青い空、白い雲。典型的な夏の空。 白いフェラーリに乗せられ、無人島の道路をひた走っている。人はおろか、獣一匹見当たらない。ざわざわと椰子の葉が揺れている。帽子のリボンが風に掬われて、まるでどこかの映画のワンシーンのよう。 シチュエーション的には最高……けど、暑い。すごく暑い。 「あっつい……」 皮肉をたっぷり込めて、隣でハンドルを握っている奴を睨み付ける。 向かい風に奴の茶髪が靡く。高そうなブランド物のサングラスの色は薄い。その奥の碧眼が私を見た。 「何だ。ご機嫌斜めだな」 「当たり前じゃ」 「お前は何をそんなに怒ってんだ?」 「それをおまんが自覚しとらんとこにまず腹が立っとる」 数時間前。自宅でのんびりテレビを見ていた所に、いきなりこいつが現れた。おそらくボディーガードが何かであろうスーツの男二名に両脇を抱えられ連れ去られ。無理矢理乗せられたリムジンでふんぞり返るこのクソ坊ちゃんをぶん殴ろうとしたら、同乗していた樺地に止められ。何だかんだやっていたらいつの間にか空港に着いていて、跡部財閥専用のジェット機に乗せられ。 そして現在に至る。樺地は空港でお留守番だ。 サイドミラーで自分の姿を確認する。 マリンブルーのワンピースに、ハリウッド女優がかぶっていそうな大きなつばの白い帽子、胸元を飾るアクアマリン。足下を見れば、花のついた可愛いミュール。シンプルに見えるが、全てが高そうだ。実際すっごく高いのだろうけど。 流れで着替えさせられたのだ。どこの令嬢だっていう格好。金持ちの趣味は複雑怪奇である。センスが悪いってわけじゃない。跡部も跡部で、金持ちのバカンスを絵にしたような格好だ。それでも着こなす所に腹が立つ。 「その前にお前さん、免許持っとらんじゃろ?法律違反やないがか」 「安心しろ。この島は私有地だ」 「……予想はしとったがの」 溜息をひとつ。法律という最終手段も無くなってしまった。逃走は諦めることにする。 「フン、こういうバカンスも悪くねえだろ?」 「無人島でドライブって……庶民のバカンスからはえらい遠ざかっとるがのぅ」 「お前は何でそんなに機嫌が悪いんだ?」 「うっさい」 「アーン?お前どうせ暇だったんだろ?丁度良かったじゃねえか」 「決めつけんなクソ坊ちゃん」 「何だ。あの後予定でもあったのか?」 「……あったら家で再放送のドラマ見とったりせんわボケ」 「サイホウソウ?」 「……お前さんには無縁の言葉じゃったの」 「サイホーソー……」 中国語みたいな発音を繰り返し、跡部が首を傾げる。その姿がどこか可愛くて、思わず笑ってしまう。 「あ」 一陣の風が、帽子をさらった。ふわふわと飛んでいく白い帽子。私が身を乗り出すと、跡部が車を止めた。ヒールのため、全速力とはいかないが、走って帽子を追いかける。 穏やかに飛んでいた帽子だが、やがて椰子の木の根本に落ちた。拾い上げ、砂を払う。取り敢えず、弁償の危機は免れた。危ない危ない。 「おい、仁王。見てみろ」 跡部に促され、奴の指差す方向を見た。 「海……!」 白い砂浜の向こうに、真っ青な海が広がっていた。帽子をかぶり直し、そっちへ駆け出す。 波打ち際に近付く。潮風が頬を撫でる。神奈川の海とはまた違う、透き通る青が美しい。 「綺麗……」 「機嫌は直ったか?」 「!」 そうだ、こいつの存在を忘れていた……。 うっかりはしゃいでしまったことが恥ずかしい。車に戻ろうと、踵を返した────砂に足を取られた。バランスを崩す。砂浜に頭からダイブすると思ったが……跡部に助けられた。後ろから腰を抱かれ、軽く宙づりの状態だ。 「危ねえな……気をつけろ」 「……すまん」 「まあ、怪我がなくて良かったぜ」 フッ、と笑う声が聞こえた。降ろしてもらったが、この後何を言えば良いか分からない。ただ黙って、砂にまみれたミュールを見つめる。 「……足でも捻ったのか?」 「は?」 「痛えなら早く言え」 「え?ちょ……」 ひょい、と跡部に抱き上げられる。突然の浮遊感に驚き、思わず跡部に抱きつく。 「おい、暴れるんじゃねえ」 「だっ……大丈夫やから!どっこも捻っとらんがじゃ!」 「アーン?何だ。なら良い」 私の顔を一瞥すると、そのまま歩き出す跡部。私を降ろそうともしない。ざくざく歩いていく。 「っ、跡部!降ろしんしゃい!」 「ミュールが砂で気持ち悪いだろうが。あっちに水道がある」 「じゃけ……ウチ、重いから……」 「どこがだ。細すぎるし軽すぎる」 まるで羽根だな。 そう言いながら、再び私を抱き直す。反射的に跡部のシャツを掴んでしまう。 何をするんだ、という意味を込め、その顔を睨む。だが、いつもの不敵な笑みが返ってきた。 ああ……この表情に、氷帝学園の女子はやられているんだろうな……、と急に冷静になる。その女子達にこの現場を見られたら、私の命は無い。多分。まだ私達の関係は公になっていない。 跡部が砂を踏む音と、波の音が重なる。砂浜に黒い影が映る。風が気持ちいい。また帽子が飛ばされないように、今度はしっかり押さえる。 どこかのお嬢様のようなワンピースを着て、物語の中から出てきたような男に抱き上げられ、砂浜を歩いている。 まるで、映画のワンシーン。 太陽にキラキラする海を眺めていると、いつもの日常を忘れてしまいそうになる。遠い空間に来てしまったせいだろう。 でも、気分は悪くない。むしろ良い。最高だ。 頭を跡部の肩に預ける。「アーン?」と言う彼のシャツから手を離し、その細い顎を撫でた。そして、形の良い耳に口を近づけた。 「 」 「……それはどうも、お姫様」 「王様の相手は女王様じゃろ」 「お前は女王っぽくねえ」 「やかまし」 跡部の鼻を摘んでやる。鼻声で喋る様に、笑みが零れた。 今はこのまま、どこかの映画に溺れていよう。 マリンブルー 2013.8.28 . |