オレンジ色の廊下を走る。 進路相談が思ったよりも長引いてしまった。教室に柳生を待たせている。腕時計を確認する。終わると予測して告げた時間を数十分過ぎていた。……鬼畜モードでの説教は免れられないだろう。 それでも運動部である。職員室から猛ダッシュすれば、さほど時間は掛からなかった。 「やぎゅ……ごめ、…………あれ?」 息を切らせて教室に足を踏み入れたが……柳生の姿が見当たらない。 「あ、」 見つけた。 私の机に突っ伏して眠っていた。思ったよりも待たせてしまったようだ。ハーフミラーコート仕様の眼鏡が脇に置いてあった。穏やかな顔で眠っている。 夕日が柳生の髪を照らす。 オレンジ色に反射する髪が綺麗。キラキラして、そこだけ魔法が掛かっているみたいだ。 閉じた目を縁取る睫毛は羨ましいくらい長い。 髪と同じ色の睫毛。 明るい茶色、紅茶色。 「……ふふ、」 ふと、昔を思い出す。 ダブルスを組み始めた頃だっただろうか。私達は仲良くなかった。ものすごく。 私が校則違反児ということもあり、当時風紀委員ですらなかった柳生に頻繁にお小言を食らっていた。正直とっても鬱陶しかった。とっても。 よく注意されたのが髪の色だ。 「いつ黒に戻すんですか」 「これは地毛じゃ」 「リタッチ出来てませんよ。下手くそ」 腕を組んだ柳生が私を見下ろす。眼鏡の隙間から彼の目が覗いた。冷酷で冷淡な目つきだった。 「無理矢理組まされたとはいえ、ペアなんです。パートナーとしての自覚を持てとは言いませんが、せめて身だしなみだけはきっちりしていただきたい」 「知らんわ、そんな事情」 逃げようとすると、腕を掴まれる。離せ離せ、と腕を振っても離してくれない。 「しつこいぜよ」 「貴女が髪を染めて規定のカーディガンを着てスカートの丈を直して上履きの踵を踏まずに履けば全て解決します。一気にしろとは言いませんから、髪だけでも染め直してきてください」 「嫌じゃー」 「…………っ、!」 グッ、と腕を掴む力が強くなる。ちょっと痛い。 「やぎゅー……痛い」 「……貴女には分からないでしょうね。」 「はァ?」 首を傾げると、柳生がこっちを睨み付ける。その目が少し潤んでいるように見えた。 掴まれていた腕が解放される。 「元々黒髪なのに……どうして色を抜くんです?訳が分からない」 「柳生……?」 「地毛なのに染めた髪だと言われる身にもなっていただきたいものですね」 「!」 その言葉で全てを理解した。 柳生の髪は明るい。太陽に照らせば、綺麗な蜂蜜色に輝く色だ。私も最初、染めているのだと思った。柳生はそれを気にしているらしい。気になるなら黒く染めればいいのに、そこは真面目クンである。 ちょっと真面目に、柳生に向き合う。 「何じゃ。自分の髪、嫌いなんか?」 「…………」 「やぎゅう?」 「……そうですよ。大嫌いです」 「……………………」 ……何て痛そうな顔をするのだろう。 見たことのない柳生の表情に、何も言葉が思いつかない。 沈黙が訪れる。 「ウチは…………綺麗やち思うよ?」 無意識のうちに、口からそう溢れていた。ハッとして口を押さえる。柳生を見る。彼もこちらを見ていた。ズレた眼鏡から覗く瞳は、大きく見開かれていた。 「綺麗って……どうしたんです?」 くだらない、という風に眼鏡を直す。けど、若干手が震えていた。動揺している。 こうなったら正直に言うしかないだろう。嘘つきで詐欺師だけど。 「綺麗は綺麗じゃ。そのまんまの意味」 「……嘘くさい」 そう言うわりには目を合わせようとしない。逸らした視線はただ床を見つめている。 「……紅茶色」 「はあ?」 「柳生の髪は、紅茶色。これが一番しっくりくるき」 そう言って、自分で一人納得する。我ながら良い表現じゃないか。 「紅茶色の柳生の髪の毛、ウチは好きじゃ。綺麗で、羨ましい」 「……くだらない」 吐き捨てるように柳生が言う。少しカチンときたので、少し頬を膨らませてみる。相変わらず柳生はこっちを見ない。 「…………そういう風に言ってくれたのは、貴女が初めてです」 「? 何か言うたか?」 「……っ、!何でもありません!」 そう言うと、私に背を向けて向こうに行ってしまった。 ……綺麗にカットされた髪から覗く耳が赤かったのは、内緒。 「……何笑ってるんです」 思い出に浸っていたら、下から低い声がはい上がって来た。視線をずらす。鬼をも射殺しそうな眼光が突き刺さる。柳生の寝起きは比較的悪い。 「全く……どれだけ人を待たせる気ですか」 「進路相談が長引きやがったんじゃ。許して?」 「あんなもの時間内に終わらせなさい」 「担任の話が長いんが悪い」 「知りませんよ、そんなこと」 乱れた髪を整え、眼鏡を掛ける。いつもの柳生に元通り。 夕日に紅茶色が輝く。 「……どうされました?」 「いんにゃ。なーんも」 「…………」 不意に柳生の手が伸びた。私の頬に触れたかと思うと、唇に熱を感じた。 しばらく、そのまま。 「……おまんからキスなんて珍しいのぅ」 「同感です」 「? どういう意味じゃ」 「……貴女にお礼が言いたくなったんです」 そう言ってフッと笑う。やけに機嫌が良い。 「じゃけえ、そんなん口で言えばええじゃろ?」 「それじゃ、私が楽しくない」 今度は軽く触れる。何でこんなに機嫌が良いのだろう。 「仁王さん」 「んー?」 「好きです」 「…………」 「…………」 「……知っとうよ」 「なら良かった」 帰りましょう? そう言って差し出された手を、強く握った。 紅茶色の魔法 2013.8.9 . |