺の目を見て言え」

そう言って、私を身体から離す。頭一個分上にある瞳は海の色をしていた。
その色を見るだけで、心臓がうるさい。私は本当に彼が好きなんだなあ……と実感する。

「……お誕生日おめでとうございます、王様」

上手く笑えているだろうか。こういう時に限って、私は思うままに笑顔が作れない。
無言で跡部が私の手を取る。そしてすぐ指先に口づけた。祝福の言葉はお気に召したらしい。
ようやく到着したエレベーター。木に引っ掛かったストールは運良く破れていなかった。私の命は助かった。再びそれを羽織り、ロビーへ向かう。

「この後、ダンスパーティーだからな。相手しろ」
「ええよ。やったこと無いけど」
「俺様に恥かかせるんじゃねえぞ」
「誰に向かって言うとるんじゃ、あほ」
「何言ってる。俺様の恋人だろうが」
「……ようそがいに恥ずかしいこと言えるのぅ」
「お前にしか言わねえよ」

そう言って不敵に笑う、私の王様。

差し出された手。その手を握り、再びエレベーターに乗り込んだ。







わたしの王様しい人












2013.10.6
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