チャイムの音で目が覚めた。

白い天井。カーテンに仕切られた空間。白いシーツと薄手の掛け布団──保健室だ。どうやら私は今まで眠っていたらしい。腕時計を見ると、長針と短針は12を指していた。

何故ここで寝ていたのだろう。
まだ完全に覚醒していない頭を働かせる。

夏休みが終わって最初の日。お決まりの始業式のため、体育館に全校生徒が集まった。
心なしか周りは浮足立っていて。何やら臨時の講師が来るらしい。しかも男の人。女子校という特殊な空間のためか、皆興味津々だった。私はそれほどでも無かったが。
校長の長い挨拶が終わり、いよいよ皆お待ちかねの講師の紹介に移る。
体育館の舞台袖から出て来たのは、背の高い、茶髪の男の人だった。黒いフレームの眼鏡を掛けている。 
前後左右あらゆる方向から黄色い声が上がった。彼が壇上に上がると、更に大きくなった。あまりの声量に思わず耳を塞ぐ。誰も校長の説明なんざ聞いちゃいない。だが、マイクの前に彼が立った途端、皆一斉に黙った。彼はそれに一瞬戸惑いを見せたが、軽く一礼すると、口を開いた。




「……仁王雅治、です」




「…………ぇ」

記憶がフラッシュバックする。
二つの琥珀。口許の黒子。銀色のしっぽ。少し掠れたテノール。


『嗣珠ちゃん』


間違いない。彼は────









──という所で記憶は途絶える。
頭を動かすと、耳元でカサリと音がした。指で探ると、小さなメモが現れる。そこには友人の字が踊っていた。


『先生のイケボに倒れたやぎゅさんワロタ』


握り潰した。そしてもう二度とこいつに勉強を教えないと誓う。
でも私は倒れたのか……珍しい。身体が丈夫なぐらいしか取り柄が無いというのに。
ちょっと自嘲気味に笑って起き上がる。今日は始業式とロングホームルームしか予定がなかったはずだ。もう昼過ぎだし、皆下校しているだろう。 
ケータイを開くと、母から何通かメールが入っていた。学校が連絡したようだ。大丈夫だから一人で帰ります、と短く返信して、カーテンを開けた。

「……っ」
「ああ……おはようさん」

驚いた。だって、

「仁王……先生、」
「おー。もう覚えてくれたがか?嬉しいのぅ」

丸椅子から立ち上がった彼が愉快そうに笑う。

「貧血じゃて。寝不足なんか?」
「い、いえ……あの、」
「あー……保健の先生な、子供が熱出したち言うて早退したんよ。俺は代理じゃ」
「そう、ですか……」

……やっぱり彼だ。
髪の色は違えど、二つの琥珀色も、口許の黒子も、キャラキャラ笑う様も、何一つ変わっていない。
でも、私に尋ねる勇気は無い。

もし人違いだったら?
本人だったとしても、私のことを覚えていなかったら?

もう12年も前になるのだ。彼が覚えている確証は無い。

「起きたとこ悪いんじゃが、これ、書いてってくれんか?」 
 
彼がボードとペンを差し出した。受けとった私は名前とクラス番号を記入して、再び彼に渡す。

「んー、ご苦労さん…………っ、」

彼の言葉が止まった。心なしか、目が見開いているように見える。

「先生?」
「あ……」

ハッと顔を上げると、ニコリと笑った。

「何でもないがよ。気にしなさんな……」
「そうですか……では、私はこれで」
「おん。お大事に…………………………………………柳生、さん」
「……さようなら」


彼が泣きそうな顔をしたように見えたのは……気のせい?





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